【市よ】京都市立芸術大学音楽学部part4【金くれ】

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933nanasissimo
1999年9月21日の台湾中部大地震の際に多くの国から救援隊が駆けつけた。

【日本隊】 地震発生当日に到着して台湾側が用意したホテルを丁重に断り現場に直行して翌日の
       夜まで休まず救助作業を続け、その後も数時間の仮眠のみで作業を続けた。

       日本隊は最新のハイテク機材を使うだけでは無く、例え生存が絶望的な現場でも遺体を
       収容するまで休まず作業を続けた。
       被害者の家族が余震が続く中命懸けで遺体の収容作業を行う日本隊に作業の中断を
       申し出た事もあったが、日本隊は最後まで手作業中心で除去を続けた。

       日本隊は直接生存者を助け出す事は無かったが、市民やメディアから最大限の賛辞で
       見送られ台湾を後した。

【韓国隊】 韓国隊は到着直後から台湾側に生存の見込みのある現場に案内するニダ!と要求し続け
       現場で生存の見込みが無いと判断すると、他の現場に案内するニダ!ウリ達は人命救助に
       来たニダ!と遺体収容を台湾側に押し付けて他の現場へ移動。

       スイス隊と日本隊が作業している現場で生存者が居るらしいとの一報に、作業現場を撤収
       生存者が居る現場に直行。
       スイス隊と日本隊が極めて危険な作業を行い、生存者救出の為の空間を確保すると後ろに
       居て邪魔をしていた韓国隊がウリ達に任せるニダ!と強引に割り込み生存者を救出。

       韓国メディアを前に、ウリ達は生存者を救出したニダ!日本は遺体しか掘り出せなかった
       と高らかにホルホル。

       翌日のメディアで生存者を救出したウリ達より日本隊の扱いが大きいのはシャベツニダ!
       と火病ーん(マジで公式に抗議w)
       余計に台湾人の心象を悪くしました。
934nanasissimo:2009/08/21(金) 01:06:07 ID:KeCBBKrZ0
日鮮併合後、在日朝鮮人は厳しい身分差別から逃れるため、
自らの意思で朝鮮半島を脱出して日本に渡ってきました。
 日本がポツダム宣言を受け入れると在日たちは「戦勝国民」であると主張し、
「朝鮮進駐軍」を名乗り、各地で暴れ始めました。
 日本の男たちは戦場に駆り出され、残っていたのは女、子供、老人ばかり。
 朝鮮人たちはやりたい放題で、駅前の一等地は朝鮮人に占領されました。
 もちろん、そこに住んでいた日本人女性は容赦なく強姦され追放されたのです。
 当然、日本人は在日を強く憎むようになりました。
 そのため、在日朝鮮人たちは日本名を名乗るようになりました。
 朝鮮名を名乗ることは自分が犯罪者だと宣言しているようなものだからです。
 朝鮮人たちは共産主義者と組み、マスコミを使って歴史の捏造を始めました。
 「強制連行されて来た」「土地を奪われて仕方なく来た」等々。
 そして強姦犯罪を謝罪せず、土地を占拠し続けながら、
「俺たちは何も悪いことをしていないのに差別される」
「不当な差別を受けている」
「謂れなき差別を受けている」等と宣伝しました。
 朝鮮進駐軍を知らない世代の日本人は在日に対して罪悪感を持つようになりました。
 在日たちは占領した一等地で事業を始めました。それが「パチンコ」です。
 今でもパチンコ業者の8割は在日です。
 パチンコは30兆円産業。何と自動車産業よりも規模が大きいのです。
 パチンコ業界は脱税と、北朝鮮への送金で知られます。
 「日本のパチンコがある限り、我が国は安泰だ(金正日)」
 日本の政治家にもパチンコの金が流れています。
 だから「パチンコ、パチスロはギャンブルではない」等という馬鹿げた論理がまかり通っているのです。
 祖母や曾祖母が朝鮮人に強姦された場所でパチンコやスロットを楽しんだり、
在日が経営する焼肉屋で焼肉を食べる・・・。
 これは「日本人」以前に「人間として」恥ずべき行為ではないでしょうか。