>>789で、またデンパが飛んでいるようだが、
>犯人の自己弁護として用いられたという面も説明しましたけどね。
この表現に端的に現れているとおり、この「自己弁護」というのが、自己の説に
都合が良い我流の解釈に過ぎないのである。
特に良く理解出来ていない思わせるのは最後の部分である。
>「話し合い」などとどこかの団体みたいなことばっかり言っていますが、 道徳の教科書>じゃあるまいし、
>そんなこと言い出したら、ほとんど全ての本格物では殺人は起きませんよw
当然のことである。三姉妹が正常人(ないしは話し合いが可能な状態程度)であり、
話し合いの可能性があるとした場合には、ストーリー展開等が非常に不自然なもの
となり「獄門島」という作品は成立し得ないと言い得る。
過去の「妄執」「怨念」といったものを好む2ちゃんねらーは、犯行の動機面を
この辺に求めたがる傾向があるのだが、横溝作品は表装は怪奇的であっても、
本格ミステリとして書かれたことを考えると、初めからこのような点に動機を求める
ことはせず、三姉妹がキティである物語上の必要性を考慮するべきであり、
キティゆえ、犯行が容易であり、かつ、それゆえ殺されねばならなかった悲劇性を
理解するべきなのである。
時代性が異なるゆえ、理解し難い面もあるであろうが、物語当初の前提条件
においては、三姉妹がキティゆえ、犯人が殺す決意をし易い、殺し易かったのだという
心理面を見落してはならないのである。
この点を単なる自己弁護と解するのは、時代性(当時のキティに対する社会通念等)
を考慮しない愚論であると言える。