ZAZEN・ナンバガのCDを投げ捨てろ!!!その7

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74名無しのエリー
582 :名盤さん :04/01/07 21:19 ID:sacuZPQH

思うにそんな音楽はただ、耳なじみのいい音楽と違った珍奇な体裁をとっているだけであって
結局それはどこまでいってもただの音楽でしかないのだ。
しかし、ある種の音楽を異様なまでに偏愛する連中はそれをストイックだとか、難解だとか、高尚だとか
無意味な付加価値で語りたがる。それはつまりが自分を仮託している音楽を、
他者の音楽と区別して、差異を強調し、いかに自分のそれが優れているかを誇る行為でしかないのだ。
この「理解している」というフレーズが曲者で、これはつまりがポストモダン的な差異に価値を見出す姿勢。
ビートルズがモダンでいられた時代からさらに複雑になった、いかに買い手を喜ばすかの戦略だろう。
しかしなにゆえに、このような俗物が満足を得られたとの錯覚を抱くのか?
それはつまるところの、刺激の多用における感覚の鈍重化。
耳が常人のそれより刺激に慣れすぎた状態になっているのだ。
鈍くなった耳でもっておかしな刺激物に触れてみれば、今までの状態では思いもしなかった旋律を持って現れる。
このギャップが、自分の成長という錯誤をもたらし満足を与える。ただこれだけのことなのだ。

だいたいが理解するという言葉を音楽に持ち込んだのがそもそもの間違いで
文学のようにある程度の語彙がないと読みこなせない作品があり、したがって理解できるようになるという現象は
なるほどその場合には容認されてしかるべきだが、音楽に、理解するとは間違いだ。
単純な作業、耳で聞く。そして快・不快、二択の感情でしか語られるべきではないのだ。
あえて理解するという言葉をつかうならそれは免疫のない耳を、その音楽を聞けるように強制しているだけなのだ。

...これなんか面白い面白い。むしろ爽快