じゃあ行くぞ。タイトル未定。コピペ荒らしと勘違いして怒らないでねーん。
病院の中の喫茶室というものは、何回足を踏み入れても、”慣れる”という感覚にはほど遠いものだ。
僕はこの半月というもの、毎日ほぼ二回の割合でこの喫茶室を訪れるたびに、その思いを募らせているが、
人々の談笑も、店内に流れる物静かなイージーリスニングも、僕にとってはどこかが寒々しく感じる。
互いに互いを、悪意とは関係なしに遠ざけ合う雰囲気が、そこにはある。それはきっと、すべての人が
この病院から、全快して去っていくわけではないからかもしれない。…悲観的すぎる考えだろうか?
毎日二回のうち、大概一回目は昼飯を食べるために、もう一回は午後、ちょっとコーヒーを飲みながら、
一息入れるためだ。
つまり、僕自身は、病気や怪我をしているわけではない。
半月前、高校二年になる僕の弟が、所属している陸上部の練習中にアキレス腱を痛めたので、僕が付き添う・・・といっても
僕の役割といえば、弟の愚痴を聞いてやったり、ちょっとした彼の希望、たとえば彼の読みたがっている雑誌を売店で
買ってきてやるとか、そういう些細な手助けしかできないのだが、とにかく家族の中では僕しか彼のそばにいてやる
ことができない環境だということもあって、そんな毎日を送っている。
肛門の気持ちが今、ちょっとだけわかった。
具合が悪くなりそう。
母親は一日に一度は顔を見せるが、仕事を持っている以上は、そうそうつきっきりではいられない。
父親はごく普通のサラリーマンなので、やはり平日は見舞いにさえ来られない。
弟は自分が好きで続けている陸上を、今回の怪我でこの先続けられるかどうか、入院したばかりの頃からすごく気に病んでいる。
彼は陸上部でかなりのいい成績を残してきたから、僕自身にとっても、彼がこの先陸上に戻れるかどうかは気にかかる。
医者の所見では、何ヶ月かかけてリハビリをして、その結果を見てからでないと何とも言えないが、そう悲観的になることもないと
いうことだった。それを聞いてひとまず安心はしたのだが、まずは弟が前向きに治療に専念できるように、彼に邪魔だと
いわれない限りは、僕が付き添うことに決めた。
そして今のところ、弟は時々やけっぱちのような態度はとるものの、少なくとも僕に「邪魔だから帰ってくれ」とは言わないので、
ちょうど大学の授業も一段落ついたこの時期、僕は大学に通う代わりに、毎日病院に通っている。
課題のレポートなら病室でも充分書くことはできるし、弟の勉強の遅れを最小限にくい止めるためにも、この方法はなかなか都合がいい。
あと一ヶ月しないうちに、クリスマスが来る。
病院の外の世界は、もうクリスマス一色だ。だけど病院の中の世界は、相変わらず真っ白なシーツや消毒薬や、冷たい光を放つ
ステンレスでできた様々な医療器具や待合室のビニールレザーの椅子や、そういった無機的なもので満たされている。もしかすると
小児病棟に行けば、クリスマスツリーなんかが飾られているかも知れないが、少なくとも僕が目にする範囲では、そういった
うきうきする雰囲気を遮断するかのように、いつもどおりに病院は”機能”し続けている。この分でいくと僕と弟は、ここで年を
越すことになるのだろう。
堕罪は嫌い。
ただの甘ったれだから。
午後三時半少し前、弟がうとうとし始めた。僕はそれまで窓の外の、すっかり葉を落としてしまった柏の木を眺めながら、
物思いに耽っていたが、弟のまどろみに気がついて、そろそろ喫茶室に行こう、と椅子から腰を上げた。
たばこも吸いたかったし、何より少し気分を変える必要があった。
病院にいると、それほど深刻な病状でなくても、自然と気が滅入ってくるもんだ、ということを、弟だけでなく僕も感じていた。
けど。僕はこうやって気分転換できるだけまだましだけど、弟はそういうわけにいかない。
廊下に出て病室のドアを音がしないように注意して締めながら、僕は弟が今どんな夢を見ているんだろう、と、ふと思う。
一番奥まった、左側の窓際の席で、コーヒーの最初の一口を飲んでから、僕はたばこに火を付けた。
この喫茶室には僕の他に、おそらく入院中の患者とその家族らしい三人連れと、初老の女性が一人いるだけだ。
相変わらずここでは、奇妙に物静かな時間がゆっくりと流れている。
窓の外を見ると、冬の日はもう暮れかけて、中庭の立木を心なしか薄赤い影色に染め始めている。
出入り口の自動ドアが開く気配に、僕は思わずそちらに目をやった。
次は何処へ避難する?
>241 そこがいいざんすよ、感情移入できる(w
N,出ていって欲しい。
「あ」
思わず僕は小さな声を出してしまった。あのひとだ。
ひよこ色のニットのアンサンブルを着た、二十代前半の女性。
僕はたびたび、この喫茶室で彼女のことを見かけた。彼女はいつも一人だった。あの人も誰かの看病をしているのかな、と、
僕は彼女を見かけるたびに、ぼんやりそう思っていた。
彼女の服装はいつも質素で、化粧だって薄くしかしていない。取り立てて華美なところなんかどこにもないのに、僕にとっては、
何か強い印象がある人だった。
それはきっと彼女が、不思議な目をしていたからだ。哀しそうでいて、それでいてこの上なく幸せそうな目。僕はこんな
不思議な目をした人に今まで逢ったことがなかった。好意といいきるにはあまりに曖昧なものではあったけれど、少なくとも
僕が彼女を初めて見かけたときから意識していたことだけは、自分でもはっきりわかっていた。
彼女は従業員からコーヒーを受け取ると、僕の正面の、一つ隔てたテーブルについた。そして、ごく自然に僕と目を合わせた。
目を合わせたのは初めてだけど、やっぱりあの不思議な表情の目に変わりはなかった。
じろじろ見ているつもりはなかったけれど、僕は不意に気まずくなった。ところが彼女は、視線を外すタイミングを失っている僕に向かって、
ほんのちょっと微笑んだ。そしてコーヒーカップと、いったん椅子に置いた小さなハンドバッグを持つと、僕の方に静かに近づいてきた。
リノリュウムの床が、キュ、キュ、と、きしむような音を立てた。
107 にもどればいいざんしょ?
「こんにちは」
僕はいきなりこういう展開になることは考えても見なかったので、少々面食らいながらも、こんにちは、と彼女に言い返した。
「あなたのこと何回かお見かけしていたんです。だから、つい知ってる人に逢えたって気分になっちゃって。ごめんなさい、いきなり。
ここいいですか?」
あ、どうぞ、僕も一人ですから、といいながら、僕は彼女に視線でテーブルの向こうの椅子を勧めた。
多分彼女から見たら、今の僕がかなり緊張していることがはっきりわかっているんだろうな、と思いながら。
僕は灰皿にたばこをぐいぐい押しつけて火を消した。
「ありがとう」
僕は、こういう場合なんと言っていいのか、しばらく考えた。
たとえばこの人が病人の付き添いのためにここにいるとして、その病状が思わしくない場合、どなたかの看病ですか?と聞いていいものか
どうかがわからなかった。彼女はコーヒーを一口飲むと、戸惑っている僕の気持ちを察するみたいに、言った。
Nはいないって(w
「看病って初めてしたけど、体より心が疲れるものなんですね」
僕はようやく話の糸口をつかめた、と思った。
「僕も看病…いや、僕の場合は単なる付き添いかな。弟の入院につき合ってるんです」
「弟さんが」
「ええ。アキレス腱を痛めて、かれこれ半月入院してるんです」
「そうなんですか。半月っていうと、そろそろ入院生活に飽きはじめちゃう頃ですね」
「本人もわかってはいるんだろうけど、いらつくときはあるみたいですね。もっともまだいつ退院していいとか、そういう話が
出てないから、いらいらするのも仕方ないんだけど」
彼女はコーヒーカップの取っ手を指先で撫でながら僕の言葉を聞いていた。
マニキュアもしていないのに、綺麗な指先だった。一つ一つの爪がきちんと整った細長い楕円形で、僕はただ純粋に、その指先を
美しいな、と思って眺めた。
「私はもう二ヶ月経つんです、ここで看病始めてから」
それは大変ですね、と言っていいものかどうか、また僕は迷ってしまった。
「今日は心が疲れてたんじゃないかな。よく知りもしないのに、失礼かもしれないけど。
気を悪くしないで下さい」
迷いながら僕は彼女に言ってみた。
「そうね、きっとそうかも。大丈夫、不愉快になんて思ってないから」
そういうと彼女は僕の顔を正面から見た。
「私が看病してるのは、恋人なんです。正確に言えば彼にとってはそうじゃないんだけど」
「どういうこと?」
「私の方が、彼のことを、一方的に好きになったんです、二年前にね」
「でも今、彼の看病は、あなたがしてるんでしょう?」
「そう…周りから見たら、彼ってなんて勝手な男かと思われるかも知れないけど、私は今、彼に必要とされてることが幸せなの」
「勝手?」
彼女は冷えかけたコーヒーを、また一口飲んだ。そして窓の外に目をやると、後ろで緩く束ねたウェーブのかかった髪からこぼれた
後れ毛を、耳にかける仕草をした。それは何となく僕に、彼女が何かを言いたいのだけど、それを自分の胸の奥に押し戻そうとしている
感じを起こさせた。
実際それはその通りだったのだけど。
「弟さん…」
「ええ」
彼女の心の中に、かすかなさざ波が立ったのを僕は感じた。そして、その波動にできるだけ触らないように
僕は彼女の次の流れを静かに待った。
「あなたの弟さんということは、中学生か高校生?」
「高校二年です」
「一番何もかもが楽しい時期なのに、入院だなんて、ね」
僕は自分の表情が、少しずつ柔らかくなっていくのを感じながら、確かに、と答えた。
「でも、怪我なら必ずいつかは治るわ」
彼女はハンドバッグの中から、白いシガレットケースを取り出し、綺麗な指先でその中から小さな銀のライターを取り出し、
ついでメンソールのたばこを一本つまみだした。
イルカのレリーフがついたライターが、カチッ、と、小さな音を立てた。その一連の動作は、まるで流れるかのように自然で、
優雅で、彼女が胸の奥深くに吸い込んだ一口めの煙をふーっと長く吐き出すまで、僕は思わずそれに見とれていたほどだった。