田中れいなこと田中れいにゃを応援しょぅと II

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103名無し草
あるとは考えません(これもあくまで個人的な意見ですので、すすんでぼく
がやらないという意味です。だれかその点に興味のあるかたがなさるのは自
由であるし、好ましいことだとも思います)。(3)源氏物語の主題がわから
ない、不鮮明であることについて御不満のようですが、多くの研究者の場合
、源氏物語の主題というトピックスについて興味そのものがないのだと思いま
す。またそれで源語研究自体に特にさしさわりがあるとも思えません。「研究
を重ねてもわからない」のではなくて、「わかろうという意思もなく、研究上
の必要もなく、まともにとりあった人がほとんどいない」のが正確なところで
しょう。(4)過去の源語研究においては人倫道徳の書であるとか、仏説の書で:
あるとか、主題論めいたことが行われたことがありますが(中世期の説)、そ
れはむしろ源語受容史のうえでの問題であろうと思います。それがあまりに奇
矯な方向にかたむいていったために、そこをほじくっても何も出ないという考
えかたが一般的になったのだと思われます。(5)主題が「作者がそれを核とし
て作品を構成する基本的な問題意識、思想」と解すれば、もののあわれは主題
ではなくて、源語の通奏低音とでもいうべきものでしょう。作者には「ものの
あわれを描くために源語をつくる」という意識はすくなくともなかったはずで
して、その意味では源語の主題は「おもしろいお話をつくる」という程度のも
のでしかないように思われます。(6)ウィキペディアの性質上「〜を書かない
のに**と称するのはおかしい」「〜の資格を持つ人が参加していない」とい
うのはもともと無理な要求だと思います。できる範囲で、可能なところから項
目を充実させているのが現状ですので、いきなり完全無欠なものを求めるのは
ちょっと違うのではないでしょうか。必要最低限のものでさえないところから
出発して、徐々に、各自が持ち寄れるものを持ち寄って、できるところからつ
くっていくのがウィキペディアだと思うのですが