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どうでしょねぇ、そういうムーヴメントが発生するためには、
まず前段階として
社会全体による、貧困層が存在することの確認
が必要なんではないかと思いますけれども。
漏れなんかは年次の総所得が3万ドルにも満たず、ましてや
貯蓄すら持たない、縦に読んでも斜めに読んでも貧困層ですが、
こういう人間がバンバン失業し、さらに日々の食事にも飢えるような
事態が到来して、はじめて「社会による貧困層のアリバイ」になる
のではないかと思われます。
少なくとも、現状道路っぱたで飢え死にしてる死体がゴロゴロ
転がっているわけではない以上、むしろ今の状況は
戦って生き残るか、黙って家畜になるか
の選択が各人に突き付けられている、いわば衣食住の最低条件を
どう確保するかの各自のスタイルを「選ばされる」というものなのでは
ないかと思いますdeath
(つづく)
ローマ帝国末期のアレは、そもそも衣食住が不足して、それに
与れない人たちが物理的に「貧困層」となりましたが、現在の場合
衣食住も特に問題はなく、さらに職も「選ばなければある」状態の
中で、みずから望んで「貧困層(と今般蝶々される概念)」になるか
ならないか、ではないかと。
devide and controlが大得意な、昔のアカ系統の流れを汲む人たちが、
今般やたらと「貧困層」を連発していますが、これなどは、まさに
言葉による概念の先行によって、現実世界に虚像を作り出す
という、あの人達お得意のプロパガンダなのではないかと。
実体は、労働条件と給料は、働いていれば当然ただで涌いて
くるもんだ、という「経営」というものに寸毫も関心を持たない人間が
家畜化しているだけの話なわけですし。
むしろローマ帝国になぞらえるのであれば、初期共和制時代の
自由人が資産の問題などから奴隷に身をやつすことが社会問題化
した時代の話のような気がしますです。
それにしても、これに先立つ「負け組」「勝ち組」というのは、
ドラマ用語から発した軽薄な流行語かと思っていましたが、今から
考えれば、これの地ならしだったのかもしれません。
なんともかんともアカというのは始末に負えないシロモノですけれど。
そこから演繹される話なんですが、そもそもの始めに
(今般蝶々される)貧困層とはなにか
という定義付けの話になると思います。
私は残念ながら大学などで高等教育を受けたことがないので
学問的な概念というのは判らないのですが、理解として
全てのリソースに貧困している人、状態
と捉えております。
具体的には、社会的インフラに与れないということが言えるのでは
ないかと。
その意味では、いわゆる昨今蝶々される「貧困層」とは、ただ単に
収入に対する限定的な概念
という極めて選択的、かつ狭隘な概念が「貧困」と称されているような
気がします。
さきに「社会による貧困層のアリバイ」と述べましたが、
このアリバイは、同時に
社会全体にインフラが行き届かないことに対する容認
でもあります。
これは我が国が法治国家として維持されていくのであれば
当然あり得ない状態なわけで、その意味からも、現在軽薄に
蝶々されている「貧困層」というのは、実は実際に貧困している
人たちを実体としてさしているわけではないことが伺えます。