【す】【い】【か】【り】【ん】【ち】

このエントリーをはてなブックマークに追加
148名無しのオプ
一番の悪影響は、大御所たちの作品が、軒並みサスペンスドラマの原作に成り果てたことだな。
二時間ドラマって、実はシナリオとは無関係な部分で、視聴率を取れる方程式というものが出来上がっている。
開始何分にこういうシーンをいれて、何分の時点で「偽の容疑者」登場、何分にショッキングな殺人シーン、と。
陰惨な殺人事件のショックを和らげるために、エンディングは風光明媚な観光地で犯人役の告白、とまで決まっているらしい。
裏番組の進行状況・視聴者の心理(チャンネル換えのパターン)・CMの挟み方に至るまで、計算されている。

……まぁ、小説とドラマは別のルールで作られたものだから、こういう方程式が出来上がること自体は間違っちゃいない。
二時間サスペンスドラマという媒体においては、それは正しいことなのだろう。
問題は、このサスペンスドラマ側が「原作」としてトラミスを要求し、なおかつ、小説の方にも(事実上の)縛りを加えていることだ。
要するに……あまり突飛な物語を作られると、この「サスペンスドラマの方程式」を使って「視聴率を稼げるドラマ」に変換できなくなってしまう。
小説家に雑誌連載のオファーが来る時点でここまでの条件が提示されてるかどうかは定かではないが、しかし、何本もドラマ化されてる作家は当然意識するはずである。

しかし、「小説」家なら、「小説」としての面白さを追求して欲しいものである。
意識的・無意識的を問わず、「小説」としての面白さ以外に縛られてしまっては、ワンパターン化もやむなしといった感じがする。
大御所の方々でも、名作として上がる作品名が初期作品、即ちドラマ化などされてない時代の代物だというのも、こういった背景によるものではないか。