エラリー・クイーン&バーナビィ・ロス〜PART5〜
877 :
名無しのオプ:
>>作者クイーンの推理小説を書く手法が
>>どのように発展していったのか、という読み方もできるわけで
>こんなものは論拠でもなんでもない個人の趣味の範疇に過ぎない。
そもそも甘ったれ未読野郎が向こうで“国名シリーズ”について
>謎解き主眼の本格ミステリであり、
>刊行順に読むべきであるという論理的な根拠は一切存在しない。(>856)
と断言し、さらに諸氏が文学の一方式として「刊行順に読む」読み方があると言うと
>「作風の変化」とか「思想の変遷」とか ・・・
>とは全く無縁なものなのである。(>860)
と言い、文学の鑑賞法を“国名シリーズ”に持ち込むな、と(コビベしてからw)くさしてるから
(この時点で非難の先はいったん「未読者>804さんに何を薦めるか」という点から離れてることに留意して下さい)、
“刊行順に読むことで彼らの作風の発展の仕方を知る”、と言う視点から読めるでしょ?
と言ったのですね(実際に発展していったか否かはこの際無関係。読者側の姿勢の話)。
野郎自身も“国名シリーズ”を「謎解き主眼の本格ミステリ」と見ている以上(これ自体には一応異論はない)、
作者による“謎や不可能興味の設定”“謎解きのプロセス”などの技巧が
どう発展したかに着目しながら読むことは可能だし、心理的にも不自然なことは何もない(当たり前だが)。
ゆえに文学の鑑賞法を“国名シリーズ”に適用しても問題なしと言えるわけですな。
甘ったれ未読野郎は、別に文学の鑑賞法それ自体は否定していないから、
こちらに対する一切の非難は意味をなさない。以上。