横溝正史 -第十五章 本陣の悲劇-

このエントリーをはてなブックマークに追加
527名無しのオプ
そうですね・・・書斎が『笛』を“館もの”というのはどうなのでしょう。
館があるからといって即“館もの”とは少々短絡でしょうねえ。
「閉じた人間関係がある」?「超自然現象に触れられている」?弱いなあ。
(書斎自身うすうすそれに気づいたから「興趣もある」と逃げてるんでしょうね)
では迷路荘のようなギミックがあれば“館もの”か?
昨今言われる“館もの”は、“ゴシック・ロマンス+推理小説”と同じなのか違うのか?
きちんと系統的に読んでる訳ではないのですが、
“館もの”というサブジャンル名が推理小説読者になじみになってきたのは
綾辻行人の“館シリーズ”以降、後続の作家も合わせて館(≒西洋館)を舞台とした作品群をものしてからと認識しています。
ただ、いかなる条件を満たしていれば“館もの”の推理小説になるのかは、
まだ共通見解はないのでは(違っていたらご指摘下さい)。
古典・黄金期推理小説に出てくる“館”と綾辻以降現在に至るまでのそれとでは
作品内での“館”の機能が本質的に違う、という見解も読んだことがあります。
書斎が、『迷路荘』を

>横溝作品唯一の本格的「館もの」

とまで言うからには、書斎なりの定義を示す必要がありますね。
どの要件を満たせば本格たり得るのか。『笛』にはどの要件が足りてないのか。他の横溝作品はどうか。
「読んでおいてもいい」と上から目線で語るなら、それを提示してもらいたいですが。ま、期待はしません。