ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2006 vol.4

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333名無しのエリー
あえて言おう。『フェスに貧乏人はいらない』と。
2006年3月20日、邦楽最大のフェスROCK IN JAPANがチケットの先行予約を開始した。
出演アーティストはまだ発表されていないが、3日通し券2日券1日券の全券種の予約が可能。
これは前年のチケット不足による混乱を経験した、製作サイドのロッキングオン社側が出したひとつの結論だ。
『チケット超先行販売方法』とでも言おうか。

しかしこの販売方法に、意を唱えた人々が出た。それが『貧乏人達』だ。
貧乏人達の意見はこうだ。「出演者もわからない時点で、チケットのお金なんて払えない」
つまり貧乏人達は、「もしチケットのお金を払った後に気に入らない出演者だとわかったら、お金が無駄になってしまう」と言うわけだ。

一般的な消費論からすれば、それは当たり前の感覚だ。
だが、これは『フェス』なのだ。
ハッキリと言おう。フェスとは、本来お金持ちのお楽しみなのだ。
出演者がわからない時点でチケットを買って、その後どうなろうが痛くも痒くもない、
フェスとは、そういうレベルの人々のためにあるのだ。
理由は、以降に述べよう。
334名無しのエリー:2006/05/23(火) 21:18:24 ID:nbgpwZSa
フェスの歴史が長いアメリカでは、ベトナム戦争の真っ最中にもフェスが開催されていた。
しかし若者は徴兵され、兵士として地獄の戦地ベトナムに派兵されていく。
そんな中、フェスに来る若者とはどんな若者だったのか?
答えはもちろん、裕福な家の子供達だ。
真っ先に徴兵されたのは貧乏人の子供達で、裕福な家の子供達はお金を払って徴兵を遅らせた。
そしてその子らは、『戦争反対』と歌うロックバンドが出演するフェスに行き、戦争反対と叫ぶのだった。

ベトナムに派兵された兵士のひとりが、こんな日記を残しているのを知っているだろうか?
『俺が今最も憎いのは、ベトコンではない。金を払って徴兵を免れ、平和な地で音楽を聴き反戦の気分にひたる、あの裕福なヒッピー達だ。』
そう、フェスとは元から、『こういう物』なのだ。
誰もが平等に楽しめる音楽の祭典?そんなのは幻想だ。

それを十分に理解しているからこそ、フジロックフェスティバルは2004年、
いち早く『3日間通し券のみの販売』に踏み切った。
1日券なんかでチマチマ楽しむしかない客はフェスにはいらない。
3日間休みも取れ、ホテルの宿泊費や、テントなどの必要物資や資金を余裕で用意できる層、
そういう層のためにフェスはあるのだと、現実を体現して見せた。
しかし、英断は貧乏人達お得意の『不平等コール』によって覆され、残念ながら1日券は復活してしまった。
335名無しのエリー:2006/05/23(火) 21:19:00 ID:nbgpwZSa
そして2006年。
ならば、とロッキングオンが下した英断がこの『超先行販売方法』だ。
どんな出演者だろうが、3日間の休みを取り、たかが数万円の出費をいとわない参加者、
また、お目当ての出演者にしか興味が無く、よって1日しか行かない、という場合であっても、
この先行販売期間で1日券を3種類予約しておき、後々行きたい日が決まったら残り2枚を放出する、
そういった採算度外視な方法を取れる参加者、
そういった『参加者』こそが、『本当にフェスに行きたいと思う人達になれる資格がある』のだ。
それは何も間違ってはいない。
説明した通り、フェスとは最初から、お金持ちによるお金持ちのための祭典なのだから。

だいたい、フェスに来て、ライブだけを見て帰られても困るのだ。
パンフを買い、グッズを買い、食べ物を買い、お金をふんだんに使ってもらわなければ、フェスはやっていけない。
残金をチマチマ確認するような貧乏人は、フェスのためにならないのが、おわかりいただけただろう。
フェスのためにならない貧乏人は、出演するアーティストのためにもならない。
よって『不要』。つまり、『貧乏人はフェスに来るな』というわけだ。

と言うわけなんで貧乏人のみなさん、チケットが取れなくても諦めましょう。
非情かもしれないけれど、これが現実なのだから。