ディクスン・カー(カーター・ディクスン) Part5
726 :
書斎魔神 ◆qGkOQLdVas :
1936年 第4回 木々高太郎 「人生の阿呆」
1959年 第42回 戸板康二 「團十郎切腹事件」その他
上記の受賞例が、本格ミステリが直木賞受賞に到るための参考に資することを
認めるにやぶさかではない。
しかしながら、例外的と言えるこの2例の受賞をもって、「本格ミステリは大衆文学と
して認知されている」と強弁することは出来得ないものである。
なぜなら、
1 戸板氏の受賞からも既に半世紀近くが経過しているが、以後現在に到るまで
本格ミステリの受賞作品は皆無であること。
(戸板氏の受賞は、当時、選考委員に木々氏がいた点が大きいかと思う)
2 木々氏の作品は、典型的なパズル小説とは言い難い純文学との融合を意図した例外的
な作であり、本格ミステリの主流をなす長編作品の受賞は皆無であること。
余談ながら、歴史ミステリ=本格ミステリと同一に把握するのは誤りである。
本格ミステリにおいて要のひとつをなす「謎」の設定において、
歴史ミステリにはオリジナリティが無く、代わってポイントをなすのは、
小説として興趣を備えるか否かの歴史的事項のセレクションということになる。
この点において、歴史ミステリは通常の本格ミステリとは大きく異なるものがある。
対象となった歴史的事項に対する興味の有無により、読者を限定してしまう可能性が
ある点を考慮しても、歴史ミステリはミステリにおける独立したジャンルとして把握
するべきものである。
727 :
書斎魔神 ◆qGkOQLdVas :04/12/03 12:40:01 ID:C6+w52US
個人的には、「水晶のピラミッド」や「霧越邸殺人事件」が直木賞を受賞しても、
特に違和感を感じることはない。
しかし、これを阻んでいるのが、作品を見れば自明なとおり、怪奇と奇想という
文学とは似つかわしく無い見世物的要素の強調かと思う。
ここをクリアし、文学足り得る最低条件であるところの人間を描いた上で、
精緻な謎解きの世界を紙上に具現化出来得れば、必ずや直木賞受賞に到るやに思う。
場合によっては、本格ミステリ作家による直木賞三連覇さえ可能なのでは。
(例 清涼院→霧舎→青山)
そして出来得れば、あのアユの如く三連覇達成の上、、
本格ミステリ作家全員が裏柳生風に血判状を作成し、次回直木賞への
ノミネートを拒否する旨を宣言するのが好ましいかと思う。
そして今、この2ちゃん内の過疎板弱小スレにおいて、住民が出来得ることは、
「ジョン逝ってよし!」のシュプレヒコール、これに尽きるものである。