116 :
書斎魔神 ◆qGkOQLdVas :
>自選傑作ミステリー集あたりに収録されている作でも、
>今ひとつというものが多いやに思う。
と書いたとおりである。
短編はアイデアやトリック披露(これ自体の出来は良いものだとしても)
という範疇にとどまり、「小説」としての感興の魅力が薄いものが多いやに思う。
黒トラ(創元版)のエピローグにおける小津映画風な鬼貫・丹那の味わい深い会話に
関しては前述したが、「人それを情死と呼ぶ」の清張通俗長編を意識した、
ていうか、大映ドラマ張りの幕切れ、「偽りの墳墓」の2時間サスペンスドラマ風のラスト、
「死びとの座」のラストの男女の淡々とした別れ等々、
ここに至るにはある程度のボリュームを伴う「物語」あってこそゆえであると言い得る。
また、「呪縛再現」「白い密室」「赤い密室」「消えた奇術師」「怪塔記」等を見ると。
鮎には、作風的に怪奇・猟奇を強調する怪奇探偵小説としての装飾は不似合いだった
と思える。後の三番館シリーズの「塔の女」の如くあっさりとした書き方ならいける
とは思うが。
鮎作品を耽読している早期勧奨退職者氏の乱入につき、スレ活性化のため歓迎の意を
表しておきます。「鮎は短編を本領とする作家である」、このテーゼに関する明解な
論証を期待してます。