1 :
ななし :
2001/06/01(金) 09:11
2 :
NANASHI :2001/06/01(金) 13:23
ミステリ評論家、各務三郎氏が“タフガイ・ノベル”という、ハードボイルド内の いちジャンルとして分類しておりましたっけ。(あと、M・スピレインなんかも) ひとの生き死にを独特の文体を用いて描くという点では“ハードボイルド”だと 思いますが、センチメントに欠けるもので、イマイチ好きになれんのですわ。
3 :
名無しのオプ :2001/06/01(金) 15:30
手許の英和辞典より hard-boiled(形) 1.(卵が)固ゆでの 2.(人が)感傷的でない、無常な、ドライな; (文体などが)非常な、ハードボイルドの; 現実的な、皮肉な 手許のアメリカンスラング、口語表現辞典(洋書)より hardboiled(mod) tough; heartless. すぐ出るのはこんなもん。 文学用語、ジャンルフィクションの名称としての「ハードボイルド」に関して まじめに考えたい人は、こんなとこで馬人様の御高説をうかがうよりは 小鷹信光の著作を読んだほうがいい。 ハードボイルドという語の定義や用法について詳細に論じている 『アメリカ語を愛した男たち』がちくま文庫で読める。 ただ、馬人様の言いぐさには多々問題を感ずるが、 センチメントとハードボイルドを結びつけるのが日本ローカルの慣習なのは事実。 もともと「ハードボイルド作家」にはジェームス・ケインなんかも入るんで、 個人的には大薮春彦を「ハードボイルド作家」とされてもさほど違和感はない。 あとは趣味の問題。
4 :
名無しのオプ :2001/06/01(金) 16:14
>>3 ここは辞書の棒引きを紹介する場ではないことに留意されたい。
>小鷹信光の著作を読んだほうがいい。
読むのは結構だが鵜呑みはだめだ。
あくまでひとつの見解としてうけとられたい。
>「ハードボイルド作家」にはジェームス・ケインなんかも入るんで個人的には大薮春彦を「ハードボイルド作家」とされてもさほど違和感はない。
ケインと大藪氏を同列にあっかうセンスを疑う。
もっと素直になれ(藁
5 :
名無しのオプ :2001/06/01(金) 16:18
ハードボイルドの定義を、文体としてのそれではなく、 「自分を貫き通す生き様」を内容とするものと定義するなら 大藪もハードボイルドに入れてよいと思う。 センチメントの有無に関しては、生き方において感傷的なや つもいれば、極力感情を殺す人間もいるというくらいの違い しかないのではない、と思うから。 ただ、大藪をハードボイルドに入れたくないという意見は、 大藪の描く人間像が、チャンドラーや大沢在正が追及する崇 高性といったものと相容れないからではないだろうか。
ちなみに、上は、「崇高性」を肯定するものではない。 個人的には、「卑しい街をゆく騎士」みたいなものがハードボイルドの 中心的なテーゼとは思っていない。 「確立された自我」は別に欲望と結びついていてもよいと思うから。 まあ、これは、ハメット「血の収穫」が一番好きなせいもあるけど。 ただ、大藪作品では、「ヘッド・ハンター」あたりだと、案外スンナリ ハードボイルドといってよい気がする。
7 :
名無しのオプ :2001/06/02(土) 00:39
>>5 書斎魔神です。
論旨にはおおむね同意いたします。
しかし、
>大藪作品では、「ヘッド・ハンター」あたりだと、案外スンナリ ハードボイルドといってよい気がする。
この一文はイマイチ納得いかない感じです。
是非、「野獣死すべし」の評価を聞かせてください。
>>4 >ここは辞書の棒引きを紹介する場ではないことに留意されたい。
これは別に君のために書いた訳ではない。
>明らかに勉強不足だ。ハードボイルドスタイルとはもともと
>小説の叙述のスタイルをいう。
などということを書いている以上、この程度のことは当然折り込み済みの
はずだろうし、むしろ本来君が自説の根拠として提示するのが筋だろう。
それを提示していないから書いたまでのことだ。
君のような知的エリート様と異なり、我々凡俗のものは多少なりと根拠が
示されなければ、納得するものもし得ない。
>読むのは結構だが鵜呑みはだめだ。
>あくまでひとつの見解としてうけとられたい。
これもバカバカしい。
君ではないのだから、誰も「鵜呑みにしろ」などとは言わない。
そもそも前掲書はあくまで「定義や用法について論じた」書物であり、
鵜呑みにするような性質のものではないのだ。
まじめにハードボイルドという言葉について考えたいのなら、
君の予備校教師のような「これが正しいから、とにかく暗記しとけ」的な
御高説をトップダウン式に承るより、考える方向性を実証的に
いろいろ示唆してくれるものを読んだ方がいいのは当然だろう。
そもそも君の御高説は前述の根拠を論証しないこと含め、
「なんとか倶楽部で定説だから」という以上の実証性は絶無ではないか。
それでは単なる印象批評だろう。
別にそれはそれでよいが、そんなものは少なくとも私の役には立たない。
>ケインと大藪氏を同列にあっかうセンスを疑う。
>もっと素直になれ(藁
なにか気に障ったのなら謝罪する。
ケインを例に挙げたのは「ピカレスク」の語がたとえば
>>2 などで
まるでハードボイルドの反対概念のように使われているのが気になったからだ。
ケインは「hardboiled writer」で『郵便配達は〜』は「picaresque novel」だが、
それで別になんの問題もない。大薮についても同様である、という以上の他意はない。
個人的にはケインにも大薮にも同じくらい思い入れがないので、
その部分に関して熱弁を振るわれても聞く耳は持たない。以上。
読みごたえあり。説得力あり。 ねつてつさんですか?
10 :
5 :2001/06/02(土) 11:08
>>7 まずはじめに、個人的には、初期大藪作品は、ハードボイルドに
カテゴリーしても、何ら遜色はないと思う。
今回の議論では、論者のハードボイルド観が問われることになる
ところ、自分としては、「価値観実現のための克己」あたりが妥
当ではないかと考える。
大藪作品においては、この価値観を欲望と置き換えてよいわけだが、
「野獣」「金狼」「英雄」などの初期作品には、そこに向かうス
トイシズムがあった。
なぜ、後期作品の評価が低いかというと、マンネリズムもあるが、
主人公の態度に享楽・飽満が見られるからではないだろうか。
例えば、「アスファルトの虎」も、当初の、目的のためには泥も
かぶるという高見沢のテンションが持続できれば、傑作とまでは
いわなくても、秀作にはなったと思う。
そうした中で、「ヘッド・ハンター」は、派手さこそないが、ビ
ックゲームのために己を律するという点で異彩を放っており、か
つ、ハードボイルドに入れることができるのではないかと考えた
次第。
最後に、「野獣」は、自分にとっても大藪作品の原点であるだけ
でなく、日本のハードボイルドでも5指に入ると思っている。
11 :
ねつてつ :2001/06/02(土) 11:22
>9 違うよ。 ただ、結構ハードボイルドは読んでて国書刊行会の『ブラック・マスクの世界』 箱入り豪華本セットを持ってたりしてた者としては、ハードボイルドをたった一 つ二つの定義で考えるのは、変だと思わざるを得ない。 それまでの古典的本格への「作り物批判」からリアリズムとしての流れができた こと、後続の作家にはウェスタン系からの参入が結構多かったこと、ファン層も すぐに、リアリズムだけでなく、ヒーロー物、犯罪物、ある種の道義色、センチ メンタリズムなどに嗜好が分かれていたことなど考えていかなければなるまい。 元々が大衆小説の1ジャンルなのだ、時と共に変化して当然。本格のように、形 式が固定化してしまえばリアリズム色は薄くなる。根っこの部分で、リアルさや 面白さで新しい物を模索していかなければならないという宿命を負っている点で は、SFに近いのかもしれない^^ 日本においては、大藪春彦がピカレスク・ロマン的な作品で有名になりすぎたた めに、ハードボイルドが紙芝居的になっていた時期が長いように思う。 日本人は派手な宣伝に弱く、マンネリを好むということの証明かな? 現在のアメリカでは等身大のリアリズムへの指向からか、ソフト路線、フェミニ ズム的な方向へのアプローチがされているようだけど、この先だって変わってい くものなのだろう。 ジョナサン・レセムなんて、結構面白い方向だよなあ^^
>>11 >日本においては、大藪春彦がピカレスク・ロマン的な作品で有名になりすぎたた
めに、ハードボイルドが紙芝居的になっていた時期が長いように思う。
大藪作品をひとくくりにして紙芝居と切り捨てている点
において到底首肯できない論旨である。
「野獣死すべし」「蘇える金狼」「復讐の弾道」等の
初期作は内容的に悪漢小説の要素が濃厚である。
しかし人物造造ひとつを例にとっても目的に向う
ストイックな不屈の精神性もつ人間としてビビッドに
描ききられており、到底紙芝居(例えばポプラ社の
アルセーヌルパン)の登場人物などと言える軽い
類のものではない。
しかし中期から後期、エアウエイハンターシリーズ
の後期の作品や処刑シリーズ等の集団アクションもの
などは、娯楽性を前面に出した大人の紙芝居という
表現をもってしても妥当といえよう。
13 :
ねつてつ :2001/06/02(土) 12:44
>11 ん? いや、大藪春彦が「紙芝居」だと言ってるわけではないよ。 大藪春彦の大ヒットで、読んだ人達が「ハードボイルドとはこ ういうものなんだ」と割に狭い定義を作ってしまい、ハードボ イルドを書こうという後進が硬直化、どうしても大藪風スタイ ルの出来の悪い焼き直しになってしまったような印象があるっ て話。 面白いことに、日本では時代小説という形でハードボイルド的 なストイック指向とか下地としてあったのに、一時のハードボ イルドがアクションとセックス一辺倒になりがちだったのは、 なんか変だよね^^
14 :
レッド・ダイアモンド :2001/06/02(土) 12:57
小学6年生のとき「野獣死すべし」を読んで、伊達邦彦のあまりの無軌道ぶりに ウブな私は呆然としたものでしたが、スレっからし読者になったいま、大藪作品 を読んでみると、あまりの劇画チックなハチャメチャぶり(「暴力列島」!)に 大笑いしております。
15 :
名無しのオプ :2001/06/02(土) 16:14
>元々が大衆小説の1ジャンルなのだ、時と共に変化して当然。 アメリカ英語の「hardboiled novel」はもともとは文芸批評から出た言い回し、 小説のジャンルを指す言葉ではない。 パルプのジャンル名は「detective novel」や「thriller」。 個人的にはカタカナの「ハードボイルド」は「日本語」だとしか思えないので、 「本来のハードボイルドは〜」とか「もともとハードボイルドは〜」といった 形で欧米の語法とごっちゃにして語られると違和感がある。 意味や作品の適用範囲はともかく 「日本にハメットやチャンドラーが紹介される際つくられた造語」 といったあたりが「もともとのハードボイルド」じゃないのか?
16 :
スレ立て本人 :2001/06/02(土) 16:17
過去に俺は「ハードボイルド」のことを >感傷を排した文体や展開など、小説作法のテクの一種として認識すべきだ。 と云ったし、俺の論争相手もそのあと >ハードボイルドスタイルとはもともと小説の叙述のスタイルをいう。 と云っとる。まあ、結局同じことをいっとるわけだ。 さて、「ミステリ」としてのハードボイルド小説とは、 「自分を貫き通す生き様」By >5 を追求するものでもなければ、 「価値観実現のための克己」By >10 する人物を描くものではない。 つまり主人公が自己を実現するものではなく、 非情(情けが無いという意味ではない)で 強い意志をもつものが俯瞰する「世界」を描くものだと思うのだ。 それを描く最も適切な手法として上述の「スタイル」が選ばれている。 「生き様」や「克己」は結果として生まれるものに過ぎない。 (面白さの要因ではあるが・・・) 絶対条件ではないが、主人公の生き様そのものを描く小説では、ない。 主人公の行動そのものを描く小説でも、ない。 (飽くまでミステリとしてのハードボイルドのことを 言っていることをお忘れなく) >12は大薮の作品を >しかし人物造造ひとつを例にとっても目的に向う ストイックな不屈の精神性もつ人間としてビビッドに 描ききられており と云い、そこにハードボイルドとしての意義を見出しておる。 (言い訳するなよ。他でも「精神性」という言葉を使っておるぞ) 確かにそれは大薮の魅力のひとつだ。 大薮の作品の主眼は「魅力的な主人公」が「不屈の精神」をもって 「自己」の意志を実現させようとするところにある。 それはフランスの復讐小説、たとえば「モンテクリスト伯」や 初期の「大菩薩峠(後半かなり主人公は迷う)」にも通ずるところがある。 そのようなジャンルの小説を何と云うか? ピカレスクというのがもっともふさわしい。 (そういう意味で俺にとってケインの「〒」やチェイスの諸作もハードボイルドではない)
17 :
名無しのオプ :2001/06/02(土) 16:46
このスレに書き込む奴らの特徴。 1.文章が長い 2.マジメ 読んでるぶんにはおもろいから、せいぜいがんばってくれ。
18 :
スレ立て本人 :2001/06/02(土) 18:23
云い忘れてた。もうすこし云わせてくれ。 失礼を承知で苦言を呈させていただくが、 「乱歩賞」スレから俺と論争している、多分 >4、>12 さん。 君の論証は基本的に、先の論者の言葉を引用し、 それにコメントを加えることから成立っておる。 たしかにそれは楽だ。 しかしそのコメントは、先の論者がびっくりするような 被害妄想的拡大解釈、 (たとえば俺が「純文学至上主義者」であったり、 大薮の小説を「通俗として切って捨てる」ことをしているとしたり、 >11 の ねつてつさん が大薮の作品を紙芝居的と「切って捨て」 たとするなど) であり、自説を述べるため意識的に捻じ曲げられているとしか思えん所がある。 あとで否定しなきゃならんから大変なのだ。 もう少し芸のある論評をしてくれ。
>>16 >言い訳するなよ。他でも「精神性」という言葉を使っておるぞ)
しないよ信用ないなあ(当然か?)
>非情(情けが無いという意味ではない)で
強い意志をもつものが俯瞰する「世界」を描くものだと思うのだ。
ハードボイルド小説の描かんとする世界観として
同感。厭らしいと思われるのを覚悟でコピペした。
しかし、俺は前述したとおりこの世界観描く前提として
主人公の不屈の精神性が作品の底流にあるべき
だという考えだ。
これは卵の黄味の部分あるいはコアともいえる
ハードボイルド作品成立に不可欠の部分と考えている。
これを欠く作品はハードボイルドの手法を真似た
似非としか思えない。ハメット、ゴアズ、大藪あるいは
初期のスターク等の作品には俺の言うコアな部分が
たっぷりあるように思う。
そもそもハードボイルド(特に日本の場合)は
本格ミステリのような厳密な定義を試みるのには
不向きな分野ではないかとも考えている。
批判を受けるのを覚悟のうえで例え話しをすると
本格ミステリが右脳で鑑賞するものであるとすると、
ハードボイルドは左脳で鑑賞するものではないかと
思う。さすれば、個人の感性の差、相異により
ハードボイルド小説のカテゴリーの把握は相違して
当然ということになろう。
つづく
より敷衍すると、例えば、「血の収穫」を読み 「えっ!全然不屈の精神性なんか感じらんない」と言う者 がおり、それが仮に可愛い女の子ではない熊襲のような男だ としても「逝って良し!」などとは言えないわけである。 これはひとえに感性の問題であり仕方のないこである。 また、ハードボイルドのカテゴリーは人それぞれの感性でとらえた十人十色で良いわけだから、「ハックルベリーフィンの冒険」がハードボイルド小説最高峰と言う者がいてもいいわけである。 糾弾するようなことがあってはならない。 つづく
このスレでは質問とスレの趣旨から外れて 悪いが(毎度のことだが)本の話しをしたい。 スレ立て本人さんに聞きたいのだが 1 16のレスの前半は私的ハードボイルド感ということで いいのだが、何故、ハードボイルドミステリに限定した のか?へミングウエイの「殺し屋」という短編などこの レスで書かれている定義に照らしてもいいテキストに なると思うのだが。 2 同じく16のレス後半のピカレスクロマンの定義をどう把握 されているのかを知りたい。 普通外国作品では「赤と黒」のようなものを指すのでは ないか? 通説ではない見解と理解してよろしいのか。 通説をとると大藪春彦の作品にはどうみてもピカレスク では無いがハードボイルド作品と思えるものがあるがどうか? 本の紹介 「孤独な噴水」 吉村 昭 文春文庫 他スレでも紹介したが純文学・記録文学の大家の手による ミステリでないハードボイルド小説のの佳作と思う。 多くを語らないので未読であれば是非読んでください。 質問への回答 >もう少し芸のある論評をしてくれ。 芸がないのではなく、これが小生の持ち芸のひとつ故に御任恕 していただけければ幸いです。
22 :
5 :2001/06/03(日) 01:49
>>16 「感傷を廃した文体や展開」という言い回しは、洒落た警句に支えられた
センチメンタリズムという、従来のチャンドラー的ハードボイルド観に対
して、ハメットこそ本流だとする意識ととってよろしいのだろうか?
ハメットをハードボイルドから除外するなという趣旨なら、首肯できる部
分は大きいが、チャンドラーは、本来の意味でのハードボイルドではない、
とまでは言い切れないように思う。
ハメットを、ハードボイルドと感じるのと同様に、チャンドラーもまたハ
ードボイルドの冠を受けるに値すると認めてよいと思うから。
そこで、「正義を貫く」マーロウと、「漁夫の利を狙う」コンチネンタル
・オプの共通項を見出さねばならないとして、「自分なりの価値観を貫こ
うとする生き様が描かれている」という点に着目することはできないか。
その際、叙情的に表現するか、一切の感傷を廃した記述を選択するかは、
「ハードボイルド」の本質を決定する絶対的な要因となり得ないと考える
が、どうだろうか。
いや、それは、本来の意味でのハードボイルドではないといわれれば、そ
れまでなのだけれども。
長文ばっかで誰が誰だか分かりにくい。 捨てでいいから名前使ってやってくれないかな。
24 :
名無しのオプ :2001/06/03(日) 17:16
21です。 J・Mケインはアメリカ風ピカレスクロマンの典型に思えてなら ないがいかん?勿論「郵便配達は2度ベルを鳴らす」をテキスト としての話しだが。 俺が読んだケインはこれと「殺人保険」(新潮文庫)のみだが。 白状しとくと、「ミルドレッドピアース」は読んでいない。 ちなみにケインの作品は本国ではミステリとは位置付けら れていないらしい。
25 :
スレ立て本人 1 :2001/06/03(日) 17:18
>21 ヘミングウエイの「殺し屋」はハードボイルドスタイルの見本と言われているよね。 「感傷を排した文体や展開など、小説作法のテクの一種」 を用いた作品としては まぎれもない純粋なハードボイルドであると云っていい。 ただ、作法としては、「ニック・アダムス」と云うシリーズキャラが「遭遇」する 「世界」を描いていることを忘れないでほしい。 殺し屋がくることを判っていながら逃れる事をしない男をめぐる、第三者が見た、「世界」だ。 「インデアン部落」や「拳闘家(一番好き)」も同じだ。 その「世界」は「救いのない現実世間」であったり、「イタい人々」であったりするわけだけど、 文章は飽くまで簡潔に、ニックの内面心理描写などを行なうことなく、 「世界」を描くことに成功している。 でも注意して読めば、ニックが状況により取る「行動」で、 彼の当惑や、優しさが判るようにもなってるよね。 ハメットが作品を発表したのはほぼ同年代のはずだけど、 同じような方法論をとっている。 (どちらが影響を与えた、というより、時代の気運というもんだろうか?) オプやスペードがとる行動の根幹は、「プロ」として自らが課した規律 に基づいていると思われるのだが、いちいちそれを文章で説明してくれることはないので、 しばしば「ひでー奴だな」とか「自分勝手」と俺たちは思う。 ハードボイルドスタイルはこのように制約の多い小説だ。 つきつめれば、「消しゴム」のように、ホントに無味無臭の世界になってしまう。 早晩袋小路に入るのは目に見えている。 (続く)
26 :
スレ立て本人 2 :2001/06/03(日) 17:20
(続き) そこで後進の作家たち(特にエンターテイメントの分野の)は工夫をしたんだと思う。 ハードボイルドの小説世界は魅力的だけど、どうも感情移入しにくく、方法が限られる。 なにかオカズをつけよう、と。 その方法論で作られたものが、「ミステリーとしてのハードボイルド」と考える。 例えばチャンドラーは「非情冷静で強い意志をもつものが俯瞰する(犯罪)世界」という、 ハメットが創始した世界を踏襲しつつ、その眼を担う第三者にすこしは内面描写を取り入れ、 (但しほかの登場人物についてのそれは厳禁) いかにもアッメリカ受けしそうな「正義」と「感傷(さすがに正面きっては描かないが…)」 のオカズをつけた。 この手法は瞬く間にひろがり、さまざまな分枝を生んだ。 大変魅力的な小説群である。 厳密な意味での「それ」ではなくても、チャンドラーなど後進の作家の功績は 否定することは出来ない。ハードボイルドミステリとして認知すべきである。 どちらかと言えば、ハメットより、俺はチャンドラーの方が好きだ。 これで>22の方への返答にもなっただろうか? (続く)
27 :
スレ立て本人 3 :2001/06/03(日) 17:21
(続き) 反対にピカレスクの範囲は非常に広い。 小説の主眼は、ひとり(あるいは複数)の主人公の行動(あるいは活躍)を 描くことにある。ただ、絶対的な条件として、その主人公には、多かれ少なかれ、 「反社会的」な志向がなければならない。 小説など読むような俺たち凡庸なパンピーは、一般社会の「枷」がある。 その反動として昔から連綿と読みつづけられてきたジャンルだと思うのだ。 その作品の底辺に「思想」があっても、なくても良い。 「パルムの僧院」は「赤と黒」に勝るとも劣らぬピカレスクだ。 御指摘のとおり、吉村昭には「不屈の精神性」を持った「反社会的」な「人物像」を描く 小説がある。「破獄」しかり「長英逃亡」しかり。すばらしいピカレスクだ。 ただ、ピカレスクの小説世界は、飽くまで「主人公」を描くことにある。 その「世界」は主人公を中心に回っている。 それがハードボイルドとの違いだ。 しいて大薮の作品をジャンルわけするとしたら、どちらがふさわしいだろうか? 俺はピカレスクだと思う。 みなさんの意見はどうだろうか? 長く書いてスマソ。
28 :
3 :2001/06/03(日) 19:17
15も私だ。
>>24 >ちなみにケインの作品は本国ではミステリとは位置付けら
>れていないらしい。
これはどこの世界のなんという国のことか?
rec.arts.mysteryでもHardboiled Web Ringでも
James M. Cainで死ぬほど書き込みやファンサイトが引っかかるのだが。
Amazon.comの『郵便配達〜』のスタッフレビューはオットー・ペンズラーで
>James M. Cain's first novel, The Postman Always Rings Twice,
>is the noir novel that paved the way for all the noir fiction that followed.
なんてことが書いてある。「noir」の語と「hardboiled」の関連には
いまだに自信が持てないが、ペンズラーにレビュアーをやらせている時点で
少なくとも「ミステリと位置付けられていない」とは思えない。
根拠を示されたし。
>>28 ずいぶん前になるが、誰か(早川の世界ミステリ全集の翻訳者?)のエッセイか解説で「アメリカの読者には
ケインはミステリ作家として読まれていないのでは」という趣旨の文を読んだ記憶があるので軽い話題として書いてみた。根拠薄弱でスマン。
記憶によればアメリカのハードボイルドミステリを
紹介した有力な文献にケインの名が無かったというのが根拠になっていたようだ。
反論する気もないし、以上全くでたらめ、思いつき
で書いたわけでないことだけご理解いただければ
充分。手をわずらわせてすまなかった。
30 :
3 :2001/06/03(日) 23:04
最初から「全くでたらめ、思いつき で書いた」などとは思っていない。 単に「よく調べもしないで読んだことを鵜呑みにしていた」だけだろう? 書斎魔神氏としてはそちらのほうが問題なのではなかったのか。
31 :
名無しのオプ :2001/06/04(月) 01:39
>>3 理路整然と自説・反論を展開されるので、俺もこのスレでは
真摯に対応していたつもりだ。
しかし、30のレスは煽りとしか理解できない。
>ちなみにケインの作品は本国ではミステリとは位置付けら
れていないらしい。
断定的に書くのは避け、スレのテーマでもないので、軽い話題
として記したまでだ。真面目に書いた謝罪のレスもした。
そもそも俺にとってケインなどどうでもいい作家だからな。
それはともかく、追い討ちをかけるような30のレスは納得が
いかない。
そもそも俺が嫌いなら何故書斎魔神とわかった時点で論議
を打ち切らないかった?
お前も随分悪趣味な奴じゃないか。
32 :
3 :2001/06/04(月) 02:40
>>31 煽りかどうかなどどうでもよい。
私が君をどう思っているかなどくだらないことだ。
私は単に
>>4 の
>読むのは結構だが鵜呑みはだめだ。
を鸚鵡返しにしているに過ぎない(君によれば「真摯な対応」なのだろう?)。
追い討ちをかけられるのは納得がいかない?
自分は確信犯だが、他人には真摯さを求めるというのか?
寝言は寝てから言い給え。
33 :
名無しのオプ :2001/06/04(月) 08:03
↑悪趣味と言うのは大賛成。 海外のサイトをあたって引き合いに出すのがお得意のようだが、 英語読むだけなら早見優や西田ひかるにでもできる。
>>3 わかった。本物の3さんらしいきちんとした対応だ。
寝つかれず、一杯入っていた(ハードボイルド関係のスレに合
わせてバーボンウイスキー銘柄はジムビーム)ので大変失礼
しました。
>御指摘のとおり、吉村昭には「不屈の精神性」を持った「反社会的」な「人物像」を描く 小説がある。「破獄」しかり「長英逃亡」しかり。すばらしいピカレスクだ。
ただ、ピカレスクの小説世界は、飽くまで「主人公」を描くことにある。
その「世界」は主人公を中心に回っている。
それがハードボイルドとの違いだ。
また、コピペかと嫌がられるかもしれないが、必要と判断して
おこなった。
まず、俺は「孤独な噴水」という作品のみをハードボイルド小説
と判断して推奨したのみで、吉村作品全体につき論じたつもりは
ない。前半部分の文章に誤解が感じられるように思う。
さらには、「破獄」「長英逃亡」は歴史小説あるいは記録文学で
あり、たとえ不屈の精神性を持つ人物が魅力的に描かれていようとも、テーマは主人公をはじめとした登場人物の生きた時代を
描くことにある。読んだ限りでも、とても「世界」は主人公を中心
に回ってているとは思えない。むしろ、逆に時代の波に呑みこまれてもがく人物像を描いている。
この点を考えると、貴君の定義にあてはめても両作品ともに
ピカレスクロマンとは言い難く思うが如何?
35 :
スレ立て本人 :2001/06/04(月) 19:34
>>34 う〜ん、「長英逃亡」に関してはそうかもしれん。
御指摘の通り訂正させてもらう。すまん。
もひとつ。「孤独な噴水」という作品は浅学にして四度欄。
コメントできん。これもすまん。読むよ。
「破獄」はピカレスクだよ。まあ、ジャンルにこだわる必要はないかも試練が。
大薮に関してはどうだ?
突っ込んだ見解を聞かせてほしい。
>>35 本物でよかった。(W
さて大藪春彦についてだが、作品別に判断したほう
がいいように思う。
過去レスにあるとおり、俺は各個人のの感性により
ハードボイルドか否か判断しもてさしつかえないと
思うが、これでは大藪作品=全部ハードボイルド
その逆もまた真、となり思考停止状態これでは
つまらん。
そこで、自説の「不屈の精神」にこだわると、
「野獣死すべし」シリーズ(パロディの渡米編は除く)
蘇える金狼等に」代表される初期作
悪の魅力充満のピカレスクロマンにも見えるが、
やはり主人公の暗い情念による不屈の精神を描く
ハードボイルドではないか。
読後感も意外に爽快感は無い重い感じが残る。
完全にピカレスクでなくハードボイルドなのは
「探偵事務所23」だ。
もう少し整理してまた書きたいが、大藪氏には
ハードボイルドでもピカレスクロマンでもない
娯楽アクション小説とでも形容したほうがいいような
作品群もあるように思う。
37 :
名無しのオプ :2001/06/07(木) 20:42
大藪春彦の作品を俺なりに検討してみた。 ・娯楽アクション小説の系統に属すると思われるもの 「狼は復讐を誓う」以降のエアーウェイハンターシリーズ 「絶望の挑戦者」「長く熱い復讐」「黒豹の鎮魂歌」 「傭兵たちの挽歌」等のリベンジャーもの 「裁くのは俺だ」「暴力列島」「人狩り」等 まだまだあるが、上記の作品群に共通すると思われる特色 は、いづれも主人公の情念や不屈の精神性といったものは 作品を読んだ限りではあまり感じられず、アクションの連続で 読ませるいい意味での大人の紙芝居徹した感がある。 従って、「野獣死すべし」に代表される初期のハードボイルド 作品(俺はこう判断している)に比較して、作品自体に重厚さは 無いが、逆にリベンジャーものでも重苦しさが無く気軽に読める 男のエンターテイメントに仕上がっている感がある。 大藪氏もこれを意識して書いたのであろうが、これは大藪作品 が幅広い読者に受け入れられることを可能にした点で非常に 評価できると思う。 「野獣死すべし」に代表される初期作は大藪風青春小説の趣 があり、暗く重い。この方向性で行った場合一時期のような一般 大衆も巻きこんだブームになりえたか、筆者は疑問に思う次第 である。 つづく
38 :
名無しのオプ :2001/06/07(木) 21:11
37で列記した作品群と読み比べた場合、「ヘッドハンター」が ハードボイルドであるとの主張はなるほど腑に落ちるものがある。 この作品は大藪作品の中でも比較的地味であはあるが、 ストイックな中に主人公の不屈の魂が熱く感じられる。 しかし、筆者はトクマ新書でこの作品を読んだ時、前述した 娯楽アクション作品に馴れ親しんだ後だったせいかなにか 食い足りぬものを感じたことを告白せざるを得ない。 さらには、初期作のようなギラギラした迫力も欠くように思う。 大藪氏衰えたりを初めて感じた作品でもあった。 最後にピカレスクロマンということだと、「ウインチェスターM70」 をあげておきたい。 凄まじい悪の集団の横行を描いた作品である。 後の集団もののような娯楽性は無く、むしろ悪に生きる人間の業 のようなものさえ感じさせる。 未読なら是非一読を御薦めしたい。 このスレのテーマである「大藪春彦はハードボイルドか?」 に対する筆者なりの見解を言えば、 「ハードボイルドである作品もあればそうでないものもある」 といわざるを得ない。細かく検討していくと、 ハードボイルドあり、ピカレスクロマンあり、娯楽アクションあり、 大藪氏の作品は結構多様性に富んでいるのである。
39 :
名無しのオプ :
2001/06/07(木) 21:16