大塚愛さくらんぼ盗作疑惑

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11375です@
パクリかパクリではないかについて、もう少し意見させて頂きます。
長いので分割します。

音楽の構造において「パクリ」の定義は、
譜面上において全く同じ音程の、全く同じリズムの音符が並ぶということではありません。
それはパクリというかコピーといっていいでしょう。
一方、同じスケール、同じコード、同じメロディで同じモチーフを使って楽曲を作っても
それでもパクリにはなりません。
なぜなら、そこまでやったとしても、何人かが楽曲を作れば別々の作品ができてしまうからです。

わかりやすい例として「メリーさんの羊」と「ロンドン橋」は、キーを整えれば同時に歌えますよね?
しかし、メリーさんとロンドン橋は、おのおの違う曲として認知されています。

ではメリーさんの羊の後半半分を、ロンドン橋にした場合、
これをオリジナルということができるのでしょうか?
もちろん無理です。
多くの人は「メリーさんの羊とロンドン橋を合わせたものだな」と認識するはずです。
ですがメリー+ロンドンで異なった楽曲を作ることは可能なのです。

つまり、「パクリ」の正体は、オリジナル性の欠如にあります。
逆に言えば、理論的な面では「同じ構造でも違う曲」がありうる上で
「オリジナル性」という抽象的な美点を楽曲に込めることができなければ
「これは私のオリジナルだ」とは主張できない。
構造が一緒である以上、オリジナルと人に思わせる説得力がなければ
その楽曲はパクリと同等であるというわけです。
11475ですA:2005/12/20(火) 09:58:57 ID:BivKbOF1
そしてオリジナル性は75で書いた通り
「構造を自分なりに理解し、昇華する」ことで生まれます。
これが、音楽だけではなく、全ての物作りをしている人たちが取り組んでいる苦痛であり
全ての作家が取り組んでいる仕事の正体です。
(ポスト構造主義的発想については、今はポップの話題が中心なので触れません)
この作業をしていないと、せっかく作った作品も「メリー+ロンドン」になってしまいます。

つまり肝心なのは、音楽家が1つの構造に対して
オリジナル性を出すために思考を重ねる=きちんと仕事をしたかどうか。
また原曲や元ネタがあるなら、それに敬意を払っているかどうかではないでしょうか。

ただし、ポップを作るのは本当に本当に大変です。
しかも時代が変われば音楽の作曲・演奏・録音技術も向上するため、
ありきたりなポップは「より高度な新しい技術」で演奏された方がよい演奏に聞こえるものです。
そして大塚愛は「眠っていたネタを高度な技術で復活させた人」であり
オリジナルの素晴らしい楽曲を作った人ではないと思います。

なお、このテキストは楽曲「さくらんぼ」の価値に一石投じるものではありますが
大塚愛の才能やセンスについては、上記の「眠っていたネタを掘り出してきた」という意味でのみ、
評価されるべきという立場で書いております。
もっとも、掘り出してきたのは違う誰かなのかもしれませんが、
そこまで勘ぐるのは野暮というものでしょう。

長文失礼しました。