>>376 質問が整理されてなくて何が聞きたいのか良く分からないから順番に答えていく。
メイントリックが西之園が別人という叙述トリックであるという認識は正しい。
そして叙述トリックが殺人事件に対して仕掛けられていないという認識も正しい。
「何なら、殺人事件は起きなくても良かったんじゃないの?」と思うことはアナタの自由。
しかし、殺人事件は殺人事件として謎が提示されているので、『今はもうない』をただのキャラ萌え小説だとして開き直る人はあまり居ないと思う。
メイントリックの西之園が別人という叙述トリックはシリーズ読者の方が驚いただろうけど、シリーズを読んでいないと驚かないかというとそうとは限らないと思う。
ただし、『今はもうない』の叙述トリックを仕掛ける前提として『幻惑の死と使途』から巻頭の登場人物表を無くしているので、シリーズが前提になっているのは確か。
叙述トリックは殺人事件に関して仕掛けられるのがミステリとして当然、というなら、そうなんでしょう、アナタの中では。
質問の形式をとっているものの、結局言いたいことは
「このような叙述トリックの使い方は間違っているから不満である。ついでにシリーズを読むことを前提としているのも不満である」
ということなのでしょう(少なくともそう読める)。
そういう不満を抱くことは、共感はしないけれど理解はできる。
以下、自分の考え。
叙述トリックは別に事件に関係しないといけないとは思わない。
『イニシエーションラブ』や『葉桜の季節に君を想うということ』は事件とは関係していないけれど立派な叙述トリック作品だと思うし。
事件と関係している『アクロイド殺し』や『殺戮に至る病』や『十角館の殺人』も素晴らしいと思うが、それに限定する必要がある?
シリーズを前提としているという点についても、シリーズ作品である限り何らかの関連性はあるわけで、そこは程度問題でしょう。
『水車館』だって『十角館』を前提にしているわけで、だからと言って『水車館』の評価が下がるわけではない。
ポワロシリーズの最終作である『カーテン』は『スタイルズ荘』だけでなくそれ以降の全ての作品を前提としているからこそ素晴らしいのだし。