【今さらながら、田村直美。Part 2】

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394名無しのアンジェリーナ
「生まれたとこは名古屋だと思うんだけど、あんまり小さい頃のことは親が話したがらないんで…。」
1962年12月11日生まれ。脳性小児麻痺の兄がいた。少女時代は活発だった一方、「人と食事することが、
できなかったの。」ために「給食を残す」と父親に叱られたと言う。中学では突如"女番長"に抱きつか
れた。そしてテニス部に入部。「運が悪かったんだろね。1年から3年まで続けたし、キャプテンも
やったし、雨の日も朝練やったりしたんだよ。」そして、直後にロックと出逢うのだ。
…取り合えずパート1です。
395名無しのアンジェリーナ:03/05/10 21:18 ID:btfC8tyR
パート2:
中学2年の学校行事で男子の先輩が卓球台を並べたステージでキャロルのコピーバンド
を演じた。それに魅了されテニス部の仲間に声をかけてバンドを結成した。既に
ヴォーカル担当だった。「全然、遊びなんだけど、あの頃は真剣だったんだよね。
だんだんテニスよりバンドの方が楽しくなっていくんだけども、バンド・イコール
・悪いコたちって感じだから、横着い(=『不良』)方へ傾いてくの。仲間がたまる
家があって、そこにずっと居たりしたんだ。」しかしそのバンドも、15歳の頃、
消滅した。高校に進学、兄の病死を経て、尚も音楽への熱意は消えなかった。遊び
仲間達とRCサクセションなどのコピーをやっていたのだ。そして、女のメンバー
だけでロックをやりたかったのだ。しかし仲間達は次々処分され、高校を去った。
彼女も始末書や警察の厄介になった。卒業後、バンドメンバーはベースとピアノ、
ヴォーカルの3人になっていた。この時期、宮本ひろ美('89年パールのドラマー)と
出会っている。
20歳の時、与論島でのライヴハウスに、仕事を休めなかった宮本抜きで参加。
しかし帰って来た時、バンドは壊れていた。「だからその後の秋は真っ白なん
ですよ。自分のまいたタネだけど。もう、どこにも逃げ道がなかった。それまでは
どっちつかずでずーっといるから、どっちにも逃げられたのね。家がイヤなら
家出すれば済んだり、学校行かなくても何とかなったり、友だちは停学でも自分
だけは助かってたりとか。」「与論島から帰って来て、ピアノの子はクラシックを
ちゃんとやってた子だったから、ちゃんとこっちがやりたいって言って、ベースの子
はもうこんな生活はやっていけないみたいな…もうこのメンバーではバンドはやれない
ってことになっちゃったのね。」
とりあえず、パート2はここまでです。



396名無しのエリー:03/05/10 21:24 ID:1h7vSCFC
好きなのに、全CD持ってないって人結構多いんだな。
なんで買わないの?そんなに数出ているわけでもないのに。
397名無しのエリー:03/05/10 21:36 ID:/EaX6kuT
>>396
何だ?、理由を聞きたいのか?。
398名無しのアンジェリーナ:03/05/10 22:28 ID:yBaTnHtz
(…ひぃひぃ;;)パート3:
彼女は秋の間中悩んだ。「今度こそ逃げ道はない」
そして、アルバイトを始め、嫌っていた自宅にも帰った。そして、ベースとギター
の新メンバーと宮本、彼女で新バンド"STEP"を結成。
何回目かのコンテストの際、名古屋のライヴハウスのS氏が言った。「もしかしたら
今のバンドで、他のメンバーと別れることがあるかもしれないけど、そういうことが
あることも覚えておけよ。」予言は的中する。全員でのデビューにこだわっていた
彼女だったが、あるコンテストで誘いの声は彼女だけにかかってしまう。策として、
メンバーを個別にオーディションさせるが、受かったのは彼女と宮本の2人。
ベースの不合格に、ギターは怒ってバンドを去った。ここでSTEPが瓦解した。
後ろ向きの気持ちのまま、1986年8月の終わりに上京。「なぜ上京してプロになろう
と思ったかは、あんまり言いたくない。なんか、人のせいにしちゃいそうだから…」
そして、ギターの大橋カズヤと、ベースの大野未知樹と共に"PEARL"が結成される。
「最終的にはしょうがないんだって、どっかあきらめてたところがあるのね、当時。
STEPじゃなければ誰とやっても同じだっていう位、卑屈になってたから。どんなヤツ
と組みたいんだって言われてもSTEPがやりたいんだとしか言えなくて。それじゃ、
先に進まないでしょ。」

この後の歴史は、ファンの皆さんの既知の通りです。殆ど本の内容の要約と化して
しまいましたが、田村さんは、転機を動力にして成長して来たんだ、と言う事が
まざまざと解りました。別の面から見れば、努力家で、仲間ヘの忠誠心があり、
自分と向き合う事を忘れなかった人間だ、とも思えます。この後もソロ化、本名
での『再デビュー』、PEARL復活、最近の「new vintage」での活躍と、目まぐるしく
境地が替わっても一人のミュージシャンでいられるのは、これらの経験があったから
だ、とぼくは信じています。

乱筆ばかりで恐れ入ります。