>>154 >主眼としていない部分に意外な「良さ」があることがわかるのである。
鮎川哲也に限らずこんなことは面白い小説全般に言えることなんですけど。
そんなことよりも
1 > 鮎は、結構面白いキャラやドラマを書けるのだが、
> 圭吾タンのようにこの点を掘り下げる気は全く無かったかに見える。
> それらはあくまで謎解き物語の彩りに過ぎないのだ。
この「掘り下げる気は全く無かった」ことについての論証を求められているにも関わらず
2 > 例として、
> 前述した黒トラ(創元版)、「偽りの墳墓」「死びとの座」の
> それぞれの締めの部分をどう評価するかである。
> あるべきものと見るか、格別不要と見るか。
> 鮎の意図は優れた謎解きミステリを書くこと、
> この一点にあったことは間違いないかと思うが、
「どう評価するか」「〜と見るか」と疑問を出すだけでいきなり「間違いないかと思う」なんて結論を出すわ、
3 > 黒トラのようなわりとメジャーな作だけではなく、
> 「人それを情死と呼ぶ」「死びとの座」「砂の城」等この辺まで押えている
> 読者であれば、鮎作品は主眼としていない部分に意外な「良さ」があることが
> わかるのである。
いきなり鮎川哲也の創作意思とは無関係なことに論点をずらすわで話になりませんね。
結局最初に追求された1の論証が全くできていないことに気付いていないんですよ。
単に自分がそう思っただけならそう言えばいいだけのことなのに、
相手を「未読だ」と決め付けるのですからお話になりませんね。