プロローグ
一日二十四時間のうちの一時間。その一時間の内に自分の命が狙われたら人間どんな心境に陥る
のであろうか……。
時は遥か西暦3000年。人口約一億人、医学技術や科学技術、そして機械技術の全てが今とは
全く想像のつかないほど発達し、他の国に比べると全ての面でトップクラスであるこの王国に”佐藤”
という姓を持った人口はついに五百万人を突破した。二十人に一人が”佐藤”というこの時代。運悪
くその時代に生まれた一人の少年”佐藤翼”まさか、名字が”佐藤”であるために命が狙われようと
は、そして、その計画が実行に移されようとは考えもしていなかった……。
今からさかのぼること、十四年前。あの時の記憶は今でも鮮明に覚えている……。
当時七歳である翼の全ては真っ暗だった。父親である輝彦が母親の益美に対して暴力を振るう日々。
それをブルブルと震えながら目の前で見せつけられていた翼と四歳になる妹の愛。ときにはその二人
にさえ、輝彦は暴力をはたらいていたのだ。つまり最低の父親である。毎日の様に酒をあおり、あげ
くの果てには暴力に訴える。益美はそんな暮らしがとうとう耐えきれず、家を出ていく事を決心した。
それは前々から考えていた事なのだが、家を出ていく際に益美は一つの考えで迷っていた。もちろん
翼と愛の事である。実の母親である益美は当然二人の子供達を連れて行きたかった。しかし、益美に
は二人の子供を養って行く経済力もなければ自信もなかった。かといって、二人の子供達をこのまま
置いていく訳にもいかない。そうすれば翼と愛はこれから輝彦の暴力を受けながら生活していかなけ
ればならないからだ。益美は迷った。翼も愛も同じように愛していたから。それでも決心しなければ
ならない。どちらを取るか……どちらを”捨てるか”……。
益美の精神状態も普通ではなくなっていた。そして、益美は悩みに悩み抜いた末、一つの結論に達
しつつあった。
翌早朝、益美は幼稚園児の黄色いカバンを片手に玄関の外へと出ていた。そして、静かに扉が開か
れた。そこには翼と愛が俯き暗い表情をして列んで立っていた。翼は顔を上げて悲しげに言う。
「お母さん……本当に行っちゃうの?」
言って翼は俯いた。益美はその言葉がもの凄く辛かった。しかし、益美は結局愛を連れて行くこと
に決めていた。愛はまだ四歳だし、女の子。輝彦と一緒に生活させる事は出来なかった。益美は翼に
優しい表情で近寄り頭をなでた。
「翼……ごめんね。お母さん……もう、お父さんとやっていく自信がないの」
やつれた様子で翼に言った。翼はほんの小さく頷いた。益美は続けた。
「それに……愛はまだ四歳だし、女の子でしょ? とてもお父さんに預ける訳には行かないの。翼は
男の子だし……強いから大丈夫よね?」
七歳の翼にはあまりに辛い言葉だった。一方的にその言葉を母は押し付けてもいたのだ。翼も七歳
ながらそれを感じていた。益美が何より大好きな翼はもう、この言葉しか出なかった。
「う、うん。大丈夫。僕……強いし、男の子だから……大丈夫だよ」
無理に明るい口調を保ち強がっていた。翼は言ってすぐ俯き
「でも……僕も一緒に連れていくことは出来ないの?」
翼も益美と愛と一緒に暮らしていきたかった。当然のこの言葉が本音であった。益美は一瞬戸惑いの
表情を見せた。しかし……。
「必ず。必ず迎えに来るわ。翼の事……必ず迎えに来るから……それまでお父さんの側で我慢して……
お願い」
語尾が涙で震えていた。遠回しに連れて行く事は出来ないんだと理解した翼はただ頷くことしか出来
なかった。これ以上益美の辛い表情をみたくはなかった。翼は強がりの笑みを浮かばせて、
「必ずだよ! 必ず迎えに来てね? 約束だよ!」
翼は無理に語調を弾ませ小指を益美に差し出した。益美は涙を拭いて小指と小指を結ばせた。
「ありがとう……翼」
語尾をささやく。翼は益美にニッコリと微笑んで頷いた。これもまた強がりの笑みであった。
益美はおもむろに腕時計を確認した。
「愛……行きましょう」
言って愛に近寄った。しかし愛は無視するかの様にそこから一歩も動かなかった。
「愛、さあ、いらっしゃい」
再び益美が呼ぶと愛は小刻みに首を横へと振りだした。
「愛……お願いだから言う事を聞いて」
益美が何を言っても愛はそこから一歩も動こうとはしなかった。愛だって翼と離ればなれになるの
が嫌だったに違いない。これが愛の意思表示なのだ。今度は翼が愛に説得した。
「愛……少しの間だけ、お母さんと二人で暮らすんだ。そうしたらまた一緒に暮らせるから。な?」
翼が言った途端愛は急に大声で泣き出した。
「愛……」
辛い表情で翼が呟く。
尚も泣き止まない愛に益美は苛立ち
「さあ、愛! 行くの!」
益美は内心焦っていた。部屋で眠っている輝彦に家の中から出てこられるとまたひと騒動になりか
ねない。益美は強引に連れて行こうと愛の手を引っ張り引きずった
506 :
名無しのオプ:02/12/17 20:46
「やだ! やだ! 離して!」愛は泣き叫んだ。
「お兄ちゃん!」
翼に向かってそう叫ぶ。益美は後ろを振り返る事無く、愛の体を引きずっている。その光景に翼は
黙って目を伏せていた。
「お兄ちゃん!」
もう一度愛の叫び声が聞こえてきた。翼は自分を抑える為に唇を噛み締めて力一杯拳を握った。し
かい、何度も何度も愛の叫び声が聞こえてくるうちに翼の目からは大量の涙が溢れだしていた。たま
らず顔を上げて視線を向けた。嫌がる愛を益美は強引に引っ張って行く、まだ愛は翼に向かって叫ん
でいる。距離が段々と遠ざかるうちに愛の声も二人の姿も小さくなって行った。そして……二人はや
あて消えていった。翼は一歩も動かなかった。
「バイバイ……母さん……バイバイ……愛」
地面に涙をボロボロとこぼした翼は二人に別れを告げた。益美の
”迎えに来る”
この言葉を信じて……。
この時の映像を翼は決して忘れる事はなかった。七歳の子供からしたらあまりに衝撃的で辛い出来
事であった。こうして益美と愛と生き別れになてしまった翼はしばらくそのまま泣きやむ事はなかっ
た。自宅のカーテンが微かに動いていた事も翼は気がついてはいなかった……。
それから翼は輝彦の虐待に耐え続けていた。
それからいつしか十四年の月日が流れていた……。
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