aiko LOVE LIKE POP Vol.377

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884名無しの歌姫
現生人類は、進化論者が「猿人」とか「原人」「旧人」などと呼んだものの
生息していたまさにその時代に、すでに生息していたのです。
また類人猿に似た動物からヒトへと姿を変えていく「化石上の痕跡」は、
ひとつもない。
まず、アウストラロピテクスから見てみましょう。
アウストラロピテクス類はヒトの直接の祖先にも、ヒトに至る進化の系列にも
なり得ない
アウストラロピテクスは、ヒトの祖先ではなく、まったく異なった他の動物で
あったようです。
化石は、この動物が直立歩行をしていなかったことを示しており
アウストラロピテクスは、大洪水以前に生息し後に絶滅した、サルやゴリラに
似た動物の一種に過ぎなかったのです。
「ジャワ原人」は1891年進化論に感化された若者ユージン・デュボアによって
発見されたとされていますが、その証拠とされる骨と言えば、頭蓋骨と、
歯と、大腿骨だけでした。
それら三つの骨からデュボアは、この動物は直立歩行をしていたもので、
サルとヒトの中間型であると考えました。
そして得意になって「ついにミッシングリンク(失われた環=中間型)を発見した」
と報じ、この動物をピテカントロプス・エレクツス(直立猿人の意)と命名しました。
しかし当時イギリスの科学者らは、「これは正確にはミッシング・リンク(中間型)
ではなく、サル的特徴をもつヒトである」と論じました。
頭蓋骨は大腿骨から一五mも離れた所で発見され、歯は頭蓋骨から数mも
離れた所で見つかったからです。
これらの骨が同一の体に属している証拠は全くありませんでした。
また、「北京原人」はどうでしょうか。
「北京原人」も、やはりヒトの骨とサルの骨とが組み合わせられたものだ、
と考える人が少なくありません。
中国の北京では、サルの脳みそを食べる習慣があり、脳みそを食べた後、
サルは近くに捨てられました。
北京では、サルとヒトの化石化した骨が、近くで発見されることがあるのです。
「北京原人」の化石と言われたものは第二次世界大戦中に失われてしまったので
今日私たちはそれを見ることができません。そのため、以前にはできなかった
化学検査や、その他の進歩したハイテク技術によって、今日それを
調べ直すことすらできないのです。
そのようなものを「進化の証拠」と称して教科書にかかげる進化論者の態度には、
問題があると言わざるを得ません。
ネアンデルタール人は、かつては進化論者によって、
「前かがみで、ひざをひきずり、毛深く、ぶつぶつ声を出し、骨高の額、
そしてその下のくぼんだ眼窩から外をのぞきながら、何か獲物はないかと
歩いている類人」として、さかんに取り上げられました。
しかし今では、この前かがみのネアンデルタール人は、ひざに、くる病とか
関節炎とかの病気をもっていたのだということが、わかっています。
生物学者デュアン・T・ギッシュ博士は、こう述べています。
今では、これらの『原始的特徴』は、栄養上の欠陥と、病的状態によるもので
あることがわかっており、ネアンデルタール人は今では完全な人として
分類されています。
このようにネアンデルタール人は、完全に「人」でした。
クロマニョン人の脳の大きさの平均は現代人のものよりも200〜400t大きく、
頭脳も体格もりっぱなものでした。彼らは身体的・能力的に現代人に優るとも
劣らなかったのです。ジェフリー・グッドマンはこう述べています。
クロマニョン人は一般に少し頑丈で、また少し筋肉が発達している点を除けば、
現代人と区別できない。