【奥歯姫】東殿下と幻想文学の仲間たち4【萌え】

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人に取って「書く」ことは「救い」でもあるのです。

「書くことによってどのような妄想も弱めることができる」( E・M・シオラン)

自己の暗黒面を作品化することによって、現実世界と均衡をとるのです。
かくのごとき文学の内実に見て見ぬふりをしてただ社会の表面から追いやるだけで安寧が得られると思い込む衆愚こそ度し難い。
児ポ法に代表される愚昧な悪法がやがて自分たちの首を締めることになぜ気がつかないのか。

倉阪日記 Weird World 99/07 [7月11]
http://www.asahi-net.or.jp/~gg9k-skri/kirov/k990701.html
私も少女を残酷に殺したりしますけど、単なる露悪趣味だと思われるのは心外ですね。
要するに、作家には願望充足型と自己処罰型があることがわかっていない。つまり、
黒猫のミーコを猫かわいがりしていることからも察せられるとおり、私にはジェンダー
が溶解している部分があって、内部に少女が棲んでいる。作中で殺されるのは、
せんじつめればことごとく私なのです。こうして自分の中の歪んだ部分、病んだ部分を
造形して作中に投棄・処罰することにより、現実の作者は安寧を得るというシステムに
なっているわけですね。ですから、現実の私は常識人でモラリスト(のつもり)です。