aiko LOVE LIKE POP Vol.376

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966名無しの歌姫
ルーズベルトはなんとか日本と戦争をし日本を屈服させたいと願っていました。
また当時ヨーロッパでは、すでにドイツ軍の勢力がイギリスにも迫っていました。
それでルーズベルトは、盟友チャーチル首相のイギリスを救うためにも、
アメリカの参戦を何とか果たしたいと思っていたのです。
もしアメリカが日本と開戦すれば、日本とドイツの同盟関係により、
アメリカは自動的にドイツとも開戦することになります。
けれども、アメリカ政府が勝手に戦争を始めても、アメリカ世論が
ついてくるわけがありません。
そのためにアメリカが用意したのが、「ハル・ノート」という日本への要求書でした。
これをつきつけるなら、日本は牙をむいて、刃向かってくるに違いない
そう踏んだわけです。
もちろん、こうした国運をかけた重要な外交文書が出されるには、当然、
アメリカ議会の承認が必要のはずです。
ところがハル・ノートは、アメリカ議会も、アメリカ国民も全く知らないところで、
ひそかに日本につきつけられました。
これが日本に出されたことは、ルーズベルト大統領と、幾人かの側近だけが
知っていたことだったのです。
967名無しの歌姫:2010/04/25(日) 07:39:10 ID:C668re8Z0
真珠湾攻撃のニュースが飛び込んだとき、喜んだのはルーズベルト大統領でした。
これでアメリカ世論は一気に傾き、日本との戦争を始められるからです。
当時の大統領側近の話によれば、真珠湾のニュースを聞いたとき、
大統領は「安堵した」といいます。それは彼の念願がかなった瞬間でした。
968名無しの歌姫:2010/04/25(日) 07:41:10 ID:C668re8Z0
のちに、イギリス・チャーチル内閣のオリバー・リットルトン生産相は、
1944年の演説の中で、日本の真珠湾攻撃についてふれています。
当時の『ザ・タイムズ』誌は、記事の中で次のように記しました。
リットルトン氏は『日本人が真珠湾でアメリカ人を攻撃せざるを得ないほど、
アメリカは日本を挑発した、と言明し、
『アメリカが戦争に巻き込まれたというのは、歴史を戯画化したものである』
と付言した」
969名無しの歌姫:2010/04/25(日) 07:43:28 ID:C668re8Z0
しかし日米間に戦争が起こって欲しいと熱望していた、第三者の存在があったのです。
その第三者とは、ソ連のモスクワに本部をおく「コミンテルン」(国際共産主義組織)です。
コミンテルンは、「世界中を共産主義化する」という野望を抱いて行動していた人々です。
このハル・ノートですが、じつはもともとハル国務長官自身が最初に用意した原案は、
もっと穏やかなものでした。
それは日本側が呑める内容でした。それがもし実際に出されていたら、
日本側は呑んだでしょう。そして日米戦争は起こらなかったに違いありません。
970名無しの歌姫:2010/04/25(日) 07:45:20 ID:C668re8Z0
しかし、そののち実際に日本につきつけられたハル・ノートは、
強硬で無茶苦茶な要求となっていました。
その原稿を書いたのはハル長官自身ではありません。
財務省補佐官のハリー・ホワイトなる人物でした。
それをルーズベルト大統領が気に入り、これでいけ、ということになって、
ハル長官から野村大使に手渡されたので、以後「ハル・ノート」と
呼ばれるようになりました。
ハル・ノートを書いたこのハリー・ホワイトは、共産党員であり、
ソ連のスパイであったことが、戦後明らかになりました。
別にエリザベス・ベントレイというソ連のスパイが逮捕されたのですが、
彼女は、ハリー・ホワイトは共産党エリートだとしゃべったのです。
また、ウイタカー・チェンバースという元共産党員の男も、ホワイトは
ソ連のスパイだと告発しました。
こうしたスパイ疑惑のなかホワイトは審問期間中に突然、不審な死を遂げます。
その死に方は、事故死か自殺のようにもみせかけられていましたが、
コミンテルンに消されたというのが大方の見方です。