東野圭吾part56

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693書聖魔神 ◆DMqNN1bFNc
誰かが誰かにとって目障りだと言って
人が人を殺すことは滅多に無い
人はそんなに簡単に殺人の門を
くぐれないからだ 地獄通信のような
「手段」も「凶器」も手に入れられないものだ 殺人事件に
おいての「トリック」も「手段」のようなもので
刀がたまたま飾ってあったから刃傷沙汰になってしまった
というのと同レベルだ トリックが「思いついてしまったから」
殺してしまったわけで その時点で恨みよりもまず「トリックを
実行してみたい」という気持ちが優っているきらいがある 古畑の犯人の
女脚本家もそんなことを言っていたな 絡新婦の蜘蛛の巣 
どれだけ人が憎かろう殺したかろうがが手段が無ければ殺せない 
人はトリックを思いついた時点でその実トリックに動かされてしまっているのを
自覚しないとな 人間なんかよりも「仕組み」の方が上位の存在であるということを
勘違いして忘れている推理小説の犯人がどれだけ多い事か この文章の存在は残念ながら
「仕組み」なので残念ながら消えてくれと請われたところで消せるものではない
困ったものだね                              同情
694名無しのオプ:2010/07/22(木) 23:50:53 ID:qEfcYuld









 が
  そ
   な
    も



ワカランw
695書債魔神 ◆DMqNN1bFNc :2010/07/22(木) 23:58:44 ID:JBnKPRFD
罪を犯していないから殺される謂れはないというのは
一見最もらしいが 大体はただの傲慢な後付け理論だ
人に恨まれていない人間など存在しない
たとえ無差別殺人で通り魔に切り刻まれただの
列車に乗っていて運転手の道連れにされただの
飲酒運転の車に轢き殺されただの
歩道橋ですし詰めにされただの
被害者の方が正義だと馬鹿が散々喚き散らしているが
その被害者は本当に聖者かね 誰かが恨み殺そうとしていた所を
「代わりに殺してくれたのだ」とはどうして思わないのかね
生きていたってどうせ誰かに殺されていたかもしれないというのに
役立たずになっていたかもしれないなら殺人者が一人減っただけ素晴らしい
高畑運転手に喝采を送ったことが有るくらいだが 
何故そういう時に被害者はお金を要求するのかね その死者の人生は
お金に簡単に換算できるほどつまらない人生だったと遺族が
証明してどうするのだ  署長や社長や社会や世界を相手に
無駄な裁判を起こして仕組みに利用されて人生を浪費するくらいなら
さまよう刃にでもなればいい そんな勇気も無いのならば
神仏でも拝んで自己満足に浸っていればいい 蛋白質の塊に意味を与えてくれるぞ
696名無しのオプ:2010/07/23(金) 00:03:20 ID:IbkCfjHb
でつまつ頑張れ!
応援してるぞ!!