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名無しの歌姫:
死刑囚は社会的な存在である
東京拘置所の住人になった日
独房では長生きしたくない
支離滅裂なる死刑論者、野坂昭如氏に物申す!
在監者との”卑猥”な手紙のやりとりで「性への異常執着者」と決め付けられた
獄中で見る「ヘア写真」は無修正だが性欲はわかず!
拘禁8年間で知った「天国と地獄」
同志の永山則夫こそ東拘のヒーローだ
縄跳び、飲尿!永田洋子の”生への執念”には脱帽だ
稀代のニセ札犯、武井遵は、私を「性医学博士」と呼んだ
和解金を稼がせてくれた三浦和義は「訴訟の氏神」だ
三菱重工爆破犯益永利明への敵・味方を超えた「共感」
上告取下げの真意は三審制を逆手に取った反死刑闘争だ
死刑囚にも食いブチを稼がせよ
確定→処刑期間に個人差があり、執行順序の基準を明示せよ!
死刑確定後の「獄中書簡」をいっきょに公開する!
↑の評論集は1993年7月、同年3月に3年4ヶ月ぶりに死刑の執行が
再開されたことについて抗議し、自ら上告を取り下げ、死刑囚となった澤地和夫さんの
論評、わが遺言です。
澤地さんは当時、1,2審で死刑判決を受け、上告中でした。澤地さんは突然、上告を取り下げ
ました。共犯の猪熊武夫さんは最高裁に上告しましたが、1995年7月、澤地さんの死刑確定から2年後、
猪熊さんの上告が棄却され、猪熊さんも死刑囚になりました。
澤地さんも猪熊さんも死刑囚の一人として生きています。
わが遺言は週刊アサヒ芸能(小学館)に掲載された論評です。