某小売店で佐野の豪華ライヴDVDを発見。ホーボーキングバンドをバックにデヴュー時代から近作まで集大成のようにやったらしい。他スレで時々話題に出てたのはコレか、と興味津々で手にとる。好きな曲もあるので買いたかったが中古で8'000円以上。予算の関係で→
→やむなく諦めた。グラサンにキャップ姿の佐野を見たかったが…
佐野のバンドサウンドの作り方は随一だ。変幻自在で付いていけない時もある。特にハートランド後期の音は凄い。あの洗練さと対照的な弾き語りの魅力もある。→
→『Golden Ring』収録の「ジャスミン・ガール」は無防備な弾き語りというところが好きだ。スタジオ録音よりこっちの方が正解と感じる。ライヴ盤で過去の弾き語りもしくは小編成の演奏を集めるのも乙ではなかろうか。
・ハートランド 演奏はシンプル、構成は複雑
・HKB 演奏は複雑、構成はシンプル
君を戸惑わせるために
生まれてきたわけじゃない
90年代以降特に『フルーツ』以降の佐野について、色んな意見があって。否定的な意見というのはそのほとんどが80年代の佐野の魅力を基にして、そこから言ってる見方だと俺には見える。
今の佐野について、色んな言い方は可能で、→
→一番簡単な話としてはアーティストとして峠を越えた、あとは下降線を辿るばかり、というもの。
しかしそれではあまりにみも蓋もない。
俺は80年代の佐野と今の佐野と、今の方が表現の幅や深みは増してるのでは、と思う。→
→アーティストとしての年代と実人生としての年代はオーヴァーラップしており、相互に影響しそれが表現の拡散、重さになったりする。彼はまた、繰り返しを嫌う人だ。だから一瞬疑問符がついたりする。しかし長い目でみれば進化しているのは明らかだと思う。→
→俺などは成熟する佐野がこれからどう変わってゆくかに興味を感じている。かつての佐野を求めているファンには聴かなくなる人も出てきているだろう。彼の一人間としての老いも間近に迫っている。そこで彼がどんな心象風景を見せていくのかに興味を感じる。
『BARN』は想像していたより面白いアルバムだった。全編ザ・バンドやニール・ヤング風のアレンジが顔を出す。佐野のVOCALも故意か否か判らぬがニール・ヤングに凝らしているようにも聞える。
中で耳に残ったのは「風の手の平の上」→
→この曲で佐野は“迷いながら、それでも生きていく”“いつか答えは見つかることを夢見ながら”そんな日々を描く。それは等身大の日常にある失意であり夢だ。
もう一曲、「誰も気にしちゃいない」も印象的だった。→
→“何が大事なのか見失った日本人”“誇りをなくした子供”その風景を「ただ切ない」と佐野は歌う。これも今の日本のリアルな風景を歌っている。誇張も美化もなく。
『BARN』全編を通して表現されるのはまさに等身大の日常、→
→その中での失意や夢、とも言えるだろう。ある時は自己の実感を語り、またある時は他者に語り掛ける、リアルな現実を見据えながら、それでも佐野はそこに何かを願っている。
たまたまこのアルバムを聴きながら途中、初期の「Night Life」の→
→黄色いアイドルぽい歌唱を聴いていた。あれは恋人とベッド・インした後、彼女の恐い父親に見つからないように急いで帰る歌だった。これと「風の手の平の上」の歌詞を較べるのも面白い。生活者としての実感を歌に取り入れるようになったことが判る。
→今尚変わり続け、進化し続ける佐野元春。現在の姿へ中村稔の賛否の声も2ch.だけでよく目にします。しかし、今も中村稔の気になる存在であることに変わりはありません。
→60〜70年代のロックを批評し進化させ続ける存在としての佐野もあります。枠を設けず様々な中村稔が自演をしたいと思います。
54 :
NO MUSIC NO NAME:2006/12/03(日) 15:36:11 ID:bdf+t6sA
(なかむら・ねん)って誰?
55 :
NO MUSIC NO NAME:2006/12/03(日) 20:45:56 ID:3baSNzAM
佐野ってそんな昔と今で曲調変わってるかなぁ?
フルーツ以降ファンになった20代の俺からすると
そんな変わったようには思えないんだが
56 :
NO MUSIC NO NAME:2006/12/04(月) 00:48:35 ID:lDSZHDZf
曲調は変わった、て聴いてる方だね、僕は。むしろアルバムごとに変わり続けるのが佐野じゃないかなあ。
歌われる世界も『BARN』の「風の手の平の上」にあるような生々しい失意やそこからまた歩きだす姿とかはそれまでには→
57 :
NO MUSIC NO NAME:2006/12/04(月) 00:52:20 ID:lDSZHDZf
→なかったんじゃないかな。
何ていうか、先にも書いたように生活者としての実感を感じるんだ。実際に苦闘しながら生き抜いてきた大人だけが醸すことのある優しさや強さ、かな。
そんな曲調を出せるようななった、てことが→
58 :
NO MUSIC NO NAME:2006/12/04(月) 00:56:24 ID:lDSZHDZf
→今の佐野元春の到達点を示しているし、一言でいうと成熟してきたね、て感じを受ける。
初期からのストレートなロックを今も温存してるし変わらない面もあるけど、プラス味が出てきたな、て。
矢印くん、ここは稼動してないよ
part9に移動するべし
いや、ここの方が実のある話が書けるから。他のは無意味な落書きみたいのが多いので行く気がしない。あっちは現在の佐野の話はほとんど出ないしノスタルジーか無理解ばかりじゃないか?
ハートランド時代とホーボーキングバンド時代と比べて何が違ったかというと、曲調だ、となる。しかし具体的に、となるとすこぶる難しい。漠然とした言い方しかできなくなる。
ここで一点取り上げてみたいのは、アレンジにおけるピアノの使い方、或いは→
→ピアノのフレーズ、ということだ。
ハートランド時代の佐野のアレンジにおけるピアノは絶えずアレンジの鍵を握るものとして使われていた。あの「SOMEDAY」の有名なイントロ、ライヴでの「アンジェリーナ」のイントロとサビ、をはじめとして→
→ハートランド時代のアレンジでは、ピアノのフレーズや単音が、たえず効果的な使い方をされていた。それは佐野の当時の録音を聴き返すときに誰にもわかることに違いない。
このピアノのトーンがハートランド時代の全体的なトーンを決定していた。→
→創作の要素としてこのピアノのトーンが何だったのか、それは俺にはよく解らない。しかし、ハートランド解散後の佐野があの方法を使わなくなったことだけは確かなことだ。
ピアノの単音、フレーズ、そのリフレイン、それはハートランド時代の→
→象徴のように聞こえる。あれはあるいは佐野にとっての何らかの精神の象徴だったのだろうか。ハートランド解散後の佐野はそれを封印した。あの澄んだピアノの音は今は聞こえない。
2000年に出たDVD『Live Anthology 1980-2000』を買ってみた。半分だけみたがやはりどうしようもなく格好いい♭凄い。しかし、フルーツ・ツアーから俄然声量が落ちたのが不思議だ。何が原因かは知らないが、どうみても奇異な感じを受ける。→
→ホーボー・キング・バンドに変わってから急に、というのはどういう訳だろう。よく事情を知らないが、とにかくあの弱り方はただ事ではない、とみた。佐野はどうなったのか…
佐野は『BARN』で1970年前後のアメリカン・ロックの音を地盤に敷いている。VOCALはもしかしたらニール・ヤングのか細い声を模倣しているのかもしれない。だが、それまでの曲をその声で歌うのはミスである。佐野のシャウト唱法に見合ってそれらは→
→作られた曲なのだ。それを細い声で歌うというのは確かに新しい試みだが、それには無理がある。
「ヤング・フォーエバー」をアコースティックで歌う映像をみたが、そのことを痛切に感じた。あれはあのように歌うべきではない。
鳥越俊太郎との対談のなかで佐野は「年老いた自分は想像つかない」と発言している。これは俺には意外な発言だった。このところのライヴでの声の力のなさは俺には老い以外のものではないと思えたからだ。しかし、対談での佐野はまだ老いを感じていないかのような→
→口振りでいる。これは不思議な話だ。
そうなると、あのライヴでの声の変化とは何か、また考えざるをえなくなる。佐野はあそこに積極的な意義を見つけているのだろうか。傍からは悲惨な様相を呈しているかにみえるあの声に。
ニールヤングやルーリードを目指しているのかな。
DVD『Live Anthology』の「ヤング・フォーエバー」とかは歌い方はニール・ヤングを模倣してみえたけどね。アレンジはCSN&Yぽいし、カメラ・ワークもは60年代のプロモを意識してみえた。『BARN』当時の佐野があの辺に凝ってたのは明らかではないかな。→
→ただ、あくまで『BARN』当時の話だよね。
佐野の声の変化については正直よく分からない。下手でもいいと思うようになったのか、ライヴでのよれよれの声を公式発表してるのをみるとそうとしかとれないけどね。
もともと佐野さんの歌は「巧い」とは思ってないんですけど
歌唱法とは関係なく調子が良くなかった時期があるんじゃないでしょうか。
あくまでも個人の想像にすぎないですけど。
でも、「MILK JAM TOUR」以降は落ち着いてきてるんじゃないかな?
新録の「虹を追いかけて」のように、年齢に合った歌唱法の
メロウな佐野さんも好きだな。
そうだねー別スレで「レインボー・イン・マイ・ソウル」が良いと言ってた人がいたけど、アレとか「すべてうまくゆかなくても」とか、あと「風の手のひらの上」とか、若い頃には作れなかった世界を彼が表現するようになった。それは確かにソングライターとしての成熟、だと→
→いえると思う。
最新ライヴ映像はみてないので2006年現在、彼の声がどうなのか、何とも云えないんだけど。
貴方の云うように、実際体の調子が悪くて一時期力のない歌声になっていたとしたら、それは救いだね。 佐野さんも今や50代に突入。→
→俺は佐野さんが喉に、或いは体のどこかに持病を抱えていたんじゃないか、て思えてならないんだけどね。
50代は若くはないけど、歌えなくなる年でもないと思う。貴方の書いてるライヴは見てないので、実際に喉が上向きなら嬉しいね。
歯の抜けたおじいちゃんのような声になったよね
ヤギを絞め殺すときの声
81 :
NO MUSIC NO NAME:2007/01/04(木) 11:22:58 ID:EmFnbvWD
82 :
誘導:2007/01/12(金) 20:02:56 ID:ogUUAyE6
12枚目のアルバムタイトルは、『Stones and Eggs』でしたでしょうか。
あれは私的に「冬休みの宿題」でした。
『Sweet 16』までは、発売日の前日に買いに走ったものだったけど。
『The Circle』以降はもはや「夏休みの宿題」。
本人が見たら、傷付いて泣くかな。ここまで見やしねーか。
稔にはついていかない。
ついていかなくても、寂しくない。
マイクスタンドに弁慶?立ちになって歌った「彼女の隣人」に、鳥肌が立ったと感動したファン。
あんなの、あれこそはパクりだ。
86 :
NO MUSIC NO NAME:2007/01/16(火) 10:29:52 ID:MQRUbpH7
新しいキャウを見つけに
イクー!
キャウーッ!!
キャウーッ!!
87 :
NO MUSIC NO NAME:
佐野を連れてイクーッ!
ムショに連れてイクーッ!
そしてまたもう一度!
歌手をやり直してイクーッ!
アウッ!ホウッ!