社会人になって8年目の俺は、だいぶ仕事に余裕が出てきた。
俺は、いわゆるパソコンオタクだったので、彼女など、もちろんいなかった。
毎晩7時半ごろアパートに帰宅して、風呂・めし・テレビ、そしてビールを飲みながら、
ネットでオークションサイトの商品を眺めるのが日課だった。
俺のパソコンは自作だったので、見た目は何の変哲もなく、デカかった。
ある晩、オークションでサーバーのページを見ていると、ラックマウントタイプのコンピュータ
がいろいろ出品されていた。そして、その中の黒い2Uタイプのサーバーに目をとめた。
“なんかかっこいいよな、本物って。プロバイダのコンピュータはこんな感じなんだろうな”
俺はひとりでニヤニヤしながら、思いをいろいろと巡らせた。
〜つづく〜
そのサーバーの値段を見てみると5000円だった。残り1日、誰も入札していなかった。
ペンティアム3の1GHz×2、メモリー512MB、ハードディスク36GB×3、商品数1・・・
なんでこんな良い条件なのに、誰も入札していないんだ。俺は不思議に思った。
出品者の評価を見てみたが、普通だった。でも待った、他の出品商品は洋服や小物。
なんなんだこの人。Q&Aを見てみると、いろいろと質問されていたが、
“友人の代理出品なので、よくわかりません。”と全部答えていた。“だめだこりゃ”俺はつぶやいた。
しかし、とりあえず、マイオークションに入れて、その日は寝た。
次の日の晩、例のサーバーコンピュータがどうなっているか、ネットで見てみた。
残り3時間だった。さすがに5人くらい入札していた。値段はすでに9000円になっていた。
やっぱりダメか。だろうな。俺はしばらく考えていたが、どうしても欲しいと思った。
俺は10000円までなら生活の負担にならないと計算して、思い切って、10000円で入札してみた。
すると、どうやら他の人は9000円までしか入れていなかったようだ。俺は9500円でトップにおどり出た。
俺はワクワクしつつも、ダメかもしれないと思いながらその日は寝た。
〜つづく〜
次の朝、起きてすぐにさっそくネットを見てみると、運良く俺が落札していた。やったぜ!
値段は9500円だった。“なんだ余裕じゃん”と思った。
さっそくメールをチェックすると、“おめでとうございます”のメールがあった。
出品者からも、すでにメールが届いていた。出品者の名前を見てみると、○○S子・・。
女性だ。ふーん、そうなんだ。それで洋服や小物だったのか。
それに、住所が、うちから歩いて20分くらいの場所だった。“おー近くじゃん”俺は独り言をいった。
“手渡し希望と書いて、入金も、その時でよろしくお願いします。”と返信しておいた。
その後、メールでやりとりし、受け渡しは3日後の日曜日、近くの駅の向かいの駐車場ってことになった。
目印は車、黄色のマーチだ。
当然、俺の住所も書いたが、メールは終始事務的だった。まぁ、そんなもんだろうと俺は思った。
それよりも、S子がどんな女性なのか、少し気になった。
“おばちゃんかなぁ、でもおばちゃんがサーバー売るかな”“それともOLとかかな”
でも、いろいろ考えてもしょうがない。俺はこれ以上考えないことにした。
〜つづく〜
受け渡しの日が来た。俺は考えもせずに、自転車で駅の向かいの駐車場へと向かった。
着いてみると、すぐに黄色のマーチを見つけた。俺は車のところへ行った。
ナメられてはいけないと思い、運転席をのぞき込みながら、堂々とした口調で、
“あの、オークションの件の者ですが”と言った。すると中から女性が2人出てきた。
2人ともサングラスをかけていた。“おいおい、なんなんだよ、こわ”俺は思った。
でも、車を出ると、2人ともすぐにサングラスをはずして、“こんにちは”と挨拶してきた。
俺は思わず目を見張った。2人のうちのひとりが、めちゃくちゃかわいい。
年は俺より1〜2こ上だろうか。OL風だ。もう一人のほうは彼女の友達といったところか。
俺はすぐにデレデレとした口調になってしまった。“あの、S子さんですか?代金は9500円ですよね。”
と言って、そのかわいいほうの女性に1万円差し出した。
すると、“はい”と、その女性が手を差し出してきた。(やったぜ!)俺は意味もなく心の中で叫んだ。
“じゃあ500円です。”と、彼女は赤い財布から500円玉を差し出した。その手がとても小さく思えた。
彼女はトランクを開けて、“でも、これ、どうしますか?”と、サーバーを見せて、きいてきた。
俺は自転車だった。サーバーは長さが70センチはあろうか、重さもけっこうあるようだ。
“あ、そうですよね・・・”俺は困った。もう一人の女性のほうが“プッ”と笑ったような気がした。
なんか、かっこ悪かった。
〜つづく〜
結局、自転車の俺の後をマーチで付いてくるという、なんとも間抜けな事態になってしまった。
でも、それ以外の方法が見つからなかった。彼女らはニコニコしていた。なんともかっこ悪かった。
家までの道のりが、やけに長く感じた。それでもやっとアパートについた。
“じゃあどうも、ありがとうございました。”と俺はお礼を言って、トランクルームからサーバーを持ち上げ
ようとした。すると、めちゃくちゃ重い。でも、ここでまたかっこ悪いところを見せるわけにはいかなかった。
俺は腰を入れ、下半身に力をこめて、一気に持ち上げた。
それと同時にマーチの沈んだ車高がグワンともとに戻った。
“あ、さすがですね”とS子さんがニコニコして言った。その大きくてちょっと目尻の垂れた目が
最高にかわいかった。“いやぁ・・”と笑顔で返したが、肩がブルブルしていた。
別れの挨拶をした後、必死で部屋まで持って行った。とりあえず、玄関に置いた。
“ふぅ”。俺はついにサーバーを手に入れた。
〜つづく〜
汗をかいていたので、とりあえず風呂に入った。風呂からあがって缶コーヒーを飲みながら、
サーバーを眺めていた。でも、頭の中では、彼女達のことを思い返していた。
友達風のもうひとりのほうも、けっこう美人だった。“2人とも美人の友達同士、か・・”俺は独り言をいった。
俺はサーバー専用コンピュータを扱うのは初めてだった。でも背面のパネルを見てみると、
普通にPS/2ポートや、ディスプレイコネクタがあるのがすぐにわかった。
俺は、とりあえず、自作機の液晶やキーボード、マウスを繋いで、電源を入れてみた。
すると、ものすごい音でファンが回り出した。
これはまさに、俺の会社の電算機室の音そのものだった。俺は画面をじっと見てみた。
BIOS画面がやたらと長い。しかし、やがて流れが止まった。そして、それっきり変わらなかった。
そうか、OSが入ってないんだよな。
それにしても、“これがサーバーなんだ・・”俺は妙に納得した。
〜つづく〜
あれから数日経って、会社で昼休み、知らない番号から携帯に電話がかかってきた。
俺は、知らない奴からの電話には絶対出ないようにしていたので、無視した。
仕事も終わって、アパートに帰った後、夜、テレビを見ていると、また知らない番号からかかってきた。
俺はしつこい奴だなと思ったが、思い切って出てみた。“はい、どなたですか”
すると、なんと相手は例のS子さんだった。“突然、携帯にかけたりしてすみません。”
彼女は言った。“い、いえ、全然大丈夫ですよ・・”俺は、いきなり立ち上がって答えた。
彼女が言うには、あのサーバーには鍵が付いていて、この前、その鍵を渡し損ねたことを
今日になって気づいたということだった。なるほど、たしかに上面に鍵穴があった。
俺はなんとなく嬉しくなった。また彼女に会えるわけだ。
ところが、彼女は郵送すると言ってきた。俺はすかさず返した。
“またあの駐車場じゃ、ダメですか?”
彼女は少し黙ったが、“あ・・はい、では・・日曜日の・・10時でどうですか?”と言ってきた。
“はい、もちろんOKです!”
(やったぜ!)俺は心の中で叫んだ。
〜つづく〜
日曜日がきた。俺は自転車を飛ばして駅前の駐車場に着いた。マーチはいなかった。
まだ9時40分だった。俺はコンビニに入り、パソコン関係の雑誌を立ち読みしながら待つことにした。
そろそろ10時になった。コンビニから出ると、自転車を押して駐車場に向かった。
まだマーチは来ていなかった。そのまま待った。10時10分になった。渋滞してんのかなと思った。
その時、後ろから声がした。振り返るとS子さんだった。この前と違って、今日はスカートだった。
彼女は笑顔で俺を見上げ、“お待たせしました。”と、頭を下げながら言った。
頭を下げたとき、彼女の長い髪がサラサラと流れるように垂れ下がって、
今度は、その長い髪を手でかき上げながら顔を上げた。
“いえ・・” 俺はすでにデレデレしていた。
“あ、車じゃなかったんですね。”と俺は言った。彼女は歩いてきたらしい。一人だった。
“あれは、友人の車なんです。”と、彼女はニコニコしながら言った。
ちょっと潤んだような、彼女の大きな目が、すごくかわいかった。
“じゃあ、喫茶店かどっか行きますか?” と俺は言った。
“えっ?” 彼女は不思議そうな顔をした。
そうだった。デートじゃないんだよ、鍵なんだよ。俺は鍵のことなどすっかり忘れていた。
“じゃなかった、鍵ですよね、鍵・・” 俺は恥ずかしかった。
彼女は“フフッ”と笑った後、“はい”と言った。その笑顔がまた最高にかわいかった。
〜つづく〜
彼女は、バッグから鍵の入った袋を取り出して、小さな手で俺に差し出した。
“手間をとらせて、すみませんでした。” 彼女はもう一度頭を下げた。
“いや、ぜんぜん、俺は大丈夫ですから”と、俺は、鹿威しのように何度もカクカクしながら言った。
“では、これで。”と彼女はさらにもう一度頭を下げてから駅の方に行こうとした。
“はい・・” 俺は何か言いたかったが、ぜんぜん思いつかなかった。
でも、このままで終わってしまうのが、どうしてもいやだった。でも言葉が、言葉が思いつかない。
俺がモジモジしているうちに、やがて彼女は道路を渡り、駅の中へ歩いて行ってしまった。
なんてダメな男だ。。。俺は自分が情けなかった。
アパートに帰ってきた。玄関の鏡で自分の顔を見てみた。情けない顔だった。
でも、気を取り戻して、せっかく鍵をもらったのだから、サーバーの中を見てみることにした。
俺は袋から鍵を出して、サーバーの上面にある鍵穴に鍵をさし、フタを開けてみた。
確かにCPUが2個ついていた。メモリーは2枚ささっていた。
“256MBが2枚なのか・・”などと独り言をいいながら俺はサーバーをじっと見ていたが、
ふと、袋に小さなメモが入っているのに気づいた。
メモには、“インストールでわからないことがあったら訊いてください。S子”と書いてあった。
“やったぜ!”俺は立ち上がって叫んだ。
〜つづく〜
彼女に連絡する口実ができた俺は、すっかり元気を取り戻した。
でも、よく考えてみると、あんなにかわいい彼女がインストールのコツを語るとか、考えられない。
それとも、もしかして、彼女もパソコンオタクなのか??
いや、それはどう考えてもありえない。
じゃあ、もしかすると・・いや、やっぱり・・彼氏がいるのか・・
俺はまたすぐに元気をなくした。
それでも、とりあえずコンピュータに Linux をインストールしてみることにした。
たしか古い雑誌の付録についていた Linux の CD があったはずだ。
俺は CD を探し出し、さっそくインストールしてみた。インストールが終わると、CDが自動で排出された。
再起動すると、また、長い BIOS 画面が始まった。しばらくすると OS を読み始めたのがわかった。
良い感じだ。しかし、その直後、“パニック”と表示したきり、止まってしまった。
“えぇぇーっ”俺はひとりつぶやいた。
〜つづく〜
エラーメッセージの部分をじっと見てみたが、意味がわからなかった。
もう一度、再起動してみたが、やっぱり同じところで止まってしまった。
インストール中は、GUI もきれいに表示していたし、ぜんぜん問題なかったのに、
なぜ起動しないのか、わからなかった。
でも、インストールした OS が古いバージョンのものだったので、ネットで
最新バージョンのものをダウンロードしてインストールしてみることにした。
最新バージョンをダウンロードするのに1時間かかった。
さっそくインストールを開始してみた。古いバージョンのインストール画面といっしょだった。
俺はしょんぼりしながらも、インストールを完了した。そして再起動してみた。
“おっ” 古いバージョンのときと違って、今度はどんどん画面が流れていった。
そしてついに起動が完了した。やったぜ!ついに俺は Linux をインストールする事に成功した。
でも、これで、彼女に連絡する口実もなくなってしまった。
はぁ・・ 俺はひとりため息をついた。
〜つづく〜
一週間が過ぎた。サーバーはうるさいので起動していない。
それに、あれを弄りだすと、また彼女を思い出してしまうからだ。
会社で昼休みに、うちの課の女性社員のK子とM美が俺に話しかけてきた。
今夜、居酒屋に行こうということだった。ちゃんと割り勘だからと言っていた。
俺は、それまで、彼女たちとは仕事の件で話すくらいで特に仲が良いわけでもなかった。
なのに変だなとは思ったが、女性達から誘われて断る理由もなく、すぐにOKした。
待ち合わせ時間になって居酒屋の入り口に着くと、彼女達はすでに立っていた。
ふと、彼女ら2人の後ろに立っているもう一人の女性に目をとめた。S子さんだ!
こんなところで会うなんて、すごい偶然だと思った。でも、それは偶然ではなかった。
K子が俺に言った。“S子さんの友達のK子でーす!”
そして今度は、“同じくS子さんの友達のM美でーす!”とM美が言った。
K子は、“S子さんは私たちが通っているパソコンスクールの先生なんだよぉ!”と教えてくれた。
さらに2人は、いろいろと俺にいきさつを話してくれた。そして最後に、
“じゃ、あとはお二人で”と言い残してどこかへ行ってしまった。
〜つづく〜
俺は最高に嬉しかった。何というシチュエーションだ。でも驚いた。
S子さんが、K子とM美の知り合いだったなんて。
3人は、パソコンスクールの先生と生徒の関係で、女性同士なので、すぐに意気投合して、
話しているうちにオークションの話になって、それで偶然、俺のことを知ったらしい。
でも、俺には、K子とM美が天使に思えた。
俺はとりあえず正直な気持ちを言った。“またS子さんに会えて、俺、嬉しいです”
すると彼女は、“はじめまして、S子です”と言って、“プッ”と笑った後、大きな目でニコニコして俺を見た。
最高にかわいかった。
俺も調子を合わせて、“こちらこそ初めまして、どうぞよろしく”と言った。
“もしよかったら、ここの居酒屋で食べていきませんか?”おれは素直に言えた。
彼女は、“はい、じゃあ、ご一緒させてください。”と言った。
“やったー!” 俺は人目なんか気にせず叫んでいた。
それを見て、彼女はコロコロと笑っていた。
〜おわり〜
(この話はフィクションです)