ひぐらしのなく頃にpart3

このエントリーをはてなブックマークに追加
709689
悪かった点スレでこんな発言があった。
> ひぐらしの作品形式を考えると、
> 【類推】−るいすい −
> (1)似ている点をもとにして他の事を推し量ること。
> (2)〔論〕〔analogy〕両者の類似性に基づいて、ある特殊の事物から他の特殊の事物へと推理を及ぼすこと。
>            結論は蓋然的である。類比。比論。類比推理。アナロジー。
> の方が的確だよね。
> だから『アナロジ・ノベル・ゲーム』とでも題するとか。正にひぐらしの作品形式に相応しい革新的なジャンル名ではなかろうか。
> これなら亜流ミステリとしての関心は持たれつつも、従来のミステリ形式に括って批難される必要がなくなるし。

半ば揶揄、半ば本気での発言だと思うのだが、blog「認知科学徒」の簡潔な考察にも指摘されたように、
複数の世界からルールを導き出すには、恣意/非恣意の境界決定を準備するフレームが必要になり、
結果、フレーム問題に陥ってしまう。よって、世界のルールというものを導き出すプロセスがあてどもなくなってしまう。

『ファウスト』でのインタヴューのころから感じていた疑問、下手をすると作者も自覚できていない厄介さだろうと感じていたものは、
このプロセスの用意しがたさにある。作者の口ぶりでは、複数の世界を見れば、「たちどころに当然、ルールを見出せる」
とでも考えている節があったからだ。この認識の甘さやどのようなプロセス・視点によって見えてくるのかという点への無自覚さは、
皆編冒頭部でメタ視点の語り手に依拠してやっとルールの語りが可能になっていることにも見て取れるかもしれない。
710689:2006/02/02(木) 13:44:00 ID:m6c2Fmwb
そこで、フレーム問題の解消手段、アナロジー的なプロセスしか用意できない中での有効手段
について考えるならば、作中内でアナロジー的な構造をもつ小道具を登場させておいて、ルールXYZに相当する構成原理を
アナロジカルなレベルであれ提示するといった手法がありうると思う。
ただし、その小道具が単一のものだと、ルールへのミスリードがあまりに不足するので、
いくつかのダミー小道具を仕込むなどの工夫の余地はあると思われるが。

そうした作中小道具によるアナロジー的側面は、ひぐらしならば、やりやすかったんじゃないか。
他にもテキストレベルでは、>>696で挙げた主テキスト/TIPSテキストという二重性があったのだし、
>>701が言うようにTIPSのテキストに本編・所収編につながらないかたちで空間性をもたせたり、
別の時間性を形成していくことも可能だからだ。