889 :名無しのオプ :02/09/04 03:04
では、いってみますか
第一章 甲子園決戦の朝、四十七名が消えた
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四月四日――。
阪神甲子園球場は、花冷えの時季特有の薄暗い雲に覆われていた。大正末期に植栽されて以来、球場とともに歴史を歩んできた四百三 十本の蔦が、連日四万人以上の野球ファンを出迎えている。
蔦は繁殖力が強く、日陰でも育ちやすいとあって、甲子園球場の壁面を飾る緑は、面積にすれば八千畳もの広さになっていた。
若緑の威容を見上げるように、五十人以上の男女が前夜から座り込んで、第七×回選抜高校野球大会決勝戦の開門を待っている。
日本高野連理事で広報担当の柏田禎之は、大会期間中は球場内に設置される運営事務局に詰めている。 柏田は、微かにうすら寒さを感じて、黄ばみの残るシャツの袖を擦りながら、中央ボックス席の通路から窓の外を見上げた。
昨日の準決勝戦で溢れていた光は姿を消している。試合開始の十二時半までには晴れてくれればいいものだと思いながら、柏田はバンドの擦り切れた腕時計に目をやった。 八時三十三分である。
「そろそろ、愛媛商業さんが着く頃やな」
愛媛商業高校の野球部長である一色豊は、同じ四国勢との準決勝戦を三対二の僅差で競り勝った後、「明日は八時過ぎに宿舎を出発して、予定より早めに球場に入ります」と言っていた。
愛媛県高野連に指定された宿舎は尼崎の南東、大物町にあり、球場まではバスで三十分ほどの距離である。
柏田は、ベンチ裏に設置された狭い運営事務局に戻った。