田中れいなこと田中れいにゃを応援しょぅと II

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119名無し草
1687年には既に「ドイツ啓蒙主義の父」と呼ばれるクリスティアン・トマジウスがラテン
語ではなくドイツ語で講義を行っていた。初期啓蒙主義の時代の有名な哲学者としてクリ
スティアン・ヴォルフとゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツがいる。初期啓蒙主
義の重要な文学者としては寓話を著したクリスティアン・フュルヒテゴット・ゲラートがいる
。だが最も重要な文学者はヨーハン・クリストフ・ゴットシェートであることは確かである
。彼の文学理論書『批判的詩学の試み』(1730年)はその後の文学に道を示したが、その一方
で彼の実作した文学のほうは二流のものにとどまっている。『批判的詩学の試み』はラシーヌ
などのフランス古典演劇に範をとって詩学の規範を定めており、身分規則や三一致の法則など
を固持していた。この規範性に対してはスイスのヨーハン・ヤーコプ・ボドマ
ーやヨーハン・ヤーコプ・ブライティンガーらが異を唱えて論争を展開した。
時代区分はあいまいなもので、初期啓蒙主義の文学者たちは同時に後期バロッ
クにも分類されるが、詩人ヨーハン・クリスティアン・ギュンターやバルトル
ト・ハインリヒ・ブロッケスなどはその例といえる。理性を重んずる啓蒙となら
んで、感情を前面に押し出す文学的思潮も同時にあり、これらは
代表している。また散文ではクリストフ・マルティン・ヴィーラントがロココ
的要素と啓蒙主義の混ざった教養小説の元祖『アーガトン物語』を著した。
ゴットホルト・エフライム・レッシングなしでは後期啓蒙主義を語ることはで
きない。彼は理論的な面では古代ギリシアの「高貴な簡潔さと静かな偉大さ」
を称揚したヴィンケルマンから影響を受け、美学論文『ラオコーン』において
文学の特質を造形芸術との対比を通じて明らかにした。またフリードリヒ・ニ
コライやモーゼス・メンデルスゾーンらと共に文学批評家として活動したり、
一連の重要な戯曲を制作したりした。戯曲『賢者ナータン』は、人間の価値が
民族や宗教など環境から偶然に与えられたものによって変わるものではないと
いう啓蒙的な信条を端的に示している。