【深讐】横溝正史 〜恐ろしき四月馬鹿〜【綿々】

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579名無しのオプ
疎開から引き揚げてきた頃の横溝と海野十三は、ともに東京都世田谷区内に住んでいたが、
海野は敗戦のショックと病気から、横溝は戦後の都会の惨状を見るに忍び難く、二人して
引きこもり状態であったため、毎日(のように、ではなくて本当に毎日)手紙をやりとりしていた。

海野の病状が落ち着き、ようやく成城の横溝正史宅を訪れることができたのは、
昭和24年5月14日であった。

海野十三は、その三日後、5月17日に急逝した。

5月19日、横溝が海野の葬儀に出席し、帰宅すると、海野から郵便が届いていた。

横溝が細やかに海野の病状を心配してくれたことに感謝し、もう大丈夫であると書かれていた。
日付は5月17日、まさに亡くなった当日の絶筆だった。

横溝は、手紙を顔に押し当てて、男泣きに泣いた。
580名無しのオプ[:03/05/29 22:17
横溝正史は変態
581横溝亮一:03/05/29 22:58
>>580
父について、貴重なご意見ありがとうございました。
実は、私も同意見です。