横溝作品の軽いやつを読みたくなり、「双生児は囁く」を読み始める。
場合によっては、横溝氏は文学者足り得たかも、とふと思った次第。
>>501を読んで次元の低さに唖然とした。
ミステリか否かという事は、実質的な内容面において判断されて当然であり、
本屋の棚の分類などといった営業面も絡んだ外形的・表面的な事は、
判断基準足り得ないのである。
例えば、既出の谷崎の「犯罪小説集」(中公文庫)は、ミステリの棚にあったことは無いが、
本書に関するレスは削除対象になるのか?
エーコの「薔薇の名前」はミステリ等エンタメの棚ではなく、文学の棚にあるが、
板違いの本なのか?
ミステリ作家ではあるが、乱歩の遺作「指」は明らかにミステリではなく、
代表作「押絵と旅する男」もミステリとは言い難いものがあるが、これらの作品に関するレスは削除対象足り得るのか?
このような例を考えてみてもわかるとおり、「一般的にミステリと言われているもの」の定義
など不可能なのである。
このためミステリか否か、従ってミステリ板におけるレスの対象とするに
ふさわしい作品であるか否かは、読み手の判断にかかってくるところが大きいものになる。
従って当然のことながら、読み手は「この作品はミステリとして語るにふさわしい」旨に
関する説明責任を負うことになる。
単に「××はミステリとしても面白い」と書いただけでは不十分であり、
「どこがミステリとして読めるのか、面白いのか」という質問に対しては
回答する道義的な責任を負うかと思う。