高度経済成長期に子ども時代を過ごし、バブル期と青春期が重なり、おとなになったときにバブルが弾けた――、
赤ん坊から老人まで、命ある物もない者も消費者として見做されて欲望のターゲットとなり、欲望の海に突き落とされ、
欲望を泳ぎ切らなければ、欲望に溺れるしかなかった時代――。
しかし、岡村靖幸の歌は、重さや暗さや苦しさを感じさせない。
あの時代に吹き荒んで、いまも吹き止む気配を見せない欲望の風に乗って、青空の彼方で炸裂する風船爆弾のように、危険で、軽やかだ。
岡村靖幸の歌には、ひとは希望によって支えられ励まされるのだという迷信がない。
どんなに軽やかなリズムに乗ってステップを踏んでいても、その足元には絶望の勾配が見える。
日々更新される絶望にそそのかされ、生きることから腰を浮かし、絶望への坂道をたった独りで下りて行かなければならない者にとって、
岡村靖幸の歌は外界から流れてくる歌ではない。自分の内面で響く歌なのだ。
わたしは彼が、なにをやろうが、だれとの約束を破ろうが、そんなことはどうでもいい、と思っている。
挫折と絶望の陰影のなかで新しい歌をうたいはじめた岡村靖幸を、
わたしは全面的に支持する。
柳 ○里
※この原稿は、2008年に執筆されたものをそのまま掲載しております。