★★★★★吉田拓郎vol.17★★★★★

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908NO MUSIC NO NAME
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『ファイト』『襟裳岬』『祭りのあ』『落陽』…どれもが
或る時代に実在した人間達の、

ーー差別に泣く中卒女子や、襟裳の民宿の片腕の無いおじさんや
排斥されるデモ隊の中の個々の人間や、そして、、
戦争に運命を狂わされた時代の人々を象徴するようなルンペン爺さんーー

彼らの、鮮烈な感触「のようなもの」を、今に伝える名曲である。

もし、それらの人々が居なければ、歌そのものが生まれていないし、
彼らに出遭ったのが作家だったら、小説が生まれて広く読まれたり、
あるいは正統派の文学すら誕生し
時代を超えて読み継がれることになった、かもしれない。

実際には、出遭ったのが作詞家で、
歌詞という形にして封筒で吉田拓郎に送りつけ、
吉田拓郎は「いつものように」
気に入った詞に曲をつけて発表し、ツァーやライブでも歌ったから、
小説などに無縁な人々へまで広く届いて行くことになった・・。

さまざまな年代の『落陽』を、ネットでいちどきに視聴すると
気付くことがある。
吉田拓郎を特徴づける傑出した「声」や、
その時その場に燃焼し尽くす「歌唱法」は、年齢に応じて変化を見せるが
まったく変わらないものが一つある。
歌の内含する力だ。

その力の源は・・・、むろん吉田拓郎でも岡本おさみでもなく、
…あの、ルンペン爺さん、に他ならない。。

はるか昔、いまの北朝鮮より凄い全体主義国家で、天皇が「神」であった日本で、
国家をあげて戦争に狂奔した時代に、
志をもって論陣を張り、おそらく非国民と呼ばれ特高警察に追われて
流浪の人生を送った挙句に、北国の場末の賭場に蠢いていたとおぼしい一人の
ホームレスの爺さん・・・・

とっくに死んだだろうその爺さんの魂こそが、『落陽』。