俺はなぜあんなことをしてしまったのだろうか。
うなされる日々が続く。
それもこれも、全てあいつのせいだ。
眠れない日々が続く。
また・・・夜が来る・・・
昼明かりの中、一人のみすぼらしい男が通りを歩いていた。
足取りはよろよろと、ちょっとしたはずみで転びそうだ。
往来には味噌を売る人、魚を運ぶ人、大道芸に見入る人、
様々にごったがえしていた。
男の足取りでは簡単にぶつかってしまうほどだ。
その中を、男は千鳥足で歩いていた。
酔っぱらい、誰が見てもそうだった。
「おっと、ごめんなせぇ」
男はぶつかった人に謝った。
そしてまた、ゆらゆらと歩きはじめた。
町のはずれまで歩くと、男は橋の下へと潜った。
ボロボロの小屋があった。
中には、小屋以上に粗末な服に身を包んだ若い女がいた。
女は腹が膨れている。
孕んでいるのだ。
「ほら、今日の稼ぎだ」
男はそう言って、懐から巾着を六つ、放り投げる。
それらは、じゃら、と音をたてて地面に落ちた。
「すまないね、おまえさん・・・」
女は小銭を数えながらつぶやくように言葉をかけた。
スリ、それが男の仕事だ。
スられる方が悪いのだ、それが男の言い分だった。
女もそれを重々承知している。
外は雨が降り出したようだ。
二人は身を寄せ合いながら、床についた。
雨の音だけがこの夫婦を包み込んだ。
あくる日。
男はいつものように通りを歩いていた。
(あいつのためにも、稼ぎを多くしてやんないとな。
生まれてくる子には何て名前を付けようか・・・)
そんなことを考えながら、仕事をしていた。
狙いを定め、通行人にぶつかり、手に盗った巾着を袖に隠して、また歩き始める。
考え事をしていたせいか、
後ろから付いてくる影には気付かなかった。
袖に隠した巾着が四つになった途端、男の頭に衝撃が走った。
役人が男を後ろから殴ったのだ。
気絶した男に縄をかけると、役人は呼子を鳴らす。
数刻後、男は詰め所の中にいた。
荒縄を腕に食い込ませて、床に男は転がっていた。
取り調べはまだだ。
詰め所の中には数人の役人がおり、
そのうちの一人が水を桶に入れて持ってきた。
それを男目がけてぶっかける。
男は目を覚ました。
(しまった・・・捕まっちまったのか・・・)
男はぼんやりした頭で思った。
次第にはっきりする意識の中、後頭部に痛みが戻る。
頭を抱えようとするが、腕がうまく動かない。
後ろでに縛られていることに、ようやく気付く。
(取り調べが始まるんだな・・・)
どれだけ恐ろしい刑罰になるのか。
考えただけでも震えてしまうほどだ。
ふと、外から声が聞こえた。
「火事だ!」
どうやら付近で火事が起こったらしい。
男は、(しめた!)と思った。
所狭しと立ち並ぶ木造住宅ではたちどころに火が広まってしまう。
住民総出で火を消すのが慣わしだ。
今もまた、例外ではなかった。
役人は手に手に桶や鍋を持って外へ飛び出していく。
井戸に向かったのだろう。
男は誰もいなくなった詰め所の中で、
袖から短刀をどうにか取り出し、縄を切り始めた。
以前に盗んだ金で手に入れたものだが、
ひょうんな所で役に立つものだ。
縄を切り終わると、男は裏口へと向かった。
表から出ると、役人に見つかる恐れがある、そう思ったからだ。
しかし、その考えが浅はかなものであることを知ることになった。
役人がいたのだ。
どうやら、厨で水を汲めるものを探していたらしいが・・・
役人は懐から呼子を取り出した。
(鳴らされては捕まってしまう!)
男は手にした短刀で飛びかかった。
役人は抵抗する間もなく、喉を切られて倒れた。
ドサッ、という音が外から聞こえる叫声に紛れる。
誰にも見られなかったことを確認すると、男は外へと逃げ出した。
家へたどり着くまでのことはよく覚えていない。
人から金を盗んだことは数知れないが、
人を殺したのは初めてだった。
きっとすぐに似顔絵が作られて、この家もつき当てられてしまうだろう・・・
男は隣りに女房がいることも忘れて、恐怖に身を震えさせた。
すぐに男は一つの考えにたどり着いた。
「逃げよう!」
そう叫ぶとすぐに、女を外へと追い出すと、
家にあった金を持って町へと歩き出した。
道中の食料を買うためだ。
女にひもじい思いをさせるわけにもいかない・・・
人とすれ違うたびに男は隠れるようにして早歩きになり、
女はそれについていくのに足を早めた。
女はお腹の子を気遣いながら、男に逃げる理由を尋ねた。
「お前は知らなくていい」
それが男の返事だった。
何度聴いても同じ答えしか返ってこない。
女はだんだんと苛ついてきたが、怒ったところでどうしようもない。
男の顔も強張って、今にも腕が飛んできそうだったこともある。
どうにか気持ちを抑えて、静かに聴いた。
「どこに行くの?」
「できるだけ遠くに」
男は、もう何も聴くな、とだけ言うと、店へと入っていった。
旅支度を済ませ、二人は町のはずれへと急いだ。
(余所へ行くなら旅団に入るのがいいのだろうが、
恐らく既に抑えられているだろう。
やはり、歩くしかない)
男はそう思った。
郊外に出る寸前だった。
呼子の音があたりに響いた。
(見つかった!)
男は周囲を見回すと、往来の中で呼子を持つ役人を見つけた。
(殺すか・・・いや、逃げた方がいい・・・)
すばやく考えると、女の手を引いて走りだした。
ここから近くに森がある。
そこまで逃げれば、追ってをまけるはずだ・・・
役人は距離を保ちながら追いかけてくる。
相手は既に人を殺しているのだ。
一対二では分が悪い。
仲間が来た時に位地がわかるようにだろう。
時々呼子を吹くのは忘れない。
森が見えたとき、役人は少し焦った様子で急ぎだした。
男と女は森へと入っていった。
しかし、孕んだ女の足では、森の中を歩くのは辛い。
夕方の森は薄暗く、遠くまで見渡すこともできない。
女はもう歩くのが精一杯な様子で荒い息を吐き出している。
(こいつがいなければもっと速く逃げられるのに)
男は苦々しく女を見ながら額の汗をぬぐった。
呼子の音がかすかに聞こえる。
森の中では音が吸収されて、音は遠くまで聞こえないはずだ。
それならば、聞こえるよりも近くに役人が迫っている・・・
男は焦った。
女を引きずるようにして森の中を走りだした。
どれだけ走っただろうか。
次第に、水の音が聞こえてきた。
川が近いのだろうか・・・
小さい川なら渉ることができる。
しかし、大きければ・・・俺はともかくこいつは・・・
夜の森がうっすらと開けているのが見えた。
呼子の音も、すぐそこまで迫っている。
後ろを振り返る余裕もなく走ってきたのだ。
川を渡るしかない。
男は川が渡れることを祈って森を抜けた。
目の前には、川があった。
昨夜まで続いた雨で増水した川だ。
すでに空は白んでおり、夜明けが近い。
(渡らなくては・・・)
脅迫めいた考えだけが男の頭にあった。
二人は流れの速い川に足を踏み出した。
女が流されないように、男は後ろから女を支えた。
川の底の石はすべりやすく、今にも足を踏み外しそうだ。
腰まで浸かるほど進んだ時、後ろから声が聞こえた。
「いたぞ! こっちだ!」
(見つかった!)
男は頭が真っ白になった。
(急がないと、急がないと捕まってしまう!)
「速く歩け!」
男は喚きながら女の背を押した。
次の瞬間、女が視界から消えた。
男はわけがわからず唖然とした。
川の深みに落ちてしまったのだ。
女はただ、川に翻弄されて流されていく。
男は女が流されてしまったことを悲しむよりも、
逃げ足が速くなったことを喜んだ。
気がつけば、夜は明けていた。
数日後、男は別の町にいた。
相変わらず橋の下で過ごしていた。
だが、頬は痩け、その目は虚ろだった。
毎晩うなされ続けているのだ。
夢の中に出てくる女。
童歌を歌いながら出てくる女。
その手には、血塗れの赤子を抱えて・・・
かごめ かごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
つるとかめがつぅべった
後ろの正面だぁれ・・・