http://www.youtube.com/watch?v=CeebBKLkENM&feature=related http://www.youtube.com/watch?v=NDfH_J4MAUQ http://www.youtube.com/watch?v=Yr09fYxQXMU 教授のこの曲は改めて聴くと本当に良い曲だ。個人的にはビーチボーイズの''GOD ONLY KNOWS''
を連想するところがある。坂本教授は無信仰無宗教だと聞いてるが教授の作るこの曲なんかを
耳にするとカトリック聖教徒的な気配を感じたりもする。こういう曲はキリシタン的な感覚、
価値観、原罪意識や贖罪意識のようなものを持つ人でなければ作り得ないと思うからだ。
太宰治は終生、学生の頃に一緒に心中して犠牲にしてしまった女性に対する罪悪感に苛まれて
いたそうだが、意図せず自分だけが九死に一生を得て生き残ってしまったことに強く戸惑い
苦しみ続けていたのだろう。人間失格の最後の場面でも「あの子はとてもいい子でした」
みたいに第三者の口から主人公の清廉さを語らせる部分がある。
晩年の太宰治は晩年の芥川龍之介と同じように聖書に強い関心を持っていて『聖書知識』
という聖書の解説を売りにした雑誌を購読していたそうだが、ある時にその雑誌で読者
アンケートがあってその項目に「あなたは聖書を読むに値する人間だと思いますか?」という
質問項目がありそれを読んだ太宰は激昂して「二度とおまえらの雑誌など読まない!」と
葉書に殴り書きをして投函しその雑誌の購読を辞めてしまったそうだ。
彼が抱える贖罪意識、罪の意識がどれほど重く深刻なものかであるかが分かるエピソード。
言い換えれば、太宰の文学は言わば彼が抱える深刻な贖罪意識との闘いでありその産物で
あったのかも知れない。自らの命を賭してその贖罪意識を払拭したかったのかも知れない。
自らを浄化したかったのかも知れない。
坂本教授のこの曲や1995年頃の活動、この時期の楽曲を聴くと深刻さのレベルは違う
のだろうが、太宰の文学の原動力になった物と同じ物を感じる。
女性にモテまくってジョニー・デップばりのワイルドさや武勇伝が喧伝されがちな坂本
教授ではあるが、それは教授の一面でしかなく坂本龍一という不世出の音楽家の本質、
深い所には聖教徒的な価値観、古典的な倫理観や道徳観、美意識のようなものがあるのだと
俺は思う。「自分のあり方は果たして本当に正しいのだろうか?」という自問自答、内省を
常に繰り返してるような慎ましく、本当の意味で真摯で誠実な人の作る音楽。
カタギの一般人、しかも無力の女性を犯罪被害者にしてもなんら罪の意識もなく恥の
意識すらないガチホモ犯罪者北川やクズ妖怪細野と坂本教授が決定的に違うのは恥の
意識、罪の意識を持っているということ。イアン・カーティスの葛藤や苦しみを理解
できるのはガチホモや妖怪ではなく教授の方だと思う。