東野圭吾スレからきますた。(514=525)
個人的には袋の破り方を「右利き」「左利き」の二つだけで説明してるのが大いに気に入らないんだよね。
康正と加賀のやりとりで「破り方は千差万別」とはっきり言っているから「潤一の破り方→右利きの多数派」と決め付けるのはよろしくないのではないかと。
破り方云々のくだりから読み取れるのはせいぜい「人それぞれ固有のパターンをもっている」程度のことだけだと思われる。
また、最後の康正の「今の俺の言葉で・・・」発言ではじめて加賀にも犯人がわかったということは、
「破り方の癖は破られた袋を見ただけじゃわからない(鑑識で調べる必要がある)」といえる。
佳世子の破り方について袋そのものを確認していたはずの加賀にもわからなかったのだから当然といえる。
以上を踏まえて、まず最初の二つの袋の破り方について加賀刑事が他殺である確信を持っていたことから、
二つとも園子の破り方の癖とは違う破り方をされていたものだとわかる。
また、二つの袋の破り方がそれぞれ違っていた場合、園子以外の二人の人物の手によるものとわかってしまい、
一つ目の袋を破ったのが潤一ならもう一方は佳世子だと特定できてしまうのでこれもありえない。
よって、二つの袋は同じ破り方(園子とは違う癖)をされていたものだとわかる。
しかし「同じ破り方=同じ人物」とは限らないので加賀も犯人を特定できていない。