魚へんに占うと書いて鮎。漢字が現す通り、昔はこの魚を占いに使ったという。
千年以上も前からこれほど日本人に愛され、親しまれ、慈しまれている魚が
他にあるだろうか。その美しい姿態、まるで西瓜を割ったようなかぐわしい匂い、
しかも塩焼きにしたときの味は何ものにも代え難いものです。香魚と書いて鮎と読み、
年魚と書いても鮎と読むごとく、その一生は春の遡上から秋の産卵と、
わずか1年でその生涯を終えるのです。この潔く、哀れを誘う鮎は、
世界にまれな友釣りと表裏一体の、まさしく日本人の原風景といえるのではないでしょうか。
世界中で今現在やられている釣りの中で友釣りは、日本と韓国の一部で
楽しまれているに過ぎないのです。しかも韓国の友釣りは戦前の日本人によって
伝えられたもので、唯一日本だけでやられているといって過言ではないでしょう。
今の日本に住まいする我々は、この世界でも希な釣りを未来に粛々と伝承していく
義務があるように思えるのです。そのためには自然を敬い、何ごとにも
謙虚であらねばならないと考えています。自然を破壊する開発行為、あるいは、
むやみな放流事業も、明日の私たちの首を確実に絞めることだと思います。
アユ釣りには友釣りだけではなく、毛針を使う方法で、どぶ釣りというのもあります。
この釣りも古い歴史を持った釣りで、繊細な手作りの毛針は、まさに芸術の範疇に[
入るものだと思えます。
鮎釣りのなかでも最も盛んで最も面白いのが友釣りです。
稚鮎は動物性プランクトンや昆虫も食べるが、成長するに従い
川の石についた珪藻類を口ではがして食べるようになり、
食べた後には独特の黒く細長い食み跡が見られます。
鮎はその気に入った石を中心に約1m四方の縄張りを作り、
そこに外部から侵入するものがあると、猛然と突っかけ、
あるいは肛門付近に噛みついてでも侵入者を追い出そうとします。
友釣りはその鮎の闘争本能を利用しています。囮に生きた鮎を使い、
縄張り鮎にそっと近づけてやると野鮎は囮を追い出そうとして、
突っかかってきます。そして囮にセットしてある掛け鈎にかかる。
掛かった野鮎は逃げようとして、盛んに泳ぐ。 急流で育った鮎の力は
他の魚の数倍あると言われています。
さらに囮を背負って自由を失った野鮎は急流に流される。野鮎の泳ぎに
さらに囮と野鮎にかかる流れが加わって、非常に大きな力が釣り人を襲う。
釣り人は必死にその力に耐えながら、野鮎を釣り上げるのです。
囮は生きた鮎を使います。それを次の囮が取れるまで、泳がせなければなりません。
太い糸(水中糸)はたちまち囮を弱らせるので、可能な限り細い糸を使います。
近年の技術向上はすばらしく、ナイロン糸で65ー90ミクロン、金属糸では
さらに細く、30ミクロンのものまで現れました。しかも、伸びのある金属糸の誕生や、
ポリエステルと金属を一体にした新素材糸まで登場しています。
しかしいかに丈夫なナイロンや金属糸でも、流れに逆らって、2匹の鮎を
取り込むのは難しく、鮎が掛かっても釣りはそれで終わりではありません。
掛かってから取り込むまでが次の重要なステップであって、釣り人は野鮎を
網の中に入れたときようやくほっと息をつくのです。
釣り人は出来るだけ早く囮を交換し、弱った囮を囮缶に入れ、今釣ったばかりの野鮎を
囮に使います。そしてその囮を素早く送り出して、次の鮎を釣る。
釣ったばかりの元気な囮はよく泳ぎ、次の野鮎をつれてくるのです。
友釣りが循環のゲームであると言われるゆえんです。しかも釣った鮎はまことに美味で、
釣り本来が持っている狩猟本能をも満たしてくれるのです。
知人、近所におすそ分けしても喜ばれること請け合いです。