■■愛と夢■■-エレファントカシマシ10-

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341名無しのエリー ◆ELEKA6Kw
赤館公園は町北部標高345mの丘陵地にある。眼下に旧棚倉城下が広がり、
遠くは久慈川沿岸の町並が展望できる。近世棚倉城が築城されるまでは、
この丘陵に館が築かれこの地を治めていた。現在公園整備がなされ、一番
平には公園散策路、屋外ステージ、花壇などが設けられている。さらに駐
車場や休憩所を完備し『町民いこいの場』として親しまれている。
 また公園の南側山麓には「紫衣事件」で棚倉に配流された京都大徳寺の
住職玉室和尚の草庵跡が伝えられ、現在碑が建てられている。
 中世の赤館に関する資料は極めて少なく、築城時期等判然としない点が
多い。ただ建武年中(1334〜1337)に赤館に赤館伊賀次郎が赤館城主で
あった記録があることから、赤館はこの頃すでに築かれていたことがうかがえる。
 北進を企てる常陸太田佐竹氏とそれを阻止せんとする白河結城氏・会津
芦名氏の連合軍は赤館をめぐり壮絶な攻防が展開された。天正3年(1575)、
佐竹氏は赤館の攻略に成功し、慶長7年(1602)秋田転封までその支配は続いた。
寛永2年(1625)棚倉藩2代藩主丹羽長重が幕府の命により棚倉城を築き赤館はつ
いに廃城となった。