>>557 ここまでやりとりしてきたのを踏まえた上で、あなたが建設的な議論がどうとか言うのを見ると、笑えないギャグにしか見えません。
ただ、「最後には本質的な話が全くできなくなるのはいっつも同じ」という認識は、間違いなく当たってるでしょうね。
そういう状況に陥る原因がどこにあるかについての認識はほとんど完全に間違っているでしょうが。
>>558 「どんな意見でも個人的な柴田淳像は主観でしかない」という文章は、きちんと意味が通るように読むと、理解不能な文章です。
そもそもどんな意見でも個人的に抱かれるのですから、その点に着目すれば、何について考えようと主観でしかありません。
ですから、「個人的な」と形容しつつ、それをもって何かが主観でしかないと結論付けることには主張としての意味が何もありません。
「柴田淳」に関して語るときに、例えば
>>461に挙げた曲の作詞を担当した、ということは、普通は事実と考えられます。
しかし「どんな意見でも…主観」だというのであれば、この種の事実認識すら、主観でしかないという話になります。
例えば、実際の作詞を行ったのは別人だ、などと言い張れます。クレジット通りだという厳格な証明は普通できませんから、
詞の内容が良いと思った時に、それをアーティストの才能に帰する発言も、結局主観だと言えます。
(念を押しておきますが、これはあなたが無自覚に無茶苦茶なことを言っているのに気づいてないという話です)
もし上のような「どんな意見でも…主観」という立場は馬鹿げていると考えるのであれば、柴田淳さんについて、
いろいろ意見が分かれていたとしても、分かれているそれぞれに了解可能な根拠があり、その意味で「主観でしかない」と
一般的に切って捨てることはできないと認めるしかありません。
そして、一般に、関心のないタレントの、犯罪とまでは言えない不祥事を嗅ぎまわることは、「嫌がらせ」「ストーカー行為」などと
みなされます(そうやって嗅ぎまわる権限を認められている私人などいないからです)。関心があるから、それも、柴田さんの外見に
関心があってつきまとっているとかいうことではなく、柴田さんの活動内容に照らして妥当な(=主観的でない)関心があるから、
彼女の不祥事についてとやかく言える筋合いが出てきます。
上は、「好意の度合いによって物事の善悪が変わるなんて、それこそ盲目信者でもあるまいし。」とかいう話ではありません。
物事の善悪について追及できる立場かどうかが変わる、という話です。
犯罪に至るとは見られていない市民生活上の問題に介入することを認められた裁判官のような存在は認められていません。
善悪について考えたり、必要に応じて隠さずに言及する程度に留めていれば
>>501>>509 まともですが、
長期間継続的に弾劾するようなやり方はまともではありません。詐欺には法的意味があるのに、法的責任を問えているわけでもない
スレのスレタイに「詐欺疑惑」と入っていたりするに至っては、逆に犯罪的です。
「…は事実だから、本人は認めるべき」「お金を払ってホイッスル買ったので、何回でも疑問点は尋ねていい」それぞれ断片的に見ると、
おかしくなさそうに見えます。しかし、長期間執拗に続けるなら、続けるほうがおかしいということになってきます。そもそも500円出費
+義援金という性質上あるとみなされる善意、は、それほどの私的な追及を正当化するほどの損害か、そもそも追及が長すぎて
私的制裁になっているのではないか、タレントの対応に納得がいかないなら、500円分を諦めて見限ればいいだけではないか、
といった話にしかならないからです。
ここまで書けば、さすがに才能の理解が追及に関わる
>>476>>520ことも理解できるんじゃないでしょうか。