この話題の風化を拒むかの如く、長期に渡り同じ主張を繰り返している者がいるようです。
今、それらの者たちに焦点を当てて考えてみたいと思います。
彼らの主張の大義名分となっているのは、主にこの4点であると見受けられます。
1.個人的義憤
(「うどんマンが可哀想」「カオルが許せない」、という類の意見や、倫理的責任追及)
2.うどんマン・遺族側に立った考え
(うどんマンの苦しみに同調し、無念を晴らそうとする意見)
3.鈴側に立った考え
(鈴の苦しみに同調し、鈴の傷を深めたと思われる人間を糾弾する意見)
4.カオル側に立った考え
(カオルに謝罪・反省を促し更生させようとする意見)
>>286 もしもし?IDはプロバによっては変わるんでつよ?w
さて、1から順に考えていきます。
この件をずっと見てくれば、様々なやりきれない感情を抱くのは、ごく自然なことかと思われます。
しかし、それを公の場に持ち出すにあたっては、一点、注意が必要です。
それは、この件に関して板上に現れているすべての情報には、
確定事項の裏付けが全く無い、という点。
しかし、扱われているのが人の死、しかも自殺というデリケートで重いものである以上、
その件に関しての一つ一つ発言が及ぼす影響も、それ相応に重いものとなるのです。
その一例が、カオルさんの細かい個人情報の詮索という、明らかに人倫に反する行動です。
以上のような理由から、
事実が不確定な状況下で、第三者が個人的な感情を乱暴に書き込み続けることは、
妥当な判断とは言えない、と考えます。
次に、2について。
これに当てはまる方は、うどんマンさんの死を信じ心から冥福を祈っているということになります。
自殺の真偽に関する疑惑は別にして、
その純粋な気持ちは尊いものであると感じます。
しかし――、本当にうどんマンさんやご遺族を悼む思いがあるならば、
2ちゃんねるのような場所で話題を続けるべきではないのではないでしょうか?
一度板上に持ち出された話題は、それがどんなに沈痛な内容であっても、
執拗な煽りを受けてこねくり回され、様々な用途に利用されてしまいます。
その結果、話題として挙げられた人物は、受ける必要のなかった侮辱を多量に受けることになってしまいます。
この辺りは、コンクリスレの問題などにも通ずるところでしょう。
3についての考えは、総合スレの
>>534で一度述べましたので、省略します。
そして、4について。
カオルさんには、確かに、社会的に非常識とされる言動が多々見受けられます。
どのような立場にあっても、被害者意識が先行する傾向があるようにも感じます。
それは、カオルさんの生来の気質と生育環境に所以するものでしょう。
冷たい言い方になりますが、それは、全くの第三者であるネット上の名無したちが口出しをすることで急に変わるものではないのではないでしょうか?
寧ろ、板上で、不特定多数の名無したちから集中的に問いつめられることで、
ますます被害者意識に拍車が掛かってしまうだけなのではないでしょうか?
カオルさんに、自分の言動を本気で見直してほしいと考えるならば、
板上での言及という手段を選ぶことは逆効果であると思います。
長々と述べてきてしまいましたが、つまり、私としては、
「どの方面から考えても、この話題を板上で長引かせることは悪影響だ」という結論に達するのです。
もっとも、これらのことは、本来なら、改めて書き込むまでもないことです。
板の流れをずっと御覧になってきている方ならば、
この話題を続けることの不毛さを実感として分かりきっているはずですから。
にも関わらず、4ヶ月以上経った現在ですら、この話題を続ける方が居るのです。
短絡的に愉快犯とも考えられますが、
それにしては執拗過ぎるように感じます。
>>210さんは、その点を不可解に思い、
板の状況と照合しながら推論を重ねていったようです。
狂言自殺云々の主張については、これもやはり不確定事項であるので、
手放しに賛同することはできません。
しかし、この板の流れをずっと見ていれば、
>>210さんのような考えを持つ方が出てきても全く不思議はない、とは感じます。