aiko LOVE LIKE POP Vol.377

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938名無しの歌姫
「神は人をご自身のかたちに創造された。
神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」
「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。
そこで人は生きた者となった」
「人」とあるのは、ここでは男(アダム)のことです。この時点で、
「人」はまだ「男」でしかなかったわけです。
アダムの創造は、まず肉体を形造ることから始まりました。
ここで、「土」から人体を造ったという聖書の記述は、人体を構成する元素が
すべて地殻(地球の一番外側の層、大地)中の土に見出されるという事実を
考えれば、少しも奇妙ではありません。
そののち神は、「人がひとりでいるのは良くない」とお考えになり、
彼のために「ふさわしい助け手」として、女(エバ)を創造されました。
そのときのことで大切なのは、神は他の動物や鳥などをやはり「土」から
お造りになったのに、女の創造はそうでなかったということです。
神は男の体の一部(あばら骨)を取り、それを一人の女に造り上げられました。
「神である主が、深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。
それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げた。
939名無しの歌姫:2010/05/05(水) 22:45:36 ID:P0WNLarh0
聖書によれば人間の主体は男であって、女は男の「助け手」
また協力者として創造されました。
女が男の足の裏から造られなかったのは、男に卑しめられないため
であった。
また、女が男の頭から造られなかったのは、男の頭となって不当に
支配しないためであった。
さらに、女が男の心臓に近いわき腹から造られたのは、男と女が
互いに求め合うためである。
940名無しの歌姫:2010/05/05(水) 22:58:55 ID:P0WNLarh0
聖書を初めて読む人が、「どうせ読むなら、新しい訳のほうがいい」と、
“新ヤク”聖書を買っていったという話がある。どうやら新ヤクを、
“新訳”と取り違えてしまったらしい。
新ヤクと旧ヤクの“ヤク”は、契約とか約束の“約”を書く。
つまり旧約聖書は、イエス・キリストの降誕以前に神と人との間に結ばれた
契約や約束を記したものであり、一方、新約聖書は、キリスト降誕後に
神と人との間に結ばれた契約や約束を記したものだ。