平家みちよがデビュー3年間の本音を激白

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67読者の声
みちよの求めた愛と自由〜ファンへのメッセージ


それにしてもなぜ彼女は一生をかけて「愛」と「自由」を求め続けているのだろう。
そんな思いが、父たる私の頭を離れることがなかった。

『子供の頃眠る前に読んでもらった絵本がある。-題目は「難破船の少年」と
「父を思えば」だった。-どちらも犠牲心と思いやりの話だった。-その二つの物語に
とても強い思い入れがある(以下略)』(普通の愛-角川文庫「雨の中の軌跡」より)

「愛」の原点は、彼女自身がこう書いているからその通りと考えてよいだろう。

問題は「自由」である。
彼女の成長期は、ほぼ日本のバブル成長期にあたり、「世界は二人のためにある」
などという言葉が、なんとなく人々に受け入れられる雰囲気であった。
何故一人の少女だけが「自由でなければ意味がないんだ」「仕組まれた自由に
誰も気づかずにあがいた日々・・・」などと叫んだのだろう。

充代の母は記録好きで、一冊の分厚い日記を残していた。
偶然それを手に取った私は、ついに彼女の「自由」を叫んだ原点を発見したのである。

それは名張西高校第3学年始まりの頃のことであった。K大学の学生と肩を触れ合った
とかで、大阪のミナミで集団的な喧嘩が始まったのである。
驚いた連れの女生徒がいち早くパトカーを呼んでしまったのが悪かった。一網打尽である。
68読者の声:2005/03/24(木) 21:45:15 ID:PAI+fYR/
ところが全員が学校から処罰された中で、充代ともう一人のN君のみが首謀者と
見なされ、無期停学となり、まもなくやってくる大学進学へのチャンスを
奪われてしまったのである。
この差別的な取り扱いに、さる高名な(学校から紹介された)少年問題の
専門家からのアドバイスがあり、母が訴訟も辞さずと起案した訴状の原稿が
母の日記にはさんであったのである。
当時遠距離通勤をしていた私は、朝は4時起き、夜は早寝という状況で
うかつにもこうした事件の細部を知ることがなかった。
やがて卒業を目前に充代はデビューするのであるが、母の日記によればその当時
充代と母はともに焦燥と不安のため心身ともにダウン寸前だったと記されている。
この無期停学が、充代に大人社会の仕組まれた「自由」の実態を悟らせ、
やがて彼女はそれをテーマにした作詞と作曲を多く残すこととなったのである。

デビューの前夜、学校のまわりに友人たちと共に沢山のデビュー広告を貼って
まわった。

「愛(利他)」と「自由(利己)」。
この二つの相反する概念が、充代の心中で葛藤することになる。
ただでさえ第2反抗期の只中で、精神の嵐のさなかである。
充代は、その解釈を哲学に求めるしかなかったのだ。相反するものがぶつかりあい
そしてそのエネルギーが人間をさらに向上させる力ともなる。

充代は、デビュー前、アウフヘーベン(止揚)という正反合を意味するこの哲学の
用語を好み、多用した。


父  平家光義