YUI Part298

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448名無しの歌姫
僕はキラではない。普通の市井の市民だ。君たちのやり方がこの国を形無きものに変えた。

血筋の問題ではない。生き方の問題だった。国が証明もしてくれる。DNAを見れば分かる。

目的は、平和だった日本を取り戻すことだった。迂闊だったよ、国民のみなさんは・・・。油断したね。

彼らは政府というものに、何ら信頼性を置いていない。

「政府≒悪事を働く者」という信念で、メディアに盲従している、ただの子どもだ。

アメリカに行けば分かる。硬貨にIN GOD WE TRUSTと書かれている。

君たちの「神(の存在)を信じられない自由」はとりあえず尊重しよう。

それは英語では“BELIEVE IN”「(神の存在の有無を)信じる」だから。

われわれは“TRUST IN”だから。
「(神が存在しているのは当然のものとしての大前提であり、
そのうえで神を)信頼する。頼みにする」なのである。

用心をした方がいい。迷信を信じているのがどちらかを知るときが来たようだ。
言いたくないが、表現が微妙だが、確かに日本は神国だ。信じるに値する国家だ。
国家が当為として地表に存在しているのと同じくらい、この国は神に護られている。
君たちの人間不信は、国家と神への信仰・信任・全幅の信頼という形で解消され得なかった。残念に思う。

まだ悪意のイメージを僕に抱かせるならば、教えておこう。
どんな厭な人間にも、深呼吸のような深く強い祝福を贈れば、それゆえに、その人のカルマのゆえに、その人は没落する。
内面に愛という判断の標準・基準を持たない人は、風に吹かれているだけの凧と同じだ。

人は信じてきたとおりに生きる。
それゆえに、行くべき所に、人は(半ば強制的に)流れて行くのだと。
その意味では人は信念の奴隷だ。
抱く信念の種類により、死にかた、生き方までもが
変わってゆく。
カルヴァン派など信じていてもな、「君の人生は神と人間の共同経営・共同合作である」と理解しなければ、
カルヴァンの主張(予定説)の本来性・・・マックス・ヴェーバーのプロテスタンティズムの原型は理解し得ないだろう。

人生の半分は神の責任、半分は人間の責任、だ。
449名無しの歌姫:2011/11/14(月) 21:12:47.77 ID:8yvCKi1q0
(抜粋)

マックス・ヴェーバーは論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、
カルヴァン派の予定説が資本主義を発達させた、という論理を提出した。

救済に与れるかどうか全く不明であり、現世での善行も意味を持たないとすると、
人々は虚無的な思想に陥るほかないように思われる。
現世でどう生きようとも救済される者は予め決まっているというのであるなら、
快楽にふけるというドラスティックな対応をする者もありうるはずだ。

しかし人々は実際には、「全能の神に救われるように予め定められた人間は、禁欲的に天命(ドイツ語で「Beruf」だが、
この単語には「職業」という意味もある)を務めて成功する人間のはずである」という思想を持った。
そして、自分こそ救済されるべき選ばれた人間であるという証しを得るために、
禁欲的に職業に励もうとした。すなわち、暇を惜しんで少しでも多くの仕事をしようとし、
その結果増えた収入も享楽目的には使わず更なる仕事のために使おうとした。
そしてそのことが結果的に資本主義を発達させた、という論理である。