ディクスン・カー(カーター・ディクスン) Part4
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書斎魔神 ◆qGkOQLdVas :
以前にこのスレでも話題になった「貴婦人として死す」「雷鳴の中でも」を再読。
カーマニアしか読まないような作を再読してみようということで、
自前のカー袋から取り出した2作であり、事前に特に意図するところはなかったのだが、
初読の時(いずれもHM文庫、既に両作ともにポケミスは入手難であった)には、
時間を置いて読んだのでさほどに感じなかったものの連続して読むと、
「うーん、これは無いな」というのが正直な感想だ。
この2作を読んだ者は、皆、私と同感かと思う。
ちなみに「貴婦人として死す」は、カーター名義によるHM卿もの、43年発刊、
作家として最も油が乗り切った時期の作品である。
タイトル良し、トリック良し(特に足跡の謎がカーの特色であるややバカミステーストで論理的に解決されているの点が評価出来る)、
うっとおしくない程度のHMによるドタバタあり、ボリューム良しだが…
「雷鳴の中でも」は、J・D名義によるフェル博士もの後期の作、60年発刊、
アンカット部分あり・返金保証でセールされたらしいが、前述したとおり、
巧みな語りによりムードだけで読ませるが、たいした作品ではない。
共にカー作品の魅力のひとつであるオカルティズムの要素が皆無なのが残念。
(その分すっきりした仕上がりになってはいる)
特に「雷鳴の・・」の方は、オカルティズムの彩りを加えるには格好の舞台
(ジュネーブ郊外の山荘=ロザリンド荘)だったのだが。
「貴婦人として…」にも画家が自殺した曰く付きの空家が登場(ベル監禁の場)
この辺の設定からもっと書き込んで怪奇性を強調する手もあったかと思う。
両作の発刊の間には17年の時があるとはいえ、仮に私がJ・Dの担当編集者だった場合、
「雷鳴の中でも」の生原稿を見た時に、J・Dに対して投げかける言葉はひとつしかない
かと思う。「甘ったれるな!プロならプロらしい仕事をしろ!」と。
「雷鳴の中でも」は、カーファン(ヲタは除く)のみならず、広くミステリファンを愚弄するかのような作なのである。