何故、ちせが最終兵器にされたのか? 何故、ちせなのか? そもそも一体日本
はどこと戦争しているのか? また、開戦の動機は? などなどそれらの、本来
は主軸となる理由が全く描かれていないことが特徴で、作者の話によるとこれ
は主人公二人の恋愛描写を盛り上げるのを重視して、方法的に、つまり故意に切り捨てるという大胆なテ
クニックを採用したことに結果するとのことだった。この作品において独特
の形態で提出された「きみとぼく―世界」の短絡性、中間的媒介たる社会や
国家といった共同体の方法的後景化という手法は、本作品から数年後(2004年
以降)に「セカイ系」のジャンル名で包括され、さまざまな作品群を先駆す
るものとなった。「セカイ系」は別名「ポストエヴァンゲリオン症候群」と
呼ばれ、事実上、エヴァ現象(第3次アニメ大ブーム)以降発生したもので
はあるのだが、これが「エヴァ系」という、閉じた非生産的な桎梏を抜け、
今日的で生産的な、つまりより開けた「セカイ系」という一固有ジャンルを
獲得するにいたる過程には『最終兵器彼女』が(『ブギーポップは笑わない
』などと並び)決定的な役割を担ったのであった。誰もが首肯するように、
『最彼』にせよ『笑わない』にせよ「エヴァ以降」という制約なくしては成
立しえなかった作品群ではあるが(作者一個人のエヴァ受容の深さ浅さは、
この場合、時代精神が問題であるから本質的な問題とならないことが多い)
、「エヴァ以降」という流れを無碍に台無しにしてしまうことなく、これを
10年近くのちの現在に至るまで保存することに成功させ、日本文化の意義を
高めえたのは同系列のエヴァ風の作品群の中から、この『最彼』が一等地抜
け出、他の「セカイ系」作品群を導いたからだったといわれている