月刊カドカワ 1996年5月p.32引用
桜井和寿
デビュー前の僕の知人には、岡村靖幸さんに携わる仕事をしている人が多かった。多かった、といっても人数にすると二人なのだが、友人の少ない僕にとっては、かなりの割合で岡村靖幸さんの情報を耳にした。もちろん新譜の音もである。
その当時の新譜が僕の愛するアルバム『家庭教師』だった。
このアルバムを聴いた人には、わざわざそのものすごさを説明するまでもなく、聴いてない人には、ただただ同情する。
そして僕は悔しながらも、このアルバムに打ちのめされた。もはやこの人が天才だろうが、紙一重で背中合わせしたその向こう側の人であろうが、はたまた和製プリンスであろうが、Mジャクソンであろうが、岡村靖幸さんの音楽を形容するもには何の意味もないことに気づいた。
それ以降僕は、この日本におけるミック・ジャガーでもスプリングスティーンでもコステロでも、デビット・バーンでもポール・ウェラーでもなく、岡村靖幸part2になりたいと、悪戦苦闘しながら音楽と愛し合っている。
ケツアゴには才能ないから無理だね 残念