三島由紀夫>>>>>>>>全てのミステリー作家

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1名無しのオプ
ミステリーなんて低俗なものに時間を費やしてる暇があるなら
三島の作品(ある種の芸術と言っても良い)を読んだ方がはるかに有益だろう
2名無しのオプ:2008/12/23(火) 10:19:15 ID:T8moOeu2
三島由紀夫はエドガー・アラン・ポーは好きだったようです。
3名無しのオプ:2008/12/23(火) 12:52:46 ID:y6JSeYyR
三島は当然読むが、今の純文学作家はつまらん。

三島>>ミステリー作家>>>>>>>今の純文学作家

俺的にはこう。
4名無しのオプ:2008/12/23(火) 14:54:08 ID:QnHAWwZV
ひどい釣りスレ
5名無しのオプ:2008/12/23(火) 15:07:21 ID:nD8OPsYZ
糞スレ立てた1は潔く自決しろ
6名無しのオプ:2008/12/23(火) 15:45:40 ID:cyNjyOGL
確かに三島の文章のくどさは芸術と言っても良いなw
7名無しのオプ:2008/12/23(火) 16:28:02 ID:TACO+Qa/
三島は当時文学どころか読み物としても評価されてなかった探偵小説やSFが大好きだったがな
8名無しのオプ:2008/12/23(火) 23:21:22 ID:IK7B12m1
三島は乱歩好きだよね。黒蜥蜴を戯曲にしてるし。
SFは中井英夫と2人で読みあさっていて、幼年期の終わりがお気に入り。
9名無しのオプ:2008/12/23(火) 23:51:22 ID:T8moOeu2
ラヴクラフトも気に入って愛読してたらしい。
アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」は傑作だと言ってるね。
10名無しのオプ:2008/12/24(水) 00:02:54 ID:MbdmyOXk
SFは原語のまま読んでたのかな?
11名無しのオプ:2008/12/24(水) 00:33:22 ID:pU9xEAom
ジャンルが違うから比べられないだろう
ミステリばかりじゃなく文学も読めと言うんなら分かるが
12名無しのオプ:2008/12/24(水) 18:51:19 ID:WGh8mDvW
んだな、どちらが読んでて有意義かなんて個人々々が決めるってことでいいんじゃね?
13名無しのオプ:2008/12/25(木) 01:39:58 ID:5T+GYnhv
まあ2ちゃんで不等号使いまくりのレスってろくなもんじゃないから。
ましてやスレタイで使ってる奴なんてw
14名無しのオプ:2008/12/25(木) 10:26:08 ID:tCzYqsk6
>>10
読んでたかもよ英語の場合は。三島由紀夫はドイツ語も出来たし。
15名無しのオプ:2008/12/25(木) 10:28:14 ID:tCzYqsk6
三島は家畜人ヤプーも絶賛してるね。
16名無しのオプ:2008/12/26(金) 08:20:24 ID:voFOMGFV
「命売ります」「幸福号出帆」あたりは思いっきりご都合主義な
展開の通俗小説なんだけど、1は読んだ?
17名無しのオプ:2008/12/26(金) 10:12:23 ID:6G6lOmnQ
三島の場合、エンタメのなかにも、彼特有の文学的な思考があるよ。
18名無しのオプ:2008/12/26(金) 10:30:32 ID:/sB4Q/ey
天パ男死ね。バケモン。身障。気色悪すぎ。ボーズで天パ隠すなよ。天パ男死ね。バケモン。身障。気色悪すぎ。ボーズで天パ隠すなよ。
天パ男死ね。バケモン。身障。気色悪すぎ。ボーズで天パ隠すなよ。天パ男死ね。バケモン。身障。気色悪すぎ。ボーズで天パ隠すなよ。
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19名無しのオプ:2008/12/26(金) 22:21:36 ID:9AcdBXyz
文学にはある程度のエンターテインメント性が必要だってのが
三島の立場だからな。
20名無しのオプ:2008/12/27(土) 22:30:59 ID:IVeWxWDX
>>14
SFやミステリーだけじゃなくて、普通に海外文学は原語で読んでただろ。
あの時代に学習院主席→東大法学部なんだから、それが当たり前の世界だったろう。
21名無しのオプ:2009/01/01(木) 18:11:27 ID:lhWC9V4F
三島由紀夫は頑張って1ページだけ読んだことがあるが、それ以上は生理的に受け付けなかった
22名無しのオプ:2009/01/02(金) 16:32:13 ID:fl6m6RSo
たった一ページで生理的に受け付けない話の小説なんか三島由紀夫にはないと思うけどね。
一ページすら読んでもないのがバレバレ。
23名無しのオプ:2009/01/03(土) 00:27:33 ID:gud9EqbG
>>21
糞太宰でも読んでろ
24名無しのオプ:2009/01/03(土) 19:23:06 ID:qUUGPq8G
>>21
三島由紀夫の本当の良さは、彼の表の作品にあるのではない。
別名で書き下ろしたホモ小説にこそ良質の内容が在る。
純文学などと言って評価されているものにロクなものが無く、すべて下品。
三島の表の作品を形式的に評価している連中も、ほとんどが裏の作品のホモ小説の良さを知っている。
だからこそ、三島は高く評価されている。
あんたも、三島のホモ小説を読んでみろ。感動する。
あんたがホモでなくてもだ。
むしろ、ホモでない普通の人が読んで感動する。
25名無しのオプ:2009/01/03(土) 21:24:07 ID:b1wHYstr
>>22 白状すれば、1ページも読んでいない。1ページの半分位読んだ。
ギリシャ神話の恋物語に取材し、舞台を瀬戸内に移したもの。タイトルは忘れた

>>24 三島由紀夫がそんなものを書いてたなんて知らなかった
26名無しのオプ:2009/01/03(土) 23:34:39 ID:+67oRrO+
「潮騒」一番読みやすいじゃねーか。
厨房の時に読んだぞ。楽勝だった。
27名無しのオプ:2009/01/03(土) 23:39:25 ID:D0Bb8guL
>>24
> 純文学などと言って評価されているものにロクなものが無く、すべて下品。

↑あんたが下品なだけだよ。
28名無しのオプ:2009/01/04(日) 13:16:10 ID:Y9TV8EW0
>>7
法学部に入って一番すきだった科目が刑事訴訟法という人間だからなあ。
しかもミステリー好きが生じての結果だし。
29名無しのオプ:2009/01/05(月) 23:48:46 ID:lhNwxq5l
三島って夢野久作読んでたんだね。
「俺に無意識はない」とか言ってた人だから、
「ドグラ・マグラ」とか合いそうにないと思ってた。
30名無しのオプ:2009/01/06(火) 21:55:29 ID:Zrlfg41x
幻想や怪奇好きなんだよ。ラヴクラフトも愛読してるね。
31名無しのオプ:2009/01/06(火) 22:30:21 ID:Pz4P5ewl
三島の短篇は面白いよ。
32名無しのオプ:2009/01/07(水) 04:16:19 ID:DMivfRGx
三島はミステリ嫌いだと思ってたよ。
33名無しのオプ:2009/01/08(木) 15:15:00 ID:KAsQGvU4
虚無の後書き嫁
34名無しのオプ:2009/01/11(日) 00:19:40 ID:iIRDeavo
遊びにいらしてね

禁色 三島由紀夫
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1231336910/
35名無しのオプ:2009/01/11(日) 19:27:47 ID:OtuOzZ+K
>>29
交流のあった中井英夫や渋沢龍彦の薦めで読んでたかもしれんが
感銘を受けたかどうかはわからんなあ
36名無しのオプ:2009/01/11(日) 23:55:36 ID:Yfg2TE8s
37名無しのオプ:2009/01/12(月) 16:29:16 ID:zsifOuK1
>>18
なぜ、ボーズであることを知っているのか?聞いても?
38名無しのオプ:2009/01/14(水) 21:54:23 ID:yrvx1d/z
三島の怪談小説集が
ちくま文庫から出てるじゃん
39名無しのオプ:2009/01/14(水) 23:15:14 ID:X5JQyO5Q
「仲間」は三島ミステリーの名作だと思う。
40名無しのオプ:2009/01/14(水) 23:27:53 ID:nWdepesY

三島の書いた、戯曲版の黒蜥蜴はマジで好き。
ミステリとしては弱いけど、探偵と怪盗の愛情劇としては
これを超えるのは見たことがない。

あと、「心を盗まれた」の台詞は某刑事よりだいぶ早く言ってるんだよな。
41名無しのオプ:2009/01/15(木) 11:49:38 ID:hi4Nb5m8
アニメ関連で

ゴルゴ13の顔は三島由紀夫がモデルになってるらしい。
42名無しのオプ:2009/02/03(火) 12:16:39 ID:ni1DT17q
帝都物語(荒俣宏)に登場する三島由紀夫
43名無しのオプ:2009/02/04(水) 15:42:44 ID:SWG9UzYs
>>26
潮騒や金閣寺は簡単だし面白いな
44名無しのオプ:2009/03/09(月) 12:00:12 ID:LKp4QMoo
三島由紀夫 インタビュー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6218318
45名無しのオプ:2009/04/01(水) 15:29:42 ID:RxibNxyU
三島由紀夫「空飛ぶ円盤信じますか。」

江戸川乱歩「ぼくは確証をうるまで信じない方です。心霊現象なんかでもおなじですね。」

三島「ぼくは絶対に信じる。」

芥川比呂志「この間『朝日ジュニア』からアンケートが来たけれども、人工衛星がまわっている世界だから、空飛ぶ円盤だってありそうな気がする。」

江戸川「そういう比論では信じられない。現実に確かめなくては。」

三島「ぼくは頭から信じちゃう。そして、ぼくはお化けはきっといると思うの。(笑)」

山村正夫「心霊実験も信じますか。」

三島「信じますね。」
46名無しのオプ:2009/04/02(木) 00:47:49 ID:AAiEkKJx
何を言ってるのだね。
ラノベこそ世界最高の小説ではないか。
ミステリーも三島もその下位ジャンル
47名無しのオプ:2009/05/05(火) 00:04:56 ID:Nr9+Hcdd
>>46
釣れませんね。
48名無しのオプ:2009/05/05(火) 00:12:15 ID:3k4DszbQ
三島の最高傑作は音楽だよ
49名無しのオプ:2009/05/05(火) 00:16:37 ID:pyIfwCTF
50名無しのオプ:2009/05/24(日) 11:26:12 ID:yWTPytRk
さて、いくら早く焼きたいからと云つて、餅を炭火につつこんだのでは、たちまち黒焦げになつて、喰べられたものではない。餅網が適度に火との距離を保ち、しかも火熱を等分に伝達してくれるからこそ、餅は具合よく焼けるのである。
さて、法律とはこの餅網なのだらうと思ふ。餅は、人間、人間の生活、人間の文化等を象徴し、炭火は、人間のエネルギー源としての、超人間的なデモーニッシュな衝動のプールである潜在意識の世界を象徴してゐる。
人間といふものは、おだやかな理性だけで成立つてゐる存在ではないし、それだけではすぐ枯渇してしまふ、ふしぎな、落着かない、活力と不安に充ちた存在である。

三島由紀夫
「法律と餅焼き」より
51名無しのオプ:2009/05/24(日) 11:27:12 ID:yWTPytRk
人間の活動は、すばらしい進歩と向上をもたらすと同時に、一歩あやまれば破滅をもたらす危険を内包してゐる。
ではその危険を排除して、安全で有益な活動だけを発展させようといふ試みは、むかしからさかんに行はれたが、一度も成功しなかつた。
どんなに安全無害に見える人間活動も、たとへば慈善事業のやうなものでも、その事業を推進するエネルギーは、あの怖ろしい炭火から得るほかはない。
…人間の餅は、この危険な炭火の力によつて、喰へるもの、すなはち社会的に有益なものになる。しかし、もし火に直接に触れれば、喰へないもの、すなはち社会的に無益有害なものになる。
だから、餅と火のあひだにあつて、その相干渉する力を適当に規制し、餅をほどよい焼き加減にするために、餅網が必要になるのである。

三島由紀夫
「法律と餅焼き」より
52名無しのオプ:2009/05/24(日) 11:28:37 ID:yWTPytRk
たとへば殺人を犯す人間は、黒焦げになつた餅である。そもそもさういふ人間を出さないやうに餅網が存在してゐるのだが、網のやぶれから、時として、餅が火に落ちるのはやむをえない。
さういふときは、餅網は餅が黒焦げになるに委せる他はない。すなはち彼を死刑に処する。
餅網の論理にとつては、罪と罰は一体をなしてゐるのであつて、殺人の罪と死刑の罰とは、いづれも餅網をとほさなかつたことの必然的結果であつて、彼は人を殺した瞬間に、すでに地獄の火に焼かれてゐるのだ。
そして責任論はどこまで行つてもきりがなく、個人的責任と社会的責任との継目は永遠にはつきりしないが、
少くとも、殺人といふ罪が、人間性にとつて起るべからざることではなく、人間の文化が、あの怖ろしい炭火に恩恵を蒙つてゐるかぎり、火は同時に殺人をそそのかす力にさへなりうるのである。

三島由紀夫
「法律と餅焼き」より
53名無しのオプ:2009/05/24(日) 11:29:28 ID:yWTPytRk
かくて、終局的に、責任は人間のものではないとする仏教的罪の思想も、人間には原罪があるとするキリスト教的罪の思想も生れてくるわけであるが、餅網の論理は、そこまで面倒を見るわけには行かない。
ただ、餅網にとつていかにも厄介なのは、芸術といふ、妙な餅である。この餅だけは全く始末がわるい。
この餅はたしかに網の上にゐるのであるが、どうも、網目をぬすんで、あの怖ろしい火と火遊びをしたがる。
そして、けしからんことには、餅網の上で焼かれて、ふつくらした適度のおいしい焼き方になつてゐながら、同時に、ちらと、黒焦げの餅の、妙な、忘れられない味はひを人に教へる。

三島由紀夫
「法律と餅焼き」より
54名無しのオプ:2009/05/24(日) 11:30:30 ID:yWTPytRk
殺人は法律上の罪であるのに、殺人を扱つた芸術作品は、出来がよければ、立派な古典となり文化財となる。それはともかくふつくらしてゐて、黒焦げではないのである。
古典的名作はそのやうな意味での完全犯罪であつて、不完全犯罪のはうはまだしもつかまへやすい。黒焦げのあとがあちこちにちらと残つてゐて、さういふところを公然猥褻物陳列罪だの何だのでつかまへればいいからである。
それにしても芸術といふ餅のますます厄介なところは、火がおそろしくて、白くふつくら焼けることだけを目的として、
おつかなびつくりで、ろくな焦げ目もつけずに引上げてしまつた餅は、なまぬるい世間の良識派の偽善的な喝采は博しても、つひに戦慄的な傑作になる機会を逸してしまふといふことである。

三島由紀夫
「法律と餅焼き」より
55名無しのオプ:2009/05/31(日) 00:02:59 ID:+yQay+fj
どんなミステリよりも鶴川が柏木にしか心を開かなかったことのほうがミステリアス
56名無しのオプ:2009/06/02(火) 12:53:35 ID:/W1hqbk8
音楽は生活必需品かといふと、人によつてちがふだらうが、私にとつては必ずしもさうではない。
それは思考を妨げるからだ。私には、音楽の鳴つてゐる部屋で物を考へるなど、狂気の沙汰としか思はれない。
このごろの青少年がジャズをききながら試験勉強をしてゐるのを見ると、私と別人種の感を新たにする。
では、音楽は休息の楽しみとして必要だらうか。私にとつては必ずしもさうではない。
机に向かふのが仕事の私には、休息とは、体を動かすことである。運動にはそれ自体のリズムがあつて、音楽を要しない。
アメリカのジムなどで、ムード・ミュージックを流してゐるところがあつたが、何だか運動に力が入らなくて困つた。
では、私にとつて音楽とは何なのだらうか。
それは生活必需品でもなければ、休息の楽しみでもない。それは誘惑なのである。

三島由紀夫
「誘惑――音楽のとびら」より
57名無しのオプ:2009/06/02(火) 12:55:32 ID:/W1hqbk8
むかし米軍占領時代に、家から三丁ばかり離れた大きな邸が接収されてゐて、週末といふと舞踏会が催ほされるらしく、
夜風に乗つてダンス音楽がかすかに流れてきて、食糧難時代の新米文士の仕事を攪乱したものだつた。
しかし、その音楽には、今そこにないものへの強烈な誘惑があつた。
「今そこにないもの」を、音楽ほど強烈に暗示し、そこへ向つて人を惹き寄せるものはない。
もちろんただの幻である映画だつてさうかもしれない。が、音楽のこの誘惑の力を借りてゐない映画はきはめて稀である。
「今そこにないもの」にもピンからキリまである。
ピンは天国から、キリはつまらない観光的な熱帯の小島まである。ピンは、人間精神の絶顛から、キリは性慾の満足まである。
それに従つて、音楽にもピンからキリまであるわけだが、かう考へると、音楽は生活必需品でなくても、
人生の必需品、むしろその本質的なものとも思はれる。
「今そこにないものへの誘惑」にこそ、生の本質があるからである。

三島由紀夫
「誘惑――音楽のとびら」より
58名無しのオプ:2009/06/05(金) 11:14:56 ID:qp4hNKRf
庭はどこかで終る。庭には必ず果てがある。これは王者にとつては、たしかに不吉な予感である。
空間的支配の終末は、統治の終末に他ならないからだ。ヴェルサイユ宮の庭や、これに類似した庭を見るたびに、
私は日本の、王者の庭ですらはるかに規模の小さい圧縮された庭、例外的に壮大な修学院離宮ですら
借景にたよつてゐるやうな庭の持つ意味を、考へずにはゐられない。
おそらく日本の庭の持つ秘密は、「終らない庭」「果てしのない庭」の発明にあつて、それは時間の流れを
庭に導入したことによるのではないか。
仙洞御所の庭にも、あの岬の石組ひとつですら、空間支配よりも時間の導入の味はひがあることは前に述べた。
それから何よりも、あの幾多の橋である。
水と橋とは、日本の庭では、流れ来り流れ去るものの二つの要素で、地上の径をゆく者は橋を渡らねばならず、
水は又、橋の下をくぐつて流れなければならぬ。

三島由紀夫
「『仙洞御所』序文」より
59名無しのオプ:2009/06/05(金) 11:15:49 ID:qp4hNKRf
橋は、西洋式庭園でよく使はれる庭へひろびろと展開する大階段とは、いかにも対蹠的な意味を担つてゐる。
大階段は空間を命令し押しひろげるが、橋は必ず此岸から彼岸へ渡すのであり、しかも日本の庭園の橋は、
どちらが此岸でありどちらが彼岸であるとも規定しないから、庭をめぐる時間は従つて可逆性を持つことになる。
時間がとらへられると共に、時間の不可逆性が否定されるのである。
すなはち、われわれはその橋を渡つて、未来へゆくこともでき、過去へ立ち戻ることもでき、しかも橋を央にして、
未来と過去とはいつでも交換可能なものとなるのだ。
西洋の庭にも、空間支配と空間離脱の、二つの相矛盾する傾向はあるけれど、離脱する方向は一方的であり、
憧憬は不可視のものへ向ひ、波打つバロックのリズムは、つひに到達しえないものへの憧憬を歌つて終る。
しかし日本の庭は、離脱して、又やすやすと帰つて来るのである。

三島由紀夫
「『仙洞御所』序文」より
60名無しのオプ:2009/06/05(金) 11:17:30 ID:qp4hNKRf
日本の庭をめぐつて、一つの橋にさしかかるとき、われわれはこの庭を歩みながら
尋めゆくものが、何だらうかと考へるうちに、しらぬ間に足は橋を渡つてゐて、
「ああ、自分は記憶を求めてゐるのだな」
と気がつくことがある。そのとき記憶は、橋の彼方の薮かげに、たとへば一輪の萎んだ残花のやうに、
きつと身をひそめてゐるにちがひないと感じられる。
しかし、又この喜びは裏切られる。
自分はたしかに庭を奥深く進んで行つて、暗い記憶に行き当る筈であつたのに、ひとたび橋を渡ると、
そこには思ひがけない明るい展望がひらけ、自分は未来へ、未知へと踏み入つてゐることに気づくからだ。

三島由紀夫
「『仙洞御所』序文」より
61名無しのオプ:2009/06/05(金) 11:19:06 ID:qp4hNKRf
かうして、庭は果てしのない、決して終らない庭になる。
見られた庭は、見返す庭になり、観照の庭は行動の庭になり、又、その逆転がただちにつづく。
庭にひたつて、庭を一つの道行としか感じなかつた心が、いつのまにか、ある一点で、自分はまぎれもなく
外側から庭を見てゐる存在にすぎないと気がつくのである。
われわれは音楽を体験するやうに、生を体験するやうに、日本の庭を体験することができる。
又、生をあざむかれるやうに、日本の庭にあざむかれることができる。
西洋の庭は決して体験できない。それはすでに個々人の体験の余地のない隅々まで予定され解析された一体系なのである。
ヴェルサイユの庭を見れば、幾何学上の定理の美しさを知るであらう。

三島由紀夫
「『仙洞御所』序文」より
62名無しのオプ:2009/06/08(月) 14:09:43 ID:+2YY9UAN
漫画は、かくて、私の生理衛生上必要不可欠のものである。
をかしくない漫画はごめんだ。何が何でもをかしくなくてはならぬ。
おそろしく下品で、おそろしく知的、といふやうな漫画を私は愛する。
悩殺する、とか、笑殺する、とかいふ言葉は、実存主義ふうに解すると、相手を「物」にしていまふことだと思はれる。
…知的な漫画ほどこの即物性がいちじるしく、低級な漫画ほど、笑ひ話の物語性だの、教訓性だの、によりかかつてゐる。

三島由紀夫
「わが漫画」より
63名無しのオプ:2009/06/08(月) 14:10:53 ID:+2YY9UAN
漫画は現代社会のもつともデスペレイトな部分、もつとも暗黒な部分につながつて、そこからダイナマイトを仕入れて来なければならないのだ。
あらゆる倒錯は漫画的であり、あらゆる漫画は幾分か倒錯的である。
そして倒錯的な漫画が、人を安心して笑はせるやうではまだ上等な漫画とはいへぬ。
…もつとも漫画的な状況とは、また永遠に漫画的状況とは、他人の家がダイナマイトで爆発するのをゲラゲラ笑つて見てゐる人が、
自分の家の床下でまさに別のダイナマイトが爆発しかかつてゐるのを、少しも知らないでゐるといふ状況である。
漫画は、この第二のダイナマイトを仕掛けるところに真の使命がある。

…さて、一つの漫画は、小説家が、かういふ雑文をたのまれて、をかしくもない文章を、頭から湯気を立てて書いてゐる、といふその状況である。

三島由紀夫
「わが漫画」より
64名無しのオプ:2009/06/16(火) 10:49:29 ID:3gCFctUu
思へば、ボディ・ビルディングとは、もつとも日本の文化伝統に欠けてゐたものの、新しい移植であつた。
われわれは肉体文化の伝統を持たず、力に対する民族的信仰は、何か超自然的なものへの信仰の影を宿してゐて、
肉体それ自体、人間の裸体それ自体の文化的価値は、たえて認められることがなかつた。
明治時代に、裸体彫刻が猿股を穿かされかかつた逸話は、数多く知られてゐる。
…しかし、この十数年間、ひそかにバーベルを相手に黙々と汗を流し、この写真集に見られるやうな、
かつての日本人が夢想もしなかつた逞しい均整のとれた体躯を育て上げてゐた一群の青年たちがゐたのである。
竹山道雄氏が随想の中で書いてゐるやうに、日本人の青年の肉体は、かうして見ると、古代ギリシャの美学的基準に忠実な点では、
おどろくべきものがあり、ラフカディオ・ハーンが、かつて、日本人を「東洋のギリシャ人」と呼んだことも思ひ合せられる。

三島由紀夫
「序 矢頭保写真集『体道・日本のボディビルダーたち』」より
65名無しのオプ:2009/06/16(火) 10:53:37 ID:3gCFctUu
日本文化の特徴は、外来の文化をまづ忠実に模倣して、その極点で転回して、日本化してしまふといふ過程に見出される。
ボディ・ビルディングの日本における戦後の普及は、もちろんアメリカの影響であり、その背後には、あの広大な
光りと富に溢れた国のローマ帝国的な古代異教文化の復活が感じられるが、日本のボディ・ビルディングには、
今や、それなりに、日本の過去に欠けてゐた肉体文化の補填といふ意味以上に、何か、肉体における
日本的精神的価値の復活といふ、今まで考へられなかつた異質の観念の結合の意味が、含まれてゐるやうに思はれる。
もともと「葉隠」にもあるやうに、武士の倫理における外面性の重視は、武士の良心に深く関はつてゐた。
登城するときに、昨夜の二日酔がのこつて青白い顔をしてゐるよりも、元気よく見せるために、頬に紅粉を引くことが奨励されてゐた。
又、戦の門出に兜に香をたき込めたり、切腹の前に死化粧をしたりすることは、武士のたしなみとされてゐた。

三島由紀夫
「序 矢頭保写真集『体道・日本のボディビルダーたち』」より
66名無しのオプ:2009/06/16(火) 11:10:57 ID:3gCFctUu
愛するといふことにかけては、女性こそ専門家で、男性は永遠の素人である。
男は愛することにおいて、無器用で、下手で、見当外れで、無神経、蛙が陸を走るやうに無恰好である。
どうしても「愛する」コツといふものがわからないし、要するに、どうしていいかわからないのである。
先天的に「愛の劣等生」なのである。
そこへ行くと、女性は先天的に愛の天才である。
どんなに愚かな身勝手な愛し方をする女でも、そこには何か有無を言わせぬ力がある。
男の「有無を言わせぬ力」といふのは多くは暴力だが、女の場合は純粋な精神力である。
どんなに金目当ての、不純な愛し方をしてゐる女でも、愛するといふことだけに女の精神力がひらめき出る。
非常に美しい若い女が、大金持の老人の恋人になつてゐるとき、人は打算的な愛だと推測したがるが、それはまちがつてゐる。
打算をとほしてさへ、愛の専門家は愛を紡ぎ出すことができるのだ。

三島由紀夫
「愛するといふこと」より
67名無しのオプ:2009/06/16(火) 12:49:01 ID:FN5gL17g
親子で夢中になっていると、手塚治虫と赤塚不二夫のファンを公言した三島。
東映任侠映画を「これは名画である」と絶賛して、
これまで所詮俗悪映画だと、無視を決め込んでた評論家を
慌てさせたのも三島。
68名無しのオプ:2009/06/19(金) 15:42:08 ID:kjFF+/2i
男のおしやれがはやつて、男性化粧品がよく売れ、床屋でマニキュアさせる男がふえた、といふことだが、
男が柔弱になるのは泰平の世の常であつて、大正時代にもポンペアン・クリームなどといふものを頬に塗つて、
薄化粧する男が多かつたし、江戸時代の春信の浮世絵なんかを見れば、男と女がまるで見分けがつかぬやうに描かれてゐる。
…私はこんな風潮一切がまちがつてゐると考へる人間である。男は粗衣によつてはじめて男性美を発揮できる。
ボロを着せてみて、はじめて男の値打がわかる、といふのが、男のおしやれの基本だと考へてゐる。

三島由紀夫
「男のおしやれ」より
69名無しのオプ:2009/06/19(金) 15:43:39 ID:kjFF+/2i
といふのは、男の魅力はあくまで剛健素朴にあるのであつて、それを引立たせるおしやれは、
ボロであつても、華美であつても、あくまで同じ値打同じ効果をもたらさなければならぬ。
…多少我田引水だが、日本の男のもつとも美しい服装は、剣道着だと私は考へてゐる。
これこそ、素朴であつて、しかも華美を兼ねてゐる。
学生服をイカさない、といふのも、一部デザイナーの柔弱な偏見であつて、学生服がピタリと似合ふ学生でなければ、
学生の値打はない。あれも素朴にして華美なる服装である。
背広なんか犬に喰はれてしまへ。世の中にこんなにみにくい、あほらしい服はない。
商人服をありがたがつて着てゐる情ない世界的風潮よ。
タキシードも犬に喰はれてしまへ。

三島由紀夫
「男のおしやれ」より
70名無しのオプ:2009/06/23(火) 15:37:09 ID:glMeKMru
「木枯らし」

木が狂つてゐる。
ほら、あんなに体を
くねらして。
自分の大事な髪の毛を、
風に散らして。

まるで悪魔の手につかまれた、
娘のやうに。
木が。そしてどの木も
狂つてゐる。

平岡公威(三島由紀夫)
11歳の詩
71名無しのオプ:2009/06/23(火) 15:38:33 ID:glMeKMru
「父親」

母の連れ子が、
インク瓶を引つくり返した。
インク瓶はころがりころがり
机から落ちて、
硝子の片が四方に飛び散つた。
子供は驚いた。
ペルシャ製だといふじゆうたんは、
真ッ黒に汚れた。
そして、破れた硝子は、くつ附かなかつた。

母の連れ子の
脳裡に恐ろしい
父の顔が浮び出た。

書斎のむち、
今にも
つぎはぎだらけのシャツを
脱がされて、
むちが……
喰ひ附くやうに、

母の連れ子の、目の下に、
黒いじゆうたんが、
わづかな光りに、ぼやけてゐる

平岡公威(三島由紀夫)
11歳の詩
72名無しのオプ:2009/06/23(火) 19:31:10 ID:QVCoY7UW
ちょっと夢野の猟奇歌風味なのねん
73名無しのオプ:2009/06/24(水) 13:57:28 ID:pKbIrX7J
「凩」

凩よ、
速く止まぬと、
可愛さうな木々が眠れない。
毎日々々お前に体をもまれて、
休む暇さへないのだ。
凩よ、
お前は冬の気違ひ、
私の家へばかり、は入つて来ないで、
いつその事、雪を呼んでおいで。

平岡公威(三島由紀夫)
11歳の詩
74名無しのオプ:2009/06/24(水) 13:59:53 ID:pKbIrX7J
「斜陽」

紅い円盆のやうな陽が、
緑の木と木の間に
落ちかけてゐる。

今にも隠れて了ひさうで、
まだ出てゐる。

然し、
私が一寸後ろを向いて居たら、
いつの間にか、
燃え切つてゐて、
煙草の吸殻のやうに、
ぽつんと、
赤い色が残ってゐるだけだつた。

平岡公威(三島由紀夫)
12歳の詩
75名無しのオプ:2009/06/24(水) 14:12:27 ID:pKbIrX7J
「蛾」

窓のふちに、
蛾がとまつてゐて、
ぶるぶると体を震わせてゐた。
私は、可哀さうになつて、
蛾を捕へようとした。
窓は、堅く、閉ざされてゐたので、
私は、窓を開けて、
放してやらうと思つた。
私は蛾にさはつて見た。
蛾は勢ひよく飛び出した。
私は、気が抜けた。
さつきの蛾と、
そして、
今の蛾と……。

平岡公威(三島由紀夫)
11歳の詩
76名無しのオプ:2009/06/24(水) 23:35:23 ID:7Xb8yFbK
三島ってあのしょぼい脇役で映画に出てたり
安っぽい像を家に飾って失笑買ってた俗物でしょ?
77名無しのオプ:2009/06/25(木) 12:16:48 ID:To75LXp3
「私は学生帽です。」

私は平岡さんのお家の学生帽です。坊ちやんが一年生の時西郷洋服店から参りました。
私は喜ばしい事もあれば泣きたい事もあります。
いつも坊ちやんが学校へいらつしやる時に、おとなりのぐわいたうさんとが書生さんに昨日のごみを取つてもらひます。
私達はそれを毎日楽みにして居ります。
私はずい分古い帽子ですが、坊ちやんが大事にして下さるので、坊ちやんからはなれようとは思ひません。
私は何年と云ふ長い月日をかうやつて暮して来ました。
今迄の間にどんな事があつたでせう?私はそれを物語りたいのです。
(つい此間の事でした。坊ちやんがこはれた帽子を学校から持つていらつしやいました。
それは云ふ迄も無く私です。
坊ちやんは御母様に「之をぬつてね」とおつしやいました。
お母様は「ええ、え」とおつしやつて、ぬつて下さいました)
私は何と云ふ幸福な身でせう?

平岡公威(三島由紀夫)、7〜8歳の作文
78名無しのオプ:2009/06/25(木) 12:19:05 ID:To75LXp3
「農園」

今週の月曜でした。
唱歌がをはつておべん当をいただかうと思つて、教室にはひつて来ました。
すると、おけうだんの上に大きなかごがあつて、その中にはたくさんそら豆がはひつてゐました。
僕はうれしくて、うれしくて、「早くくださればいいなあ」とまつてゐたら、おべんたうがすんだら、
皆のハンカチーフにたくさん入れて下さいました。
おうちへかへつて塩ゆでにしていただいたら、大変おいしうございました。
思へば、三年のニ学きでした。
おいしいみが、たくさんなるやうにとそらまめのたねを折つてまいたのでした。
果して、たねはめが出、はがでて、今ではおいしいみがたくさんなつて、僕たちがかうして
いただくまでになつたのでした。

…又この間は五六年のうゑた、さつまいもの苗に水をかけました。
秋になつたらこのおいもも僕達の口の中へはひる事でせう。

平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文から
79名無しのオプ:2009/06/25(木) 12:20:09 ID:To75LXp3
「夕ぐれ」

鴉が向うの方へとんで行く。
まるで火のやうなお日様が西の方にある丸いお山の下に沈んで行く。
――夕やけ、小やけ、ああした天気になあれ――
と歌をうたひながら、子供たちがお手々をつないで家へかへる。
おとうふ屋のラッパが――ピーポー。ピーポー ――とお山中にひびきわたる。
町役場のとなりの製紙工場のえんとつからかすかに煙がでてゐる。
これからお家へかへつて皆で、たのしくゆめのお国へいつてこよう。

平岡公威(三島由紀夫)、9歳の作文
80名無しのオプ:2009/06/25(木) 12:22:47 ID:To75LXp3
「大内先生を想ふ」

ヂリヂリとベルがなつた。今度は図画の時間だ。しかし今日の大内先生のお顔が元気がなくて青い。
どうなさッたのか?とみんなは心配してゐた。おこゑも低い。僕は、変だ変だと思つてゐた。
その次の図画の時間は大内先生はお休みになつた。御病気だといふことだ。ぼくは早くお治りになればいゝと思つた。
まつてゐた、たのしい夏休みがきた。けれどそれは之までの中で一番悲しい夏休みであつた。
七月二十六日お母さまは僕に黒わくのついたはがきを見せて下さつた。それには大内先生のお亡くなりになつた事が書いてあつた。
むねをつかれる思ひで午後三時御焼香にいつた。さうごんな香りがする。
そして正面には大内先生のがくがあり、それに黒いリボンがかけてあつた。
あゝ大内先生はもう此の世に亡いのだ。
僕のむねをそれはそれは大きな考へることのできない大きな悲しみがついてゐるやうに思はれた。

平岡公威(三島由紀夫)、9歳の作文
81名無しのオプ:2009/06/25(木) 22:13:15 ID:/KitOygI
芸スポ荒らすなヴォケ!
82名無しのオプ:2009/06/25(木) 22:23:08 ID:v05qHVtO
>>81
ごめん
83名無しのオプ:2009/06/26(金) 12:11:08 ID:1To3z5PR
「ばけつの話」

僕はばけつである。
僕は大ていの日は坊ちやんやお嬢さんがきて遊ばして呉れるが、雨の日などは大へん苦しい。
ほら、この通り、大部分ははげてゐる。
又雪の日なんかは、ずいぶん気もちがいい。あのはふはふしたのが僕のあたまへのつかると何ともいへない。
それから僕が植木鉢のそばへおかれた時、あの時位いやな事はなかつた。
となりの植木鉢がやれお前はいやな形だの、又水をくむ外には何ににも使へないだのと云つた。
あそこをどかされた時は、ほんとにホッとした。ではわたしの話はこれでをはりにする。

平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文
84名無しのオプ:2009/06/26(金) 12:12:50 ID:1To3z5PR
「独楽」(こま)
(音楽独楽なりき。白銀なせる金属にておほはれる)

それは悲しい音を立てゝ廻つた。
そして白銀のなめらかな体を
落着きもなく狂ひ廻つた。
よひどれの様に、右によろけ、
左にたふれ。

それは悲しい酔漢の心。
踊るを厭ふその身を、一筋の縄に托されて。
唄ふを否み乍らも、廻る歯車のために。

それは悲しい音を立てゝ廻つた。

「静寂の谷」から、
「狂躁の頂」に引き上げられ、
心のみ、尚も渓間にしづむ。

それは悲しい酔漢の心。
そして白銀のなめらかな体を、
落着きもなく狂ひ廻つた。

平岡公威(三島由紀夫)
12歳の詩
85名無しのオプ:2009/06/26(金) 12:15:15 ID:1To3z5PR
「三十人の兵隊達」
三十人の兵隊達。
赤と黒の階調。

三十人の兵隊達。
銀流しの拍車があらはす。
銀と白の光の交叉。

三十人の兵隊達。
硝子の目玉。
極細の毛糸は、
漆黒の頭髪。

けれども、
八つを迎へた女の子は、
この兵隊を捨て去つた。

そして、女の子は、
赤ん坊の人形に、
頬すりする。

芽生えた、母性愛の
興奮。

三十人の兵隊達。
母性愛の為に捨て去られた、
兵隊達。

三十人の兵隊達。
赤と黒の階調。

平岡公威(三島由紀夫)12歳の詩
86名無しのオプ:2009/06/26(金) 12:16:33 ID:1To3z5PR
「絵」

孤児院の片隅で、
幼い子が、大きな絵を眺めてる。
そこには、飴ん棒のやうな木が、
列を作つて並んで居、
木には、パン、草には、ビスケットが、
今を盛りになつてゐる。
口を開けて、夢中になる孤子に、
あたゝかい日差しがあたつてゐる。
しかし、入つてきた院長は、さつさ
と子供を引張つて外に出て来た。
「あんな絵は、目に毒ぢやてな」

平岡公威(三島由紀夫)
13歳の詩
87名無しのオプ:2009/06/26(金) 12:17:43 ID:1To3z5PR
「誕生日の朝」

青と、白との光線の交錯のうちに、
身をよこたへつゝ、
その日のわたしは、生れたばかりの
雛鳥のやうだつた。

さて、細い一輪差まで
絶えいるやうな花の香に埋もれ、
太陽をとり巻く雲は、一片の花弁に見えた。

誕生日の贈り物がとゞいた。
美しい贈物の数々は、
石竹色の卓子の上に置かれた。

平岡公威(三島由紀夫)
14歳の詩
88名無しのオプ:2009/06/28(日) 17:04:03 ID:mAK9vw2A
「見知らぬ部屋での自殺者」

骨董屋の太陽のせゐで
カーテンの花模様も枯れ
家具は色褪せ 空気は
黄色くただれてゐたので
その空気に濡れた古鏡に
わが顔は扁たく黄いろに揺れた
……やがて死は蠅のやうに飛び立つた
うるさくかそけく部屋のそこかしこから

平岡公威(三島由紀夫)
14歳の詩
89名無しのオプ:2009/06/28(日) 21:02:06 ID:lffcwXAM
三島由紀夫>>>>鳩山由紀夫>>鳩山邦夫>>>>>麻生太郎>田中真紀子
90名無しのオプ:2009/06/29(月) 11:59:55 ID:rtiU+ZxN
「夜猫」

壁づたひに猫が歩む
影の匂ひをかぎながら

猫の背はなめらかゆゑ
光る夜を、辷らせる

ああ、蝋燭の蝋のしたたる音がする。
真鍮の燭台は
なやめる貧人のごとき詫びしい反射であつたから、
ふと、傾いた甃(いしだたみ)の一隅に
わたしは猫の毛をわたる風をきいた
影のなかに融けてゆく一つの、寂寞の姿をみた

平岡公威(三島由紀夫)
15歳の詩
91名無しのオプ:2009/06/29(月) 12:00:56 ID:rtiU+ZxN
「民謡」

夕ぐれの生垣から石蹴りの音がしてきた

微温湯をいれたコップの内側が、赤んぼの額のやうに汗ばんでゐた。
病気の子のオブラァトと粉薬が窗のあぢさゐの反射であをざめた
石竹色の植木鉢に、錆びた色ブリキの如露がよつかゝつてゐた

早い蚊帳がみえる離れで、小さな母は爪立つて電気を灯けた。
ねむつた子の横顔が 麻の海のなかに浮びあがつた

平岡公威(三島由紀夫)
15歳の詩
92名無しのオプ:2009/06/29(月) 12:03:54 ID:rtiU+ZxN
「夏の窗辺にくちずさめる」

雲の山脈の杳か上に
花火の残煙のやうなはかない雲が見えてゐた
サイダァのコップをすかしてみたら
やがて泡になつて融けて了つた

平岡公威(三島由紀夫)
15歳の詩
93名無しのオプ:2009/06/29(月) 12:05:32 ID:rtiU+ZxN
「幸福の胆汁」

きのふまで僕は幸福を追つてゐた
あやふくそれにとりすがり
僕は歓喜をにがしてゐた
今こそは幸福のうちにゐるのだと
心は僕にいひきかせる。
追はれないもの、追はないもの
幸福と僕とが停止する。
かなしい言葉をさゝやかうとし
しかも口はにぎやかな笑ひとなり
愁嘆も絵空事にすぎなくなり
疑ふことを知らなくなり
「他」をすべて贋と思ふやうに自分をする。
僕はあらゆる不幸を踏み
幸福さへのりこえる。
僕のうちに
幸福の胆汁が瀰漫して……

ああいつか心の突端に立つてゐることに涙する。

平岡公威(三島由紀夫)
15歳の詩
94名無しのオプ:2009/06/29(月) 12:15:56 ID:rtiU+ZxN
「薔薇のなかに」

薔薇のなかにゐます。
わたしはばらのなかにゐます。
しつとりしたまくれ勝ちの花びらの
こまかい生毛のあひだに滲みてくる
ひかりの水をきいてゐます。
薔薇は光るでせう、
園の真央で。
あなたはエェテルのやうな
風の匂ひをかぐでせう。
大樫のぬれがての樹影に。
牧場の入口に。
大山木の花が匂ふ煉瓦色の戸口に。
わたしは薔薇のなかにゐます。
ばらのなかにゐます。
小指を高くあげると
虹の夕雲がそれを染め……
ばらはゆつくり、わたしのまはりで閉ざすのです。

平岡公威(三島由紀夫)
15歳の詩
95名無しのオプ:2009/06/30(火) 11:48:12 ID:L796bEcN
「アメリカニズム」 万愚節戯作

たるんだクッションのやうなスヰートピィ
もう十年代、流行おくれの色ですね
玉蜀黍の粕がくつついてる
赤きにすぎる口紅の唇。
ショォト・スカァトは空の色がみえすぎます。
歓楽は窓毎に明るく灯り、
スカイ・スクレェパァはお高くとまり、
鼻眼鏡で下界をお見下しとやら、
だが、ニッケルの縁ではね。
野蛮の裏に文化はあれど……
白ん坊の裡にも黒ン坊がゐる。
欧州向の船が出て、
髯なし共が御渡来だ、
カジノで札の束切つて
縄の御用もありますまい
レディ・メェドの洋服が船にのつておしよせる
あくどい洒落がおしよせる
自由とスマァトネスがおしよせる
「世界第一」がおしよせる
星のついた子供の旗をおし立てゝ。

平岡公威(三島由紀夫)
15歳の詩
96名無しのオプ:2009/07/01(水) 15:10:12 ID:Nn+7OHXz
スレタイに三島の名前が入ったスレでは
必ずこうして三島の文章が大量に、
しかも大した脈絡もなく貼られるんだが、
おそらくその大半は同じ人物によるものだよな
もしかして三島のすべての文章をテキストデータ化しているのか?
三島の著作権が切れたときにものっすごい役に立つから
大事に保存しておいてくれよな
97名無しのオプ:2009/07/06(月) 11:31:20 ID:53w5H28K
私は別に美食家ではない。おいしいものは好きだけれども、場合によつてはまづいものも好きである。
美食しかできないといふ人は、たとへばローマの「トリマルキオーの饗宴」の主人公のやうに、退廃した人間である。
私は男といふものは、絹のパジャマでも軍隊毛布でも同じやうに平気で寝られる人間であるべきだと思ふ。
絹のパジャマでなくては眠れないといふ人間は、男ではない。
…自衛隊の食事は一日三食二百六十円である。マキシムは一食一万円である。おほむね値段からすれば百倍である。
ではマキシムが百倍だけおいしかつたかといへば、そんなことはない。
自衛隊では自衛隊の食事が相応においしく、マキシムではマキシムの料理が相応においしかつただけのことである。
その場その場でどちらもおいしいと思ふのは私の胃が健康だからであり、そしてそれだけのことである。

三島由紀夫
「美食について」より
98名無しのオプ:2009/07/06(月) 11:32:14 ID:53w5H28K
…人生経験を積むにつれて、いろんなものを食べる機会にぶつかる。
私はエジプトの鶏も、ギリシャのムサカも、…(略)…、タイ料理、インド料理……あらゆるものを食べた。
自衛隊では、縞蛇もガマ蛙も自分で料理して食べた。
しかしこんなものは、毎日ほしいときに食べられたら、別に珍味といふわけではあるまい。
その時、その環境に応じて、むやみにおいしく思はれるときも、まづい時もある。
私が外交官になりたくないと思ふのは、職業として毎日義務的に美食をするほど人生で辛いことはあるまいと
思ふからである。
結婚して毎日ご馳走を幾皿も家庭で作らせる亭主を、美食家と思つて、自慢のタネにしてゐる女性は哀れである。
くりかへして言ふが、いはゆる美食家は退廃した人間であり、何を食はせても「うまい」「うまい」と喜んで
平らげる男、女から見たら物足りない男こそ、女性にとつて誇るべき亭主なのである。

三島由紀夫
「美食について」より
99名無しのオプ:2009/07/12(日) 23:49:14 ID:iM/2MMIl
三島好きなやつって大概こんなだから人前で俺が三島とか読みますよって言いにくくなる
100名無しのオプ:2009/07/12(日) 23:58:01 ID:ygUKQuH4
>>99
読んでもないくせに
101名無しのオプ:2009/07/13(月) 00:11:04 ID:N2g87A3F
ガキの喧嘩かよwwwww
102名無しのオプ:2009/07/15(水) 20:31:54 ID:RS9G2cHC
貼り付け魔さんもごくろうなことで。
三島伝道師?
いろんなところに出没してるね。
103名無しのオプ:2009/07/24(金) 10:55:20 ID:zq0DAqm0
東京空港で、米国務長官を襲つて未遂に終つた一青年のことが報道された。
日本のあらゆる新聞がこの青年について罵詈ざんばうを浴せ、袋叩きにし、足蹴にせんばかりの勢ひであつた。
…私はテロリズムやこの青年の表白に無条件に賛成するのではない。
ただあらゆる新聞が無名の一青年をこれほど口をそろへて罵倒し、判で捺したやうな全く同じヒステリカルな
反応を示したといふことに興味を持つたのである。
左派系の新聞も中立系の新聞も右派系の新聞も同時に全く同じヒステリー症状を呈した。
かういふヒステリー症状は、ふつう何かを大いそぎで隠すときの症候行為である。
この怒り、この罵倒の下に、かれらは何を隠さうとしたのであらうか。
日本は西欧的文明国と西欧から思はれたい一心でこの百年をすごしてきたが、この無理なポーズからは何度もボロが出た。
最大のボロは第二次世界対戦で出し切つたと考へられたが、戦後の日本は工業的先進国の列に入つて、もうボロを出す
心配はなく、外国人には外務官僚を通じて茶道や華道の平和愛好文化こそ日本文化であると宣伝してゐればよかつた。

三島由紀夫
「日本文化の深淵について」より
104名無しのオプ:2009/07/24(金) 10:57:37 ID:zq0DAqm0
昭和三十六年、私がパリにゐたとき、たまたま日本で浅沼稲次郎の暗殺事件が起つた。
浅沼氏は右翼の十七歳の少年山口二矢によつて短剣で刺殺され、少年は直後獄中で自殺した。
このとき丁度パリのムーラン・ルージュではRevue Japonais といふ日本人のレビューが上演されてをり、
その一景に、日本の短剣の乱闘場面があつた。
在仏日本大使館は誤解をおそれて、大あわてで、その景のカットをレビュー団に勧告したのである。
誤解をおそれる、とは、ある場合は、正解をおそれるといふことの隠蔽である。
私がいつも思ひ出すのは、今から九十年前、明治九年に起つた神風連の事件で、これは今にいたるも
ファナティックな非合理な事件としてインテリの間に評判がわるく、外国人に知られなくない一種の恥と考へられてゐる。

三島由紀夫
「日本文化の深淵について」より
105名無しのオプ:2009/07/24(金) 10:59:19 ID:zq0DAqm0
約百名の元サムラヒの頑固な保守派のショービニストが起した叛乱であるが、彼らはあらゆる西洋的なものを憎み、
明治の新政府を西欧化の見本として敵視した。
…あらゆる西欧化に反抗した末、新政府が廃刀令を施行して、武士の魂である刀をとりあげるに及び、
すでにその地方に配置された西欧化された近代的日本軍隊の兵営を、百名が日本刀と槍のみで襲ひ、
結果は西洋製の小銃で撃ち倒され、敗残の同志は悉く切腹して果てたのである。
トインビーの「西欧とアジア」に、十九世紀のアジアにとつては、西欧化に屈服してこれを受け入れることによつて
西欧に対抗するか、これに反抗して亡びるか、二つの道しかなかつたと記されてゐる。
正にその通りで、一つの例外もない。
日本は西欧化近代化を自ら受け入れることによつて、近代的統一国家を作つたが、その際起つた
もつとも目ざましい純粋な反抗はこの神風連の乱のみであつた。
他の叛乱は、もつと政治的色彩が濃厚であり、このやうに純思想的文化的叛乱ではない。

三島由紀夫
「日本文化の深淵について」より
106名無しのオプ:2009/07/24(金) 11:00:17 ID:zq0DAqm0
日本の近代化が大いに讃えられ、狡猾なほどに日本の自己革新の能力が、他の怠惰なアジア民族に比して
賞讃されるかげに、いかなる犠牲が払はれたかについて、西欧人はおそらく知ることが少ない。
それについて探究することよりも、西欧人はアジア人の魂の奥底に、何か暗い不吉なものを直感して、
黄禍論を固執するはうを選ぶだらう。
しかし一民族の文化のもつとも精妙なものは、おそらくもつともおぞましいものと固く結びついてゐるのである。
エリザベス朝時代の幾多の悲劇がさうであるやうに。
……日本はその足早な、無理な近代化の歩みと共に、いつも月のやうに、その片面だけを西欧に対して
示さうと努力して来たのであつた。
そして日本の近代ほど、光りと影を等分に包含した文化の全体性をいつも犠牲に供してきた時代はなかつた。

三島由紀夫
「日本文化の深淵について」より
107名無しのオプ:2009/07/24(金) 11:01:27 ID:zq0DAqm0
私の四十年の歴史の中でも、前半の二十年は、軍国主義の下で、不自然なピューリタニズムが文化を統制し、
戦後の二十年は、平和主義の下で、あらゆる武士的なもの、激し易い日本のスペイン風な魂が抑圧されて来たのである。
そこではいつも支配者側の偽善が大衆一般にしみ込み、抑圧されたものは何ら突破口を見出さなかつた。
そして、失はれた文化の全体性が、均衛をとりもどさうとするときには、必ず非合理な、
ほとんど狂的な事件が起るのであつた。
これを人々は、火山のマグマが、割れ目から噴火するやうに、日本のナショナリズムの底流が、
関歇的に奔出するのだと見てゐる。
ところが、東京空港の一青年のやうに見易い過激行動は、この言葉で片附けられるとしても、あらゆる
国際主義的仮面の下に、ナショナリズムが左右両翼から利用され、引張り凧になつてゐることは、気づかれない。
反ヴィエトナム戦争の運動は、左翼側がこのナショナリズムに最大限に訴へ、そして成功した事例であつた。

三島由紀夫
「日本文化の深淵について」より
108名無しのオプ:2009/07/24(金) 11:17:50 ID:zq0DAqm0
ナショナリズムがかくも盛大に政治的に利用されてゐる結果、人々は、それが根本的には
文化の問題であることに気づかない。
九十年前、近代的武器を装備した近代的兵営へ、日本刀だけで斬り込んだ百人のサムラヒたちは、
そのやうな無謀な行動と、当然の敗北とが、或る固有の精神の存在証明として必要だ、といふことを知つてゐたのである。
これはきはめて難解な思想であるが、文化の全体性が犯されるといふ日本の近代化の中にひそむ危険の、
最初の過激な予言になつた。
われわれが現在感じてゐる日本文化の危機的状況は、当時の日本人の漠とした予感の中にあつたものの、
みごとな開花であり結実なのであつた。

三島由紀夫
「日本文化の深淵について」より
109名無しのオプ:2009/08/02(日) 22:32:26 ID:o1oClhfy
「世間」とは何だらう。もつとも強大な敵であると共に、いや、それなればこそ、
最終的には、どうしても味方につけなければならないもの。
さういふものと相渉るには、政治学だけでは十分ではない。
何か「世間」に負けない、つひには「世間」がこちらを嫉視せずにはゐられぬやうな、
内的な価値と力が要る。魅惑(シャルム)こそ世間に対する最後の武器である。

三島由紀夫
「序 丸山明宏著『紫の履歴書』」より
110名無しのオプ:2009/08/17(月) 12:19:40 ID:tzlVY8Aw
実は私は「愛国心」といふ言葉があまり好きではない。
何となく「愛妻家」といふ言葉に似た、背中のゾッとするやうな感じをおぼえる。
この、好かない、といふ意味は、一部の神経質な人たちが愛国心といふ言葉から感じる政治的アレルギーの
症状とは、また少しちがつてゐる。
ただ何となく虫が好かず、さういふ言葉には、できることならソッポを向いてゐたいのである。
この言葉には官製のにほひがする。また、言葉としての由緒ややさしさがない。
どことなく押しつけがましい。反感を買ふのももつともだと思はれるものが、その底に揺曳してゐる。
では、どういふ言葉が好きなのかときかれると、去就に迷ふのである。愛国心の「愛」の字が私はきらひである。
自分がのがれやうもなく国の内部にゐて、国の一員であるにもかかはらず、その国といふものを向う側に対象に置いて、
わざわざそれを愛するといふのが、わざとらしくてきらひである。
もしわれわれが国家を超越してゐて、国といふものをあたかも愛玩物のやうに、狆か、それともセーブル焼の
花瓶のやうに、愛するといふのなら、筋が通る。それなら本筋の「愛国心」といふものである。

三島由紀夫
「愛国心」より
111名無しのオプ:2009/08/17(月) 12:20:43 ID:tzlVY8Aw
また、愛といふ言葉は、日本語ではなくて、多分キリスト教から来たものであらう。
日本語としては「恋」で十分であり、日本人の情緒的表現の最高のものは「恋」であつて、「愛」ではない。
もしキリスト教的な愛であるなら、その愛は無限低無条件でなければならない。
従つて、「人類愛」といふのなら多少筋が通るが、「愛国心」といふのは筋が通らない。
なぜなら愛国心とは、国境を以て閉ざされた愛だからである。
だから恋のはうが愛よりせまい、といふのはキリスト教徒の言ひ草で、恋のはうは限定性個別性具体性の裡にしか、
理想と普遍を発見しない特殊な感情であるが、「愛」とはそれが逆様になつた形をしてゐるだけである。

三島由紀夫
「愛国心」より
112名無しのオプ:2009/08/17(月) 12:21:42 ID:tzlVY8Aw
日本のやうな国には、愛国心などといふ言葉はそぐはないのではないか。
すつかり藤猛にお株をとられてしまつたが、「大和魂」で十分ではないか。
アメリカの愛国心といふのなら多少想像がつく。ユナイテッド・ステーツといふのは、巨大な観念体系であり、
移民の寄せ集めの国民は、開拓の冒険、獲得した土地への愛着から生じた風土愛、かういふものを基礎にして、
合衆国といふ観念体系をワシントンにあづけて、それを愛し、それに忠誠を誓ふことができるのであらう。
国はまづ心の外側にあり、それから教育によつて内側へはひつてくるのであらう。
アメリカと日本では、国の観念が、かういふ風にまるでちがふ。
日本は日本人にとつてはじめから内在的即自的であり、かつ限定的個別的具体的である。
観念の上ではいくらでもそれを否定できるが、最終的に心情が容認しない。

三島由紀夫
「愛国心」より
113名無しのオプ:2009/08/17(月) 12:22:54 ID:tzlVY8Aw
そこで日本人にとつての日本とは、恋の対象にはなりえても、愛の対象にはなりえない。
われわれはとにかく日本に恋してゐる。
これは日本人が日本に対する基本的な心情の在り方である。
(本当は「対する」といふ言葉さへ、使はないはうがより正確なのだが)
しかし恋は全く情緒と心情の領域であつて、観念性を含まない。
われわれが日本を、国家として、観念的にプロブレマティッシュ(問題的)に扱はうとすると、しらぬ間に
この心情の助けを借りて、あるひは恋心をあるひは憎悪愛(ハースリーベ)を足がかりにして物を言ふ結果になる。
かくて世上の愛国心談義は、必ず感情的な議論に終つてしまふのである。

三島由紀夫
「愛国心」より
114名無しのオプ:2009/08/17(月) 12:24:23 ID:wfYLVepW
頭いい奴の書いた本って意味わからん。
ノーベル賞の奴とかの本も全部つまらん。
赤川次郎とか西村京太郎とか馬鹿が書いた本のほうが、意味がわかる。
115名無しのオプ:2009/08/17(月) 12:24:29 ID:tzlVY8Aw
恋が盲目であるやうに、国を恋ふる心は盲目であるにちがひない。
しかし、さめた冷静な目のはうが日本をより的確に見てゐるかといふと、さうも言へないところに問題がある。
さめた目が逸したところのものを、恋に盲ひた目がはつきりつかんでゐることがしばしばあるのは、
男女の仲と同じである。
一つだけたしかなことは、今の日本では、冷静に日本を見つめてゐるつもりで日本の本質を逸した考へ方が、
あまりにも支配的なことである。
さういふ人たちも日本人である以上、日本を内在的即自的に持つてゐるのであれば、彼らの考へは、
いくらか自分をいつはつた考へだと言へるであらう。

三島由紀夫
「愛国心」より
116名無しのオプ:2009/08/17(月) 12:25:37 ID:wfYLVepW
本は楽しければいいのだ。
117名無しのオプ:2009/08/17(月) 19:59:38 ID:hQa/D9E1
こんな掲示板にコピペなんかして、自分が一番三島を貶めてることに気付いてないのかな?


そもそも三島だって娯楽だし
118名無しのオプ:2009/08/20(木) 10:51:27 ID:IKLF+7eQ
私の心の中では、過去のみならず、未来においても、敏感で、潔癖で、生活の細目にいたるまで様式的統一を重んじ、
ことばを精錬し、しかも新しさをしりぞけない日本および日本人のイメージがあるのである。
そのためには、中途はんぱな、折衷的日本主義なんかは真つ平で、生つ粋の西洋か、生つ粋の日本を選ぶほかはないが、
生活上において、いくら生つ粋の西洋を選んでも安心な点は、肉体までは裏切れず、私はまぎれもない日本人の顔をしてをり、
まぎれもない日本語を使つてゐるのだ。
つまり、私の西洋式生活は見かけであつて、文士としての私の本質的な生活は、書斎で毎夜扱つてゐる「日本語」といふ
この「生つ粋の日本」にあり、これに比べたら、あとはみんな屁のやうなものなのである。

三島由紀夫
「日本への信条」より
119名無しのオプ:2009/08/20(木) 10:52:26 ID:IKLF+7eQ
今さら、日本を愛するの、日本人を愛するの、といふのはキザにきこえ、愛するまでもなくことばを通じて、
われわれは日本につかまれてゐる。だから私は、日本語を大切にする。
これを失つたら、日本人は魂を失ふことになるのである。
戦後、日本語をフランス語に変へよう、などと言つた文学者があつたとは、驚くにたへたことである。

三島由紀夫
「日本への信条」より
120名無しのオプ:2009/08/20(木) 10:54:15 ID:IKLF+7eQ
低開発国の貧しい国の愛国心は、自国をむりやり世界の大国と信じ込みたがるところに生れるが、かういふ劣等感から
生れた不自然な自己過信は、個人でもよく見られる例だ。
私は日本および日本人は、すでにそれを卒業してゐると考へてゐる。
ただ無言の自信をもつて、偉ぶりもしないで、ドスンと構へてゐればいいのである。
さうすれば、向うからあいさつにやつてくる。貫禄といふものは、からゐばりでつくるものではない。
そして、この文化的混乱の果てに、いつか日本は、独特の繊細鋭敏な美的感覚を働かせて、様式的統一ある文化を造り出し、
すべて美の視点から、道徳、教育、芸術、武技、競技、作法、その他をみがき上げるにちがひない。
できぬことはない。かつて日本人は一度さういふものを持つてゐたのである。

三島由紀夫
「日本への信条」より
121名無しのオプ:2009/08/20(木) 13:56:34 ID:D3gSlZ70
こいつあれだな
文学楽しむ事すらできてないな
122名無しのオプ:2009/08/21(金) 10:19:17 ID:XanhcAyB
「我が国旗」

徳川時代の末、波静かなる瀬戸内海、或は江戸の隅田川など、あらゆる船の帆には
白地に朱の円がゑがかれて居た。
朝日を背にすれば、いよよ美しく、夕日に照りはえ尊く見えた。
それは鹿児島の大大名、天下に聞えた島津斉彬が外国の国旗と間違へぬ様にと案出したもので、
是が我が国旗、日の丸の始まりである。
模様は至極簡単であるが、非常な威厳と尊さがひらめいて居る。
之ぞ日出づる国の国旗にふさはしいではないか。
それから時代は変り、将軍は大政奉くわんして、明治の御代となつた。
明治三年、天皇は、この旗を国旗とお定めになつた。そして人々は、これを日の丸と呼んで居る。
からりと晴れた大空に、高くのぼつた太陽。それが日の丸である。

平岡公威(三島由紀夫)11歳の作文
123名無しのオプ:2009/08/21(金) 13:16:28 ID:g+VY3HA0
11歳かよww
124名無しのオプ:2009/08/21(金) 13:55:22 ID:wK+iyiDr
村上○樹「やれやれ。三島よりチャンドラーのほうが上」
125名無しのオプ:2009/08/21(金) 15:13:27 ID:s8Mi2z2a
126名無しのオプ:2009/09/01(火) 15:29:31 ID:348T/kdL
三島:日本人はアジアでも特殊な民族で、外来文明に対する抵抗力はいちばん強いと思う。
肺結核の黴菌に対しても、清浄な空気の田舎から出てきた人は非常にかかりやすく、都会でもまれて免疫になっている人は
かかりにくいのと同じで、日本は外来文化の吹きだまりと言われているぐらいなので、抵抗力はアジアでいちばん強い。
インド人は依然としてサリーを着ている。インド人は外来文化に対して立派に抵抗している。
日本人の男は似合いもしないセビロを着、女はドレスを着ている。
皮相な観測をする外国人は、日本人は無節操で外来文化に対する抵抗力がないというが、そんなことはない。
似合わないセビロを着ていられるから抵抗力があるのだ。
そういう恰好ができないということは、逆にいえば抵抗力がないということだ。
ガンジーが糸車で抵抗したのはそれを知っていたからだ。

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より
127名無しのオプ:2009/09/01(火) 15:30:51 ID:348T/kdL
三島:トインビーが言っているように、東南アジアから近東地方にかけての西洋文明の侵略に抵抗しえたのは
ガンジーの糸車である。もし、たとえ小さな機械でも、あれを機械に変えていれば、堤に穴があいたように、
そこからどっと西洋文明が入って来る。
そして社会が改革され、経済が改革され、西洋人が教えたとおりにやっていく。
現に東南アジア諸国は西洋をまねて革命を起こそうとしているが、日本はその点、いつもぐずらぐずらしている。
明治維新だってしようがないからやったんだ。のらりくらりで、相手を受け入れても抵抗力を失わない。
これは自信を持っていいと思う。
冷蔵庫やテレビをおいても、もう一つの世界を持っていける力がある。
人生をフィクションにする力は、日本人の大きな力だ。

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より
128名無しのオプ:2009/09/01(火) 15:31:40 ID:348T/kdL
三島:アメリカ人をご覧なさい。アメリカ人は六つの頃からセビロを着て、死ぬまでセビロを着なければならない。
ほかに着るものがない。人生をフィクションにする部分は一つもない。
教会に行ってもプロテスタントの教会だから、カソリックと違って飾り物やお祭があるわけでもない。
その一生は、人生のフィクションを味わうものがなにもないから、じつにさびしいものだろう。
そうだから、日本の文化に見られる人間精神の、純粋な結晶に、憧れを感じる。
日本人はそれをケロっとして持っている。自信を持っていい。
千:私もそれを考えて、ある席で言ったことがある。
日本人は模倣性が強いというが、そんなことは考えなくともよい。
無意識のうちに外にいるときは洋服、畳の上にいるときは着物を着る。
衣食住に関しては、外国人ができないことを平然としてやれる。
ですから、こういう機械文明の時代になっても、茶室で静かに自分の境地をさがし出すこともできる。

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より
129名無しのオプ:2009/09/01(火) 15:32:24 ID:348T/kdL
編集者:…お茶事は演出するもの、フィクションである。
しかも、それは歌舞伎の「先代萩」とか「菅原伝授」とか、たとえ俳優がかわっても繰り返して
なんべんでもやれるというものではない。だから一期一会……。
千:一期一会はお茶から出ているんだが、べつにお茶だけに限らなくともいいでしょう。
人間はおたがいに生活に追われているから、一日の一瞬間でも、ほんとうに心からとけあってお茶事を構成していこう、
そういう解釈でいいんじゃないですか。
今日会えば二度と会えなくても満足だという真剣勝負のような気持、そういう気魄は当然あるべきだと思う。
ただ、それを押しつけては、おたがいに窮屈になってしまうけれど。
三島:最高の快楽というのはそういうもんじゃないか。
現在の一瞬間を最高に楽しむ。非常にストイックな快楽ということになりますね。

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より
130名無しのオプ:2009/09/01(火) 15:33:10 ID:348T/kdL
千:瞬間瞬間をいかに満足するか。お茶を出す亭主はどういうようにすればお客さんに喜んでもらえるか、
また客のほうは、どうすれば雰囲気のなかに溶け込んで、自分というものが亭主に快く受け入れられるかという
瞬間的なふれあい、それは今言われたように、最高の快楽、和・敬・清・寂というものだろうと思う。
三島:たいへん教養のあるアメリカの婦人が、日本にきて、北鎌倉のあるお寺に行ってそこの高僧に会った。
春で庭に梅の花が咲いていた。その人は日本語ができないので、おそるおそる座敷に入って、端近に座った。
やがて和尚さんが現われてニッコリした。彼女もなにもわからないがニッコリした。
その瞬間、彼女はここで死んでもいいと思ったそうです。
これまで五十何年間生きてきたけれども、自分が死んでもいいと思った瞬間はあのときがはじめてだといっていたが、
ここに道を求むる人ありという感じでした。(笑)

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より
131名無しのオプ:2009/09/01(火) 15:48:58 ID:348T/kdL
三島:…これは古い言葉ですが、伝統芸術というのはおしなべて「捨身飼虎」の精神がほしいと思う。
身を捨てるということは、現代ではセビロを着ること、テレビを見ること、洗濯機を使うこと、地下鉄を乗ること、
これが現代の捨身。お茶はほんとうにおそろしいものですよという位置まで高めるのが飼虎。そうしなければいけないと思う。
いま歌舞伎や能の人のやっていることは、虎が檻から勝手に出てしまって、自分では虎を飼っていない人が多い。
そこで身を捨てないで、着物、羽織、袴をはいても、虎がいないのでは人の心をつかめない。
お客さんは檻のなかに虎がいないことを知っている。
編集者:…お茶は虎だというのは非常に大切だと思います。盲蛇におじずで、虎を猫だと思っている人が多いから、
猫じゃなくて虎だということを知らせるのは伝統を守るために必要なことでしょう。
外人を茶室に入れたら、キチッと坐らせて、猫じゃなく虎だと思わせることは非常に必要なことですね。
三島:ますますこれから必要でしょう。総理大臣までチョロチョロしている世の中で、日本の凜然たるものを
持っているのは伝統芸術だけだということになるかもしれないね。

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より
132名無しのオプ:2009/09/03(木) 10:37:31 ID:8L164KS4
左翼はいつも、より良き未来世界といふものを模索してゐる。
いつもより良き未来社会へ向かつて我々は進歩してゆくと考へてゐるのです。
…ところがソビエトはご承知のやうな状態になつた。
これは完全な官僚社会のみならず、その常套語を使へば、帝国主義なのです。
そして、かつて日本人が未来社会と思つたのが帝国主義になつてしまつた。
もうスターリン批判以来、日本人のソビエトに対する夢も崩れた。
では、中共はどうか。中共はどうも日本人の西洋崇拝から言ふと少し外れる処があつたんだけど、
文化大革命といふことがあつたので、ますます日本人の理想から遠くなつてしまつた。
…そこで未来社会の展望を失つたところに彼らの焦燥と彼らの一種の絶望感があることは確かなのです。

三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
133名無しのオプ:2009/09/03(木) 10:38:22 ID:8L164KS4
それで、より良き彼らの本当の未来社会とは何であるか。
皆さんは、「自由からの逃走」といふエーリッヒ・フロムの本などをお読みになつたことがあるだらうと思ひますが、
…いはゆる、ヒューマニテリアン・ソシャリズムですが、完全な言論自由化の社会主義といふやうな、誰が考へても
実現不可能のやうな、より良き未来に向かつて進んで行かうと、それがまあ大体の左翼型のラディカルな革命の
行動の先にある未来国であると考へて良いと思ひます。
…何も私は共産主義に対抗して生きてゐるわけではありません。
…ですけれども彼らの考へにうつかり動かされ、蝕まれていつたならば、どういふ結果になるか目に見えてゐる。

三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
134名無しのオプ:2009/09/03(木) 10:40:30 ID:8L164KS4
私は未来といふものはないといふ考へなのです。未来などといふことを考へるからいけない。
…我々はアメーバが触手を伸ばすやうに、闇の中を手探りで少し先の未来までは予測ができる。
或ひは来年くらゐまでは予測できるかもしれない。
しかし、人間が予測されない闇の中を進んでゆくためには、その闇の彼方にあるものを信ずるか、或ひはその闇といふものに
対決して本当に自分の現在に生きるかといふことの二つの選択を迫られてゐるといふのが私の考へ方の基本であります。
“未来に夢を賭ける”といふことは弱者のすることである。
そして、自分をプロセスとしか感じられない人間のすることであります。
…このやうな思考の中からは人間の円熟といふことも出て来なければ、人間の成熟といふ思考も絶対に出て来ない。
実は、人間は未来に向かつて成熟してゆくものではないんです。
それが人間といふ生き物の矛盾に充ちた不思議なところです。
人間といふものは“日々に生き、日々に死ぬ”以外に成熟の方法を知らないんです。

三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
135名無しのオプ:2009/09/03(木) 10:41:26 ID:8L164KS4
そこで、何も未来を信じない時、人間の根拠は何かといふことを考へますと、次のやうになります。
未来を信じないといふことは今日に生きることですが、刹那主義の今日に生きるのではないのであつて、
今日の私、現在の私、今日の貴方、現在の貴方といふものには、背後に過去の無限の蓄積がある。
そして、長い文化と歴史と伝統が自分のところで止まつてゐるのであるから、自分が滅びる時は全て滅びる。
つまり、自分が支へてきた文化も伝統も歴史もみんな滅びるけれども、しかし老いてゆくのではないのです。
今、私が四十歳であつても、二十歳の人間も同じ様に考へてくれば、その人間が生きてゐる限り、
その人間のところで文化は完結してゐる。
その様にして終りと終りを繋げれば、そこに初めて未来が始まるのであります。

三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
136名無しのオプ:2009/09/03(木) 10:42:53 ID:8L164KS4
われわれは自分が遠い遠い祖先から受け継いできた文化の集積の最後の成果であり、
これこそ自分であるといふ気持で以つて、全身に自分の歴史と伝統が籠つてゐるといふ気持を持たなければ、
今日の仕事に完全な成熟といふものを信じられないのではなからうか。
或ひは、自分一個の現実性も信じられないのではなからうか。自分は過程ではないのだ。道具ではないのだ。
自分の背中に日本を背負ひ、日本の歴史と伝統と文化の全てを背負つてゐるのだといふ気持に一人一人がなることが、
それが即ち今日の行動の本になる。
…「俺一人を見ろ!」とこれがニーチェの「この人を見よ」といふ思想の一つの核心でもありませう。
けれども、私は中学時代に「この人を見よ」といふのは「誰を見よ」といふのかと思つて先輩に聞きましたところ、
「ニーチェを見よ」といふことだと教へて貰ひ、私は世の中にこんなに自惚れの強い人間がゐるのかと驚いたことがあるのです。
しかし、今になつて考へてみると、それは自惚れではないのであります。

三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
137名無しのオプ:2009/09/03(木) 11:11:27 ID:8L164KS4
自分の中にすべての集積があり、それを大切にし、その魂の成熟を自分の大事な仕事にしてゆく。
しかし、そのかはり何時でも身を投げ出す覚悟で、それを毀さうとするものに対して戦ふ。
…ここにこそ現在があり、歴史があり、伝統がある。彼らの貧相な、観念的な、非現実的な未来ではないものがある。
そこに自分の行動と日々のクリエーションの根拠を持つといふことが必要です。
これは又、人間の行動の強さの源泉にもなると思ふ。といふのは人間といふものは、それは果無い生命であります。
しかし、明日死ぬと思へば今日何かできる。そして、明日がないのだと思ふからこそ、今日何かができるといふのは、
人間の全力的表現であり、さうしなければ、私は人間として生きる価値がないのだと思ひます。

三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
138名無しのオプ:2009/09/03(木) 11:13:19 ID:8L164KS4
本日ただ今の、これは禅にも通じますが、現在の一瞬間に全力表現を尽すことのできる民族が、その国民精神が
結果的には、本当に立派な未来を築いてゆくのだと思ひます。
しかし、その未来は何も自分の一瞬には関係ないのである。
これは、日本国民全体がそれぞれの自分の文化と伝統と歴史の自信を持つて今日を築きゆくところに、
生命を賭けてゆくところにあるのです。
特攻隊の遺書にありますやうに、私が“後世を信ずる”といふのは“未来を信ずる”といふことではないと思ふのです。
ですから、“未来を信じない”といふことは、“後世を信じない”といふこととは違ふのであります。
私は未来は信じないけれども後世は信ずる。
特攻隊の立派な気持には万分の一にも及びませんが、私ばかりでなく、若い皆さんの一人一人がさういふ気持で後輩を、
又、自分の仕事ないし日々の行動の本を律してゆかれたならば、その力たるや恐るべきものがあると思ひます。

三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
139名無しのオプ:2009/09/08(火) 11:05:34 ID:/ODB2om6
「分倍河原の話を聞いて」

私達は早や疲れた体を若い小笹や柔かい青艸の上にした。
視野は広く分倍河原の緑の海の様な其の向うには、うつさうとした森があつて、
遥か彼方には山脈の様なものが長々と横たはつて居た。
白く細く見えるのは鎌倉街道である。
遠く黄色い建物は明治天皇の御遺徳を偲ぶ為の記念館であると、小池中佐はお話下さつた。
腰を下して、分倍河原の合戦のお話をお聴きする。
元弘三年、此処は血の海が、清き流れ多摩川に流れ込んだのだ。
今でこそ此の分倍河原は、虫の音や水の流れに包まれてゐるが、六百年前には静寂がなくて
其の代りに陣太鼓の音や骨肉相食む戦闘が繰り返へされたのだ。
《勝つて兜の緒を締めよ》この戦ひは如実に之を教へてゐる。
見よ。六百年の歴史の流れは、遂に此の古戦場を和かな河原に変化せしめたのだ。
其の時、足下の草の中から、小さな飛蝗が飛び出し、虫の音は愈々盛になつて居たのである。
益々空は青い。

平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
140名無しのオプ:2009/09/08(火) 11:06:17 ID:/ODB2om6
「支那に於ける我が軍隊」

七月八日――其の日、東京はざわめいて居た。人々は号外を手にし、そして河北盧溝橋事件を論じ合つてゐた。
昭和十二年七月七日夜、支那軍の不法射撃に端を発して、遂に、我軍は膺懲の火ぶたを切つたのである。
続いて南口鎮八達鎮の日本アルプスをしのぐ崚嶮を登つて、壮烈な山岳戦が展開せられた。
懐来より大同へと我軍はその神聖なる軍をつゞけ、遂に、懐仁迄攻め入つたのである。
我国としても出来得る限りは、事件不拡大を旨として居たのであるが、盧溝橋事件、大山事件に至るに及び、
第二の日清戦争、否!第二の世界大戦を想像させるが如き戦ひに遭遇した。
〜〜〜〜〜〜〜〜
(続く)

平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
141名無しのオプ:2009/09/08(火) 11:07:21 ID:/ODB2om6
「支那に於ける我が軍隊」

飲むは泥水、行くはことごとく山岳泥地、そして百二十度の炎熱酷暑、その中で我将兵は、
苦戦に苦戦を重ねて居るのである。その労苦を思ふべし、自ら我将士に脱帽したくなるではないか。
たとへ東京に百二十度の炎暑が襲はうとも、そこには清い水がある。平らかな道がある。
それが並大抵のもので無いことは良く解るのである。
併し軍は、支那のみに止らぬ。オホーツク海の彼方に、赤い鷲の眼が光つてゐる。
浦塩(ウラジホ)には、東洋への銀の翼を持つ鵬が待機してゐる。
我国は伊太利(イタリー)とも又防共協定を結んだ。
併しUNION JACK は、不可思議な態度をとつて陰険に笑つてゐる。
噫!世界は既に動揺してゐるのだ!
〜〜〜〜〜〜〜〜
支那在留の将士よ、私は郷らの健康と武運の長久を切に切に祈るものである。

平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
142名無しのオプ:2009/09/09(水) 16:02:56 ID:7KCG6TEY
「菊花」

渋い緑色の葉と巧みな色の配合を持つた、あの隠逸花ともよばれるつつましやかな花は、自然と園芸家によつて造られた。
園芸家達の菊は、床の間に飾られるのを、五色の屋根の下に其の艶やかな容姿を競ふのを誇りとし、
自然の造つた菊は、巨きな石塊がころがつて痩せ衰へた老人の皮膚の様な土地に、長い睫毛の下から無邪気な
瞳を覗かせてゐる幼児のやうに咲き出づるのを誇つてゐる。
前者は人の目を娯ます為に相違ないが、野菊の持つエスプリはそれ以上のものである。
荒んだ人の心の柔かな温床。
荒くれ男どもを自然の美しさに導く糧。
それが野菊である。
《鬚むじやらの人夫などが、白と緑の清楚な姿に誘はれて、次々と野菊を摘んで行き、山の端に日が燃え切る頃、
大きな花束を抱へて嬉しげに家路に着く》それは美しい風景ではあるまいか。
〜〜〜〜〜〜〜〜
時は霜月。
木々が着物を剥がされかけて寒さに震へる月であるが、彼の豪華な花弁が野分風も恐れずに微笑む時である。

平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
143名無しのオプ:2009/09/13(日) 12:17:13 ID:mrE3c6f9
「三笠・長門見学」

船は横須賀の波止場へ着いた。ポーッと汽笛が鳴る。私達は桟橋を渡つた。薄曇りで、また酷い暑さの今日は、海迄だるさうだ。
併し、僕達は元気よく船から飛び出す。三笠の門の前に集合し、そして芝生の間の路に歩を運ぶ。
艦前に来て再び集まり、三笠保存会の方から、艦の歴史やエピソォドを伺つた。
お話が終ると私は始めて三笠を全望した。
見よ!此の勲高き旗艦を。そしてマストにはZ信号がかゝげられてゐる。
時に、雲間を割つて出でた素晴らしき陽は、この海の館を愈々荘厳ならしめた。
艦頭の国旗は、うすらな風にひるがへり、今にも三笠は、大波をけつて走り出さうだ。
一昔前はどんな設備で戦つてゐたのか、早く見たくなつた。
やがて案内の人にともなはれて急な階段を上り、艦上に入る。よく磨かれた大砲が海に向つて突き出てゐる。
こゝで日本の大きな威力が世界に見せられたわけだ。
伏見宮様の御負傷の御事どもをお聴きして、えりを正した。其処此処に戦士者の写真が飾られてあるのも哀れだ。
(続く)

平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
144名無しのオプ:2009/09/13(日) 12:17:53 ID:mrE3c6f9
「三笠・長門見学」

私達は最上の甲板に登つて東郷大将の英姿を想像してみた。
手に望遠鏡、頭上には高くZ信号。……皇国の興廃此の一戦にあり、各員一層奮励努力せよ……。
とは単なる名文ではなくて、心の底から叫んだ愛国の声ではないか。
士官の室が大変立派なのにも驚いた。又会議室へ行つて此処でどんな戦略が考へられたかと思つた。
艦の全体にペンキで戦痕が記されてある。
こんなに沢山弾を受けたのに一つも艦の心臓部に命中しなかったのは畏い極み乍ら、天皇の御稜威のいたす所であらう。
艦を出て、暫時休憩し、昼食を摂る。休憩が済むと、再び海に沿うた道を歩く。
そここゝにZ信号記念品販売所等と看板があるのも横須賀らしい。さうする中に海軍工廠の門内へ入つた。
…其の内にランチへ乗る。さうして五分も経たないで長門につく。
先づ此れを望んで、さつきの三笠と較べて見ると、余りにその設備の新式なのに驚いた。
艦上には四十サンチの素晴らしい大砲がある。
…あゝ日本の精鋭長門、こんな軍艦があつてこそ、日本の海は安全なのであらう。

平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
145名無しのオプ:2009/09/13(日) 13:47:39 ID:Au3WS2k3
百二十度の炎熱酷暑の中で戦える将兵は最強だね
146名無しのオプ:2009/09/13(日) 21:25:18 ID:E/MMDPqw
三島が難解だとか高尚だとかまったく思わない。最初に高尚な文学に違いない
と思いこまないととても読めた代物では無い気がする。潮騒なんて読むと人物描写の
底の浅さというかこいつまるで取材してないなと言うところばかり目立つ。
あの時期の実力の妖しげな有名文士同士のほめっくらが無ければまったく価値の無い作家
ではないかと思われる。
147名無しのオプ:2009/09/13(日) 21:47:27 ID:mrE3c6f9
三島は神島に長期滞在して綿密に取材してるよ。
創作ノートみれば三島が作品を書く前にどれだけ熟考した上で洗練させているか解る。
148名無しのオプ:2009/09/13(日) 22:16:50 ID:RxCyra64
三島が底の浅い作家だとは思わないが、
>>147のいうような取材や熟考は底の浅い作家でも
普通にやることなので特筆する意味はないような

三島の問題は、疑いようのない天才なのに
才能の使い方を最後まで理解していなかったところだと思うな
149名無しのオプ:2009/09/13(日) 22:54:01 ID:mrE3c6f9
三島の才能を生かすも殺すも、後世(現代人)の手に委ねただけのことだよ。
150名無しのオプ:2009/09/25(金) 11:14:58 ID:/nNhj69p
「東健兄を哭す」

十月八日の宵、秋雨にまじる虫のねのあはれにきこえるのに耳をすましてゐると、階下で電話が鳴つてゐる。
家のものがあたふたと梯子段をあがつてくる気配、なにがしにこちらもせきこんで、どこから?と声をかけると
「東さんが……お亡くなりに」「えッ」私は浮かした腰を思はず前へのめらせて、後は夢中で階段を駆け下り
電話にしがみついた。その電話で何をうかがひ、何をお答へしたか、皆目おぼえてゐない。
よみ路の方となられては、急いても甲斐ないものを見境なく、仕度もそこそこに雨の戸外へ出た。
渋谷駅までの暗い夜道をあるいてゆく時、私の頭は痺れたやうに、また何ものかに憑かれたやうに、ひたすらに
足をはやめさせるばかりであつた。さて何処へ、何をしに――さうした問は、ただ一つのおそろしい塊のやうになつて、
有無をいはせず私の心をおさへつけた。あらゆる心のはたらきを痴呆のやうに失はせてゐた。

平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
151名無しのオプ:2009/09/25(金) 11:16:33 ID:/nNhj69p
「東健兄を哭す」

兄の御寿(みいのち)はみじかかつた。
おのが与へられたる寿命を天職に対して、兄ほどに誠実であり潔癖であり至純であつた人を寡聞にして私は知らない。
私は兄から、文学といふもののもつ雄々しさを教へられたのである。
文学は兄にとつてあるひは最後のものではなかつたかもしれぬ。しかし文学をとほしてする生き方が、やがて
最高の生き方たり得るといふ信仰を、身を以て示された兄の如きに親炙することによつて、わがゆく道のさきざきに
常にかがやく導きの火をもちうる倖せが、こよなく切に思はれるこの大御代にあつて、唯一の謝すべき人を失ふとは。
……兄は病床にありながら、戦に処する心構においては、これまた五体の健全な人間の、以て範とするに足るものであつた。
幾度かわれわれの、あるときなお先走りな、あるときは遅きに失した足取りは、却つて病床の兄の決してあやまたない
足取りのまへに、恥かしい思ひをしたのである。せめて勝利の日までの御寿をとまづ私はそれを惜しんだ。

平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
152名無しのオプ:2009/09/25(金) 11:17:58 ID:/nNhj69p
「東健兄を哭す」

文学は兄にとつて禊であり道場であつた。
文学のなかでは一字一句の泣き言も愚痴も、いや病苦の片鱗だにも示されなかつた。平生の御手紙には尚更のことであつた。
そこに私はニイチェ風な高い悲しみを思ひゑがいたのであつたが、兄、神となりましし日、私は、つねに完全なる母君であられ、
今世に二なき悲しみにつきおとされになつた御母堂から、けつして愚痴を言はれなかつた四年間のまれまれに、
余人にとつてもおそらく肺腑をゑぐるものがあつたであらうそこはかとない御呟きを伝へ伺つて、ふともらされたその御呟き
――かうして治るのもわからずに文学をやつてゐるのは辛いなあ(誤伝なれば謹んで改めまゐらせん)――といふ一句を、
なにかたとしへもない真実が岩間をもれる泉のやうにのぞいたすがたと覚え、かつはかく守られねばならぬたをやかさが兄の
奥処にあり、守られたればこそ久遠に至純であつたその真実を思つて、文人の志の毅さとありがたさも今更に思ひ合はされ、
御母堂の御心事に想到し奉つても、暗涙をのまずにはゐられなかつたのである。

平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
153名無しのオプ:2009/09/25(金) 11:19:21 ID:/nNhj69p
「東健兄を哭す」

…初の御通夜、み榊、燭の火、虫のね、雨のおと、……私は言葉もなかつた。
平家物語のあれらのふしぎなほど美しい文章がしづかに胸に漣を立ててきた。……かくも深い悲しみのなかに
なほ文学のおもはれるのを、心のゆとりとしもいはばいへ。
兄だけはあの親しげななつかしい御目つきを、やさしく私に投げて肯いて下さるであらう。
御なきがらを安置まゐらせし御部屋は、ゆかり深くも、足掛け四年前、はじめて兄におめにかかつた御部屋であつた。
そして今か今かとその解かれるのをこひねがつた永い面会謝絶のあとで、まちこがれてゐた再度の対面は、
おなじお部屋の、だが決しておなじになりえぬ神のおもかげに向かつてなされた。
私はなにかひどく自分が老いづいた心地がしてならなかつた。
徳川義恭兄、ありしままなるおん顔ばせを写しまゐらせ給ふ。感にたへざるものあり。
みそなはせ義恭大人が露の筆
道芝の露のゆくへと知らざりし
つねならぬ秋灯とはなかなかに

――昭和十八年十月九日深更――
平岡公威(三島由紀夫)18歳の弔辞
154名無しのオプ:2009/09/26(土) 02:14:07 ID:i61PrhNe
見てる方がはずかしくなるような文章コピペするな。目障りだ。
155名無しのオプ:2009/10/01(木) 23:17:53 ID:ECdn8Fie
劇画や漫画の作者がどんな思想を持とうと自由であるが啓蒙家や教育者や図式的風刺家になつたら、
その時点でもうおしまひである。
かつて颯爽たる「鉄腕アトム」を想像した手塚治虫も、「火の鳥」では日教組の御用漫画家になり果て、
「宇宙蟲」ですばらしいニヒリズムを見せた水木しげるも「ガロ」の「こどもの国」や「武蔵」連作では
見るもむざんな政治主義に堕してゐる。
いつたい、今の若者は、図式化されたかういふ浅墓な政治主義の劇画・漫画を喜ぶのであらうか。
「もーれつア太郎」のスラップ・スティックスを喜ぶ精神と、それは相反するではないか。
ヤングベ平連の高校生と話したとき、「もーれつア太郎」の話になつて、その少年が、「あれは本当に心から
笑へますね」と大人びた口調で言つた言葉が、いつまでも耳を離れない。
大人はたとえ「ア太郎」を愛読してゐてもこうまで含羞のない素直な賛辞を呈することはできぬだらう。
赤塚不二夫は世にも幸福な作者である。

三島由紀夫
「劇画における若者論」より
156名無しのオプ:2009/10/16(金) 10:45:27 ID:4j8nL1LN
たとへば、いちばん崇高でもあり、つぎの瞬間にいちばん下劣でもあるのが人間なんですよ。
ぼくは、さういふ人間を考へる。崇高なだけであつてもウソに決まつてゐる。
また下劣なのが人間の本当の姿だ、といふ考へ方も大きらひなんですよ。
それは自然主義的な考へ方で、十九世紀に、ごく一部にできた迷信ですよ。
人間は崇高であると同時に下劣。だから、ぼくのことを下劣だと思ふ人があれば、それでもかまはない。
ぼくの中にだつて、「一寸の虫にも五分の魂」で、崇高なものもある。
それを、ぼくは自分でぼくだと思ふ。
むりやりに結びつけて、論理的に統一しようつたつて、できるものではない。
ただ思想的には節操は大切だと思ひますけど、それと人間の行動の一つ一つ。
つまり節操の正しい人は、どんなクソの仕方をするのか。
いつもまつすぐなクソがでてくるかといふと、そんなものぢやない。
節操の正しい人でも、トグロを巻いちやふ。
節操の曲がつた人でも、まつすぐなクソが出るかもしれない。そんなこと関係ないですよ。

三島由紀夫
「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より
157名無しのオプ:2009/10/16(金) 11:27:03 ID:n5uPf+ty
このスレに引用された文章を見る毎に、三島由紀夫って文章下手だなと思うの俺だけ?
158名無しのオプ:2009/10/16(金) 11:52:01 ID:7QazNp+X
コピペしてるやつも下手だと思ってるから
晒し上げしてるんだよ
「見ろよこの駄文www」ってな感じで
159名無しのオプ:2009/10/16(金) 12:01:37 ID:DBTIIV5O
今日のソングスは三島の愛した美輪明宏だ。
文章どころか趣味も悪いなんていうなよ。
当時はとんでもない美青年だった。
あの世から三島が美輪を見てたら、早く死んで正解だったと思ってるかも。
160名無しのオプ:2009/10/16(金) 13:15:36 ID:4j8nL1LN
>>157>>158
無理に反発する悔しまぎれレスの典型、お疲れさま。
161名無しのオプ:2009/10/16(金) 13:38:53 ID:DBTIIV5O
どうみても三島由紀夫の文章はうまいよ。これは否定しようがない。
人物描写は造り物感ぷんぷんだけどね。
「愛の渇き」の若者なんて土俗的人物のはずなのにサチュロスとニンフのようだ。
けなしてるわけじゃない。造り物もあれだけ精緻なできなら、文学的には全然オッケー。

ただ、逆に三島はいわゆる低俗と高踏の区別なんて軽蔑してたと思うよ。
だから>>1の発言なんて一番三島に軽蔑されて鼻で笑われる典型だね。
162名無しのオプ:2009/10/16(金) 14:53:30 ID:szy90tEp
自己愛性人格障害の特長

1. あからさまな傲慢さ  尊大で横柄な、また大げさで相手に軽蔑的な態度をとります。
  社会生活での慣習や規則をバカにし、自分には愚かで的はずれな規則だとあざ笑います。
  自分の高潔さを他人が見のがすことには怒り出しますが、他人のそういうことに対しては全くの無関心です。
2. 対人関係での搾取  当然の権利だと考えています。常に相手に対して自分を特別扱いするよう求めます。
  はずかしげもなく、自分が目立つためや願いを叶えるために他人を利用するのは当然のことと考えています。
3. 誇大性  えっ?と思うようなの空想をしたり、成功や美、愛に関する未熟で自己満足的な想像に浸りがちです。
  客観的事実はどうでもよく、事実を勝手に曲げ、自分に対する錯覚を必要とあらばうそをつくこともかまわない。
4. 自己像の賞賛  自分は価値があり、特別で(ユニークでなくても)大いなる称賛を受けるに
  値する人間だと信じていて、誇大的で自信に満ちた行動をとります。
  しかし、それに見合うような成果を収めることは少ないです。
  他人にはわがままで、軽率で、おおちゃくな人間だとみられているにもかかわらず、自分の価値を信じています。
5. 他人へのわざとらしさ  過去の対人関係はいいように記憶が変えられています。
  受け入れることができない過去の出来事や苦しみは簡単に作り直されます。
6. 合理化のメカニズム  自己中心的で周囲に対して思いやりに欠けた行動を正当化するために、
  もっともらしい理由を付けようとする。それらは欺瞞的で浅はかなものです。
7. 偽り  みえみえのうそをつきます。失敗をしてもすぐに埋め合わされ、プライドはすぐに復活します。
8. 無頓着  いっけん冷徹で無感動な自分を演じます。
  逆に、軽快で楽天的であるが、自己愛的な自信が揺さぶられるといかりや恥の感情や空虚感が表に出てきます。
163名無しのオプ:2009/10/16(金) 15:00:20 ID:n5uPf+ty
>>157だけど、>>160みたいに言われてもねえ。
用心してもう一回読み直したけど、何か、小林秀雄とか当時名文と言われた人の文章を
歯切れを悪くしたようにしか感じないんだけど。
嫌味言われても、反発するより当惑しか感じない。
164名無しのオプ:2009/10/16(金) 17:05:38 ID:m8fOFxo8
三島由紀夫の著書、死後の状況

死後三十数年しかたってないのに再評価される気配もなく
ひたすら淘汰され読まれなくなってきているが
しかし、一部の中二病の琴線に触れて熱心な読者を獲得し
彼らが文庫を集め全集を買うので、現代でも本屋に置かれている
165名無しのオプ:2009/10/16(金) 22:52:12 ID:4j8nL1LN
全集を一部の熱心な読者が買うのは当たり前だけど、100刷以上再版している文庫を買っているのはもっと広範囲の人々。
166名無しのオプ:2009/10/16(金) 23:05:19 ID:n5uPf+ty
売れてるだけなら横溝精子だって、Yoshiだって売れてるYO!!
167名無しのオプ:2009/10/17(土) 16:25:32 ID:rVIuhD8+
僕らは嘗て在つたもの凡てを肯定する。そこに僕らの革命がはじまるのだ。
僕らの肯定は諦観ではない。僕らの肯定には残酷さがある。
――僕らの数へ切れない喪失が正当を主張するなら、嘗ての凡ゆる獲得も亦正当である筈だ。
なぜなら歴史に於ける蓋然性の正義の主張は歴史の必然性の範疇をのがれることができないから。
僕らはもう過渡期といふ言葉を信じない。
一体その過渡期をよぎつてどこの彼岸へ僕らは達するといふのか。僕らは止められてゐる。
僕らの刻々の態度決定はもはや単なる模索ではない。
時空の凡ゆる制約が、僕らの目には可能性の仮装としかみえない。
僕らの形成の全条件、僕らをがんじがらめにしてゐる凡ての歴史的条件、――そこに僕らはたえず僕らを
無窮の星空へ放逐しようとする矛盾せる熱情を読むのである。
決定されてゐるが故に僕らの可能性は無限であり、止められてゐるが故に僕らの飛翔は永遠である。

三島由紀夫
「わが世代の革命」より
168名無しのオプ:2009/10/17(土) 16:38:54 ID:Fs0HHI/i
>歴史に於ける蓋然性の正義の主張
こんな日本語を使うだけでこいつにセンスがないことが分かる。
>過渡期をよぎつて
これはもう日本語じゃない。
>刻々の態度決定はもはや単なる模索ではない。
後に続く
>時空の凡ゆる制約が、僕らの目には可能性の仮装としかみえない。
と相反していない。
169名無しのオプ:2009/10/17(土) 17:29:15 ID:rVIuhD8+
>>168
> 後に続く
> >時空の凡ゆる制約が、僕らの目には可能性の仮装としかみえない。
> と相反していない。

↑二つの文章が相反しなきゃいけない接続詞なんかないけど。
あんたが勝手に脳内で相反しなきゃいけないと思い込んだだけでしょう。
170名無しのオプ:2009/10/17(土) 18:37:02 ID:uPj0PTy0
三島の作品を読むと無益なスレを立てたくなることはよくわかった
171名無しのオプ:2009/10/17(土) 19:02:00 ID:Fs0HHI/i
>時空の凡ゆる制約が、僕らの目には可能性の仮装
であることを認識することと、その上の
>模索
が同じことなんだから
>模索ではない
という判断が間違っているんだよ。
あと、この文章の意味分かって引用してんのか?
2行でまとめてみろ。
172名無しのオプ:2009/10/17(土) 23:07:08 ID:rVIuhD8+
>>171
はあ?何をでたらめ言ってんだか。全然違う。変なところで切って捏造しないで、よく全体の繋がりを把握して読みな。
言い方を要約しただけで「模索」と主語は同格だよ。Aはもはや単なるAではない、と同じ形式。

「僕らの刻々の態度決定」はもはや単なる「模索」ではない。
っていうのは、
「僕らの刻々の態度決定」=『僕らの刻々の自由意思、思考』は、
もはや単なる「模索」=『自由な試行錯誤、思考』ではない。
ってこと。
時空の凡ゆる制約が、僕らの目には可能性の仮装としかみえない。
っていうのは、
「時空の凡ゆる制約」=『宇宙、森羅万象、世界の仕組み、自然現象法則、自然科学』が、
僕らの目には「可能性の仮装」=『可能性を装ってる、偶然や進歩、自由意思が可能だと思わせている』としかみえない。
ってこと。
だから、二つの文章の意味は、
「僕らの自由意思は単なる自由思考ではなくて、
僕らの認識には、人間の自由意思、自由決定権のある、可能性のあるものにしかみえないだけにすぎない。」
つまり二つの文章に渡って、自由意思と思っているものも、宇宙の法則では凡てが必然かもしれない、
単なる自由意思じゃない、ということを述べた文章。
別に流れ的に二つは相反した文章じゃないから。
173名無しのオプ:2009/10/17(土) 23:57:24 ID:Fs0HHI/i
最後に
>決定されてゐるが故に僕らの可能性は無限であり、止められてゐるが故に僕らの飛翔は永遠である。
と言う「制限」こそが可能性を無限にするという結論になるんだから、「制約」が「可能性を装ってる」と言う
断罪的な評価が途中に入るのはおかしいだろ。
特に三島由紀夫は欺瞞という物が一番嫌いだと日頃口にしていたんだから、
「制約」が「可能性を装っている」といっているなら文章の最後になって「制約」に、
プラスの意味を持たせることは一番ありえない話だ。
まあ、言ってもわかんないと思うけど。
もう一回言うけどこの文章で三島由紀夫は何を言いたいかを簡潔に説明してみろ。
174名無しのオプ:2009/10/18(日) 00:05:08 ID:sl2JodiK
>>173に追加
>可能性の仮装

>制約
に本来は「可能性」がもともと備わっているけれど、私たちは普段気づくことが
できていない。ということだよ。
これなら最後の文章の「制限」に価値を認めることとの関連性が生まれるだろ。
175名無しのオプ:2009/10/18(日) 11:22:21 ID:AjXcmb2K
>>173
別におかしくはないでしょう。
「決定されてゐる」という前提命題と矛盾してないし、そこでプラスの意味をつけたら、
最後のアイロニーに深みが出ないでしょうよ。
たとえ、>>174であなたが解釈したように、
「制約」が「可能性の仮装」にしかみえない
を「制約」が「仮装」と読んで、可能性があるものとしても、

「決定されてゐる」「止められてゐる」っていう前提命題は最後まで変わってないから、
その時点の文章で「可能性が仮装」と解釈してもおかしくはないよ。

その前提であるが故に、無限、永遠だ、という結論の根拠はその前の文章で説明してるよ。↓
「僕らをがんじがらめにしてゐる凡ての歴史的条件、――そこに僕らはたえず僕らを
無窮の星空へ放逐しようとする矛盾せる熱情を読むのである」

要するに、凡てが不可避的なものでも、そこに、そうであるが故にかえって天空の熱情や、僕らに飛翔への願望を抱かせるから、
逆に模索や可能性の無限や永遠が生じる、ってことでしょう。

以上、これでこの件は終わり。人それぞれ微妙な解釈は違うし、キリがないから。
176名無しのオプ:2009/10/18(日) 11:33:05 ID:8JoiIlsv
で、スレタイの理由というか評価基準はいつ教えて貰えるの?
177名無しのオプ:2009/10/18(日) 12:16:32 ID:sl2JodiK
取りあえず、E-mailの所にsageって打ち込んで、書き込めば。
そうすれば、大概のことは数奇にしていいと思うよ。
178名無しのオプ:2009/10/20(火) 10:25:12 ID:5WxmlTA0
東野圭吾を読むくらいなら、三島読めというのは確かだな。
179名無しのオプ:2009/10/20(火) 15:16:15 ID:rVrzpeIZ
しかし、そこで三島というのも唐突だよなあ。
SF板ならともかくミステリ板なら、もう少しミステリ色の濃い
谷崎かなんかにすればいいのに。
180名無しのオプ:2009/10/21(水) 10:59:56 ID:i0pp25VE
三島作品にはミステリ色の強い短編が多いんだけどね。
181名無しのオプ:2009/10/21(水) 13:20:19 ID:fSMJVBei
このスレでまともな会話があるなんて。
コワイ。
182名無しのオプ:2009/10/22(木) 12:34:49 ID:lUPQCkiN
>>179
そうなのか?
「美しい星」なんかでSFに引き合いに出されることはよくあるけど
ミステリでは聞いたことないんで、>>1はユニークな感覚な人かとw
183名無しのオプ:2009/10/22(木) 13:44:18 ID:0BbWPaO9
三島の怪談系の短編は秀逸。
184名無しのオプ:2009/10/22(木) 20:23:03 ID:T67ek2bY
三島なんざ文学というより娯楽なんだから
どうせ読むならまだ読者の多い東野圭吾とか読んだ方が
周りに読んでいる人多くて話する相手いていいだろ
185名無しのオプ:2009/10/23(金) 02:18:26 ID:02RVy/Sv
美徳のよろめき が好きで好きで文章丸暗記
白昼に裸で戸外を歩いたらこうもあろうかと
思われる実にあからさまな孤独 なんて表現も
使わせてもらっています
ヒロイン節子の きしきしと鳴るような胸の
痛み・・特に最後の手紙・・
なぜここまで女性を書けるの?
それから 私が死ぬときは天人五衰を持っていきます
そう決めてる
186名無しのオプ:2009/10/23(金) 10:15:26 ID:N6yk/vUK
作詞家の売野雅勇も美徳のよろめきを絶賛してるね。
先日亡くなった加藤和彦という人も三島愛読していたようだし、各分野の芸術家への三島由紀夫の影響は計り知れない。
187名無しのオプ:2009/10/23(金) 10:28:13 ID:fkJkID3T
何かまた褒め方が大げさになってきた。
あんまり、複雑なことを表現できない作家でもあったよ。
188名無しのオプ:2009/10/23(金) 10:53:52 ID:N6yk/vUK
>>187
それはあなたが読み取れないってだけの話。
189名無しのオプ:2009/10/23(金) 11:34:47 ID:FoeiSIYn
「美徳のよろめき」って、題名がまた良いじゃないの。

「きょうのできごと」みたいな、絵本日記のような題名だったら作品もつまらなかったと思う。
190名無しのオプ:2009/10/26(月) 13:36:36 ID:MX9pYZep
私は小説と肉体との関係といふものを、これもずいぶん考へました。
私も実は昔胃弱で、大蔵省にゐた頃は非常な胃弱でした。
当時から、小説の締め切りが近づくと胃が痛んでしやうがないんで、壁に足をのせて逆立ちして、
しばらく我慢したりしてた。こんなことを続けてゐたら今に肉体的破産である、さう思ひまして私は、
自分の身体を鍛へ直さうと思つたわけです。
(中略)
私は、文士といふものは肉体のもうひとつ奥底にあるもので書くんだが、肉体といふものは
それを媒体にして出てくる大事な媒体だといふふうに考へるんです。

三島由紀夫
「日本とは何か」より
191名無しのオプ:2009/10/26(月) 13:37:16 ID:MX9pYZep
小説を書くときには、自分の幼時記憶やら、あるひはもつと生まれる前の記憶もあるかもしれません、
人類のいろんな記憶がわれわれの精神のなかに堆積されてゐる。
自分の無意識のなかへ手を突つ込めば、どこまでズルズル入りこむか分からない。
しかしその奥そこに何かがあつて、それが自分に芸術作品を書くやうにそそのかしてゐる。
多少神秘的な考へですけれども、ユンクの言ふやうな集合的無意識、その集合的無意識がある人間に
技術を与へて小説を書くやうに促してゐるんだといふふうに私は考へるわけです。
(中略)…書くといふ行為にも肉体が媒体になつてゐるのがはつきりしてゐるんですから、したがつて
その媒体に何かの故障があれば、もつと基にあるものが出てくるときにどこかでひつかかるに違ひない。
これは、フィルターで濾されるやうなものであります。
私は、小説家としてなるたけ濾されないで、途中で何かにひつかからないで出てくるやうに
自分の身体をこしらへようと思つたのが、私が体育に精を出した端緒でありました。

三島由紀夫
「日本とは何か」より
192名無しのオプ:2009/10/26(月) 13:37:56 ID:MX9pYZep
と申しますのは、前にお話ししたやうに、堀辰雄さんの小説といふものは非常にいいけれども、
堀辰雄はどうしても旋盤工の話は書けない。どんなに頑張つても新宿デモの話を書けない。
堀さんの小説の世界といふものは、完全に限られてゐる。それからまた川端康成さんは、
これは非常な胃弱といひますか不眠症の方でありまして、やはりこの方の小説は非常に優雅な
美しい小説でありますけれども、川端さんがストライキの小説を書いたといふものはひとつもない。
さういふ具合に、作家といふものはかなり肉体によつて掣肘されてゐるやうな感じがする。
人間の問題全部に興味を持つのが作家であるとすれば、その媒体でもつてひつかかるものを
とらなきやならない。
媒体をなるたけ自由に、透明に自在にしておいて、さうすることによつて媒体の力をフルに使つて
媒体以前のもの、自分のもつとも源泉的なものを表に出さなきやいかんといふふうに考へてきたわけです。

三島由紀夫
「日本とは何か」より
193名無しのオプ:2009/10/26(月) 14:47:53 ID:b1xqM1kg
そうだ、「午後の曳航」ならこの板向けじゃないか。
あれは好きだな。
194名無しのオプ:2009/10/26(月) 17:35:47 ID:G6gORksi
>>190-192
これ、一般書籍板のコピペじゃん。手抜きだよ。
あと、来週の朝日ニュースターの「学問のススメ」三島だって。
195名無しのオプ:2009/10/29(木) 11:26:21 ID:0gSkpwSG
三島作品でミステリー、怪奇っぽいのは、
「花火」「仲間」「雛の宿」等々
ロアルド・ダールみたいな短編もたくさんあるね。
196名無しのオプ:2009/10/30(金) 14:23:07 ID:Pw2DHIti
言ひ古されたことだが、一歩日本の外に出ると、多かれ少かれ、日本人は愛国者になる。
先ごろハンブルクの港見物をしてゐたら、灰色にかすむ港口から、巨大な黒い貨物船が、
船尾に日の丸の旗をひるがへして、威風堂々と入つて来るのを見た。
私は感激措くあたはず、夢中でハンカチをふりまはしたが、日本船からは別に応答もなく、
まはりのドイツ人からうろんな目でながめられるにとどまつた。
これは実に単純な感情で、とやかう分析できるものではない。
もちろん貨物船が巨大であつたことも大いに私を満足させたのであつて、それがちつぽけな
貧相な船であつたとしたら、私のハンカチのふり方も、多少内輪になつたことであらう。
また、北ヨーロッパの陰鬱な空の下では、日の丸の鮮かさは無類であつて、日本人の素朴な
明るい心情が、そこから光りを放つてゐるやうだつた。

三島由紀夫
「日本人の誇り」より
197名無しのオプ:2009/10/30(金) 14:24:06 ID:Pw2DHIti
それでは私もその「素朴な明るい」日本人の一人かといふと、はなはだ疑はしい。
私はひねくれ者のヘソ曲りであるし、私の心情は時折明るさから程遠い。
それは私が好んでひねくれてゐるのであり、好んで心情を暗くしてゐるのである。
これにもいろいろ複雑な事情があるが、小説家が外部世界の鏡にならうとすれば、そんなにいつも
「素朴で明るい」人間であるわけには行かない。しかし異国の港にひるがへる日の丸の旗を見ると、
「ああ、おれもいざとなればあそこへ帰れるのだな」といふ安心感を持つことができる。
いくらインテリぶつたつて、いくら芸術家ぶつたつて、いくら世界苦(ヴエルトシユメルツ)に
さいなまれてゐるふりをしたつて、結局、いつかは、あの明るさ、単純さ、素朴さと清明へ
帰ることができるんだな、と考へる。

三島由紀夫
「日本人の誇り」より
198名無しのオプ:2009/10/30(金) 14:25:17 ID:Pw2DHIti
いざとなればそこへ帰れるといふ安心感は、私の思想から徹底性を失はせてゐるかもしれない。
しかしそんなことはどうでもよいことだ。
私は巣を持たない鳥であるよりも、巣を持つた鳥であるはうがよい。第一、どうあがいたところで、
小説家として私の使つてゐる言葉は、日本語といふ歴然たる「巣鳥の言葉」である。
「いざとなればそこへ帰れる」といふことは、同時に、帰らない自由をも意味する。
ここが大切なところだ。帰る時期は各人の自由なのであつて、「いざとなれば帰れる」といふ
安心感があればこそ、一生帰らない日本人がゐるのもふしぎはない。
私はこの安心感を大切にするのと同じぐらゐに、帰る時期と、帰る意思の自由とを大切にする。
人に言はれて帰るのはイヤだし、まして人のマネをして帰つたり、人に気兼ねして帰るのもイヤだ。
すべての「日本へ帰れ」といふ叫びは、余計なお節介といふべきであり、私はあらゆる
文化政策的な見地を嫌悪する。日本人が「ドイツへ帰れ」と言はれたつて、はじめから無理なのであつて、
どうせ帰るところは日本しかないのである。

三島由紀夫
「日本人の誇り」より
199名無しのオプ:2009/10/30(金) 14:26:05 ID:Pw2DHIti
私は十一世紀に源氏物語のやうな小説が書かれたことを、日本人として誇りに思ふ。
中世の能楽を誇りに思ふ。それから武士道のもつとも純粋な部分を誇りに思ふ。
日露戦争当時の日本軍人の高潔な心情と、今次大戦の特攻隊を誇りに思ふ。
すべての日本人の繊細優美な感受性と、勇敢な気性との、たぐひ稀な結合を誇りに思ふ。
この相反する二つのものが、かくもみごとに一つの人格に統合された民族は稀である。……
しかし、右のやうな選択は、あくまで私個人の選択であつて、日本人の誇りの内容が命令され、
統一され、押しつけられることを私は好まない。実のところ、一国の文化の特質といふものは、
最善の部分にも最悪の部分にも、同じ割合であらはれるものであつて、犯罪その他の暗黒面においてすら、
この繊細な感受性と勇敢な気性との結合が、往々にして見られるのだ。

三島由紀夫
「日本人の誇り」より
200名無しのオプ
われわれの誇りとするところのものの構成要素は、しばしば、われわれの恥とするところのものの
構成要素と同じなのである。きはめて自意識の強い国民である日本人が、恥と誇りとの間を
ヒステリックに往復するのは、理由のないことではない。
だからまた、私は、日本人の感情に溺れやすい気質、熱狂的な気質を誇りに思ふ。
決して自己に満足しないたえざる焦燥と、その焦燥に負けない楽天性とを誇りに思ふ。
日本人がノイローゼにかかりにくいことを誇りに思ふ。
どこかになほ、ノーブル・サベッジ(高貴なる野蛮人)の面影を残してゐることを誇りに思ふ。
そして、たえず劣等感に責められるほどに鋭敏なその自意識を誇りに思ふ。
そしてこれらことごとくを日本人の恥と思ふ日本人がゐても、そんなことは一向に構はないのである。

三島由紀夫
「日本人の誇り」より