【ソース】皇室の中の人【キボンヌ】

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356続き
39 名前:日本@名無史さん :02/03/30 17:25

小和田新九郎と小和田新六匡安と小和田匡春(道助)(1858年64歳で死亡)
が、兄弟であることには間違いない。新六の息子が小和田郡蔵。匡春(道助)の息子
が勝治であることも間違いない。勝治の弟が兵五郎であることも間違いなし。
小和田兵五郎の息子が小和田匡利(道蔵)であることも間違いないのである。

さて、問題はその先、小和田匡利(道蔵)・・・・



・・・・分家の小和田金吉は新潟の吏員になり、その後に高田税務署の税吏になっている。
そして息子の小和田毅夫が旧制高田中学の校長や高田市の教育委員を務めている。
そして毅夫の息子が小和田恒であり、その娘が雅子妃である。
また小和田毅夫の妻となった田村静(雅子妃の祖母)は、
元新潟県議で自由民権運動家として有名な田村寛一郎です。

このAとBがつながらないといってるわけね。それもそのはずで金吉が生まれたのは1867
年で小和田匡利(道蔵)が生まれた年と照合してぜんぜんあわないということ。