aiko LOVE LIKE POP Vol.376

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962名無しの歌姫
アメリカが提出してきた「ハル・ノート」は、日本にとっては寝耳に水、
予想もしないものでした。
その要求は、中国大陸や、仏領インドシナから日本の軍隊を引き上げるなどが
要求のおもなものでした。
このような要求は予想できないでもありませんでした。
なぜこれが寝耳に水だったかというと、アメリカの言い分は、日本がこれらの
要求をすべて呑めばABCD包囲網を解く、というものではなかったのです。
日本がこれらの要求を呑んだら、ABCD包囲網をどうするかという
話し合いに応じる、というものに過ぎませんでした。
963名無しの歌姫:2010/04/25(日) 07:34:06 ID:C668re8Z0
ハル・ノートを受け取る以前の日本政府は、アメリカとの関係を
なんとか修復したいと、必死の努力を続けていました。
しかしこの要求を受け取ったとき、いまやすべての努力が挫折したと
知ったのです。
このとき日本国内に、
「事態ここに至る。座して死を待つより、戦って死すべし」
という気運が生まれました。
964名無しの歌姫:2010/04/25(日) 07:34:59 ID:C668re8Z0
戦後、東京裁判でただ一人、日本の無罪を主張したインドのパール判事は、
「ハル・ノートのようなものを突きつけられたら、モナコやルクセンブルクのような
小国でも、矛をとってアメリカに立ち向かうだろう」
と述べたことは有名です。
なぜアメリカは、ハル・ノートというような無茶苦茶な要求をしてきたのでしょうか。