1 :
炎の手風琴:
戦後30年間、京都を訪れる修学旅行生のメッカとして、数百万人の
中学生・高校生の心に残る想い出を刻んだ「歌声ホール炎」の中山隆
リーダーがお亡くなりになりました。
想い出、記憶のかたすみ、何でも書いて下さい
(中略)以下 ご案内
早速ではございますが、ご存知のミュージックイン「炎」の中山 隆
さんが九月十日、七ヶ月余りの闘病生活の末、ご逝去なされました。
(中略)
つきましては、行く秋にものの哀れを感ずるこの季節に、親交の深かっ
た者が呼びかけ人となり、左記のとおり『中山隆さんを偲ぶ会』を催
したいと存じます。(中略)お知りあいの方もぜひお誘
いいただきますようお願い申し上げます。
敬具
平成十五年十月
呼びかけ人(五十音順) 市ひな 今井喜美子 大友敏郎 小川長楽 木川かえる 小嶋京楓
沢田和也 柴田京子 杉本秀司 武部宏 西川元雅 服部和子
藤山一男 森乃福郎
日時
十一月十七日(月) 午後六時三十分より (受付五時三十分)
場所
京都パークホテル (東山七条 三十三間堂東隣) (075)525−3111
会費
一二、〇〇〇円
お問い合わせ
先斗町四条上る 山とみ (075)221−3268
お手数ですがご都合のほど同封のはがきにて十月末日までに
お知らせくださいますようお願い申し上げます。
なお 当日は平服にてお越しくださいませ。
2 :
関連スレッド:03/10/16 22:17 ID:fs+g31Bt
3 :
関連ページ:03/10/17 19:06 ID:3SuibtV2
小さな文化を作る会が、京都の歌声喫茶「炎」で過ごした懐かしいあの
青春時代にタイムトリップし、50歳〜70歳の人に当時の思い出とともに元
気な歌声で和やかに交流し、楽しいひとときを過ごしてもらおうと企画した。
当日、昭和33年に製作された近江八幡市歌のレコード歌手だった中山隆さん
(70)が来場し、懐かしい歌声喫茶のリーダー役をつとめ、参加者が思いっき
り、当時の歌を歌い上げてリフレッシュする場を提供する。
http://www.bcap.co.jp/s-hochi/02-05/n020512.html
4 :
関連ページ:03/10/17 19:14 ID:3SuibtV2
5 :
関連ページ:03/10/17 19:24 ID:3SuibtV2
6 :
関連ページ:03/10/17 19:42 ID:3SuibtV2
7 :
名も無き音楽論客:03/10/17 21:57 ID:+qF/u5U9
またひとつ我々は大切なものを失ってしまった…
「炎」でコブシをふりあげ、熱唱した日々もはるか昔…
リッチー・ブラックモアは私の唯一のヒーローでした。
8 :
歌声喫茶とは:03/10/18 12:30 ID:VnqjQGz5
9 :
歌声喫茶とは:03/10/18 12:40 ID:VnqjQGz5
10 :
炎の歌:03/10/18 19:54 ID:VnqjQGz5
昨日(2003年10月17日)、MIDIデータが公開されました。
炎の歌
【作詞】有木 庸夫
【作曲】林 三郎
【MIDIデータ作成協力】Iwakichsky
1.(ルルルルルル ルルルルルルル)
果てしない旅路に 疲れた旅人よ
(ルルルルルルル)
燃える炎に 手をかざし
ふるさとの歌 歌おうよ
あゝ 赤々と 昨日の思い出
2.(ルルルルルル ルルルルルルル)
一日の仕事に 疲れた若者よ
(ルルルルルルル)
燃える炎に 足踏みならし
声を限りに 歌おうよ
あゝ 輝やくは 今日の喜び
3.(ルルルルルル ルルルルルルル)
歌声に 若いいのちが 呼び合って
(ルルルルルルル)
燃える炎の 輪になろう
今宵も歌え 手をつなげ
あゝ みちてくる 明日の夢よ
http://village.infoweb.ne.jp/~fwgc6260/honoonouta.html
11 :
うたごえ(歌声)喫茶(酒場)とは:03/10/19 01:35 ID:0Vuq6oIl
うたごえ(歌声)喫茶(酒場)とは。
概略 昭和二十年代後半にでき、30年、40年代に、アコーディオン、
ピアノ等の生伴奏によって、お客さんが一体になり ロシア民謡をはじめ
とした各国の民謡、歌曲,唱歌、童謡。ラジオ歌謡、フォークソング歌声
運動の曲等、をソフトドリンク,アルコールを飲みながら大きな声で一緒
に歌える店が最盛期は相当数あったそうです。今も常設の店が東京に数軒,
仙台福岡などにある。また合唱団やサークル等が、定期的、あるいは不定
期に開催されるスタイルの場合も含めるとかなりある。又歌われる曲、伴
奏楽器の幅広くなってきている。
http://homepage2.nifty.com/coropo/yougosyuu.htm
12 :
歌声喫茶をもう1度:03/10/19 11:20 ID:0Vuq6oIl
13 :
先人の志よいつもでも・・・。:03/10/19 14:50 ID:0Vuq6oIl
中山隆さん・・・ 投稿者:NORA 投稿日:10月19日(日)11時30分07秒
歌を愛する我々の大先輩、中山隆氏のご冥福をお祈りします。
また「昭和」がひとつ失われた感があります。
東の「灯」西の「炎」。
歌を通じて人と人とが心通わせた暖かい居場所。
先人の志よいつもでも・・・。
http://8011.teacup.com/nora/bbs
14 :
うたごえ喫茶を、ご存知ですか:03/10/19 17:49 ID:0Vuq6oIl
15 :
歌声喫茶の紹介:03/10/19 22:42 ID:0Vuq6oIl
16 :
青春の愛唱歌:03/10/20 01:29 ID:2kNmC3cV
17 :
「小さな日記」:03/10/20 01:37 ID:2kNmC3cV
18 :
クラブ活動とデイト:03/10/20 01:43 ID:2kNmC3cV
19 :
青春を取り戻し:03/10/20 01:57 ID:2kNmC3cV
20 :
トロント歌声喫茶の会:03/10/20 19:54 ID:2kNmC3cV
トロント歌声喫茶の会
◇歌った歌は下記の通り。
坊がつる賛歌、北帰行、夏は来ぬ、浜辺の歌、心はいつも夜明けだ、
バラが咲いた、帰れソレントへ、ラ・ノビア、アリラン、カリンカ、
イムジン河(発売禁止版)、おお牧場は緑、ストトラバンバ、花、
草原情歌、青春牧場、美しき我がふるさと、贈る言葉、学生時代、
故郷を離るる歌、赤とんぼ、夜明けの歌、涙そうそう、旅人よ、
おおブレネリ、かなわぬ恋、乾杯の歌、ラストダンスは私に、
平壌は心のふるさと、ゴンドラの唄、すずらん、あざみの歌、
カチューシャの唄、ヤシの実、河は呼んでる、ふれあい、
星よおまえは、ローレライ、青い山脈、はるかな友に、知床旅情、
下町の太陽、高校三年生、山男の歌、六甲おろし、小さな日記、
今日の日はさようなら。
…こうして題名を書いているだけで歌声がわいて来るなあ〜。
http://www.geocities.com/yukacosmic/Utagoe/0308.htm
21 :
SHIG:03/10/20 22:19 ID:???
ド田舎から大学に入って京の都に上ってきた私にとって炎は文化そのものでした。
関田町の学生寮から自転車でパレス会館まで行きまして、コーヒーが50円、自転車の預け賃が10円でした。
一日バイトして250円か300円でしたから結構な出費ではありました。
22 :
炎でバイトしてました:03/10/20 23:58 ID:2kNmC3cV
>>21さんも、中山リーダーの、歌の生徒ですね。
>>9 とは、また違った読み方をされる『歌声喫茶「灯(ともしび)」の青春』。
しかし、東京と京都で似たような現象があったのも興味深い。
直接体験ではないが、従業員のストライキなど、高くはない(と思う)
飲み物代とのジレンマだったり。リクウェストの処理なども。
炎では、最末期を除いてアルコールは出さなかった。修学旅行生の事も
考慮していたと思います。
従業員は、これも最末期を除いてすべて男性だった。学生の多い京都で
ほとんどの従業員はバイト学生だったため、男女雇用機会均等にすれば、
労務管理が大変だったのでしょう。
炎の盛況ぶりを語るのに、「従業員が、目の前の阪急河原町駅にたどり
着くために、お客さんの整理の為に警官隊が出ていた。」なんて話も・。
グループサウンズやフォークソングが出てくる前の、18〜22歳が唄い
演奏するライブは珍しかったかもしれない。
60年世代ほど意識的ではないが、70年世代は団塊で数は多い。お客
で身動き出来ないほどびっしりの時期も、東京より後まであった。
歌謡曲の黄金時代、多くの曲が新しい手法を競っていた。ヒットする、
しないの予感は、目の前のお客さんの反応で、大体ピタリと当たった。
炎でバイトをしながら、卒業してイタリアへ留学して歌を続ける従業員
もいた。東京へ楽器を教えに新幹線で通っていたOBもいた。
通勤電車の読書室
http://www.asahi-net.or.jp/~nx7r-tsm/nihon-s.htm 『歌声喫茶「灯(ともしび)」の青春』を読む
http://www.worldtimes.co.jp/syohyou/bk021216-1.html
23 :
カラオケから回帰も:03/10/21 00:08 ID:ef6BRnng
こんばんわ。
>>10を作ったものです。HPのご紹介有り難うございます。
たまたま「炎の歌」の話しが我が家庭にあがり、当時関わった方から譜面を戴き作成したもので実は実際には聞いたことがないんです。
数人の方からお聞きして大体こんな感じらしいということは判ったのですが。
たまたま『歌声喫茶「炎」』の情報を得ようと検索しましたら訃報が見つかり勝手ながら転載をさせていただきました。
訂正
【作曲】林 三郎→【作曲】林 二郎
です。
ヴァーチャルうたごえ喫茶「のび」
http://village.infoweb.ne.jp/~fwgc6260/index.html
25 :
ジュース一杯で二時間ねばり:03/10/22 23:18 ID:Sj6EFEml
26 :
見知らぬ仲間と合唱しました:03/10/22 23:27 ID:Sj6EFEml
27 :
かじやさんコンサート:03/10/22 23:34 ID:Sj6EFEml
28 :
むせび泣くアコーディオン:03/10/22 23:48 ID:Sj6EFEml
29 :
2カ月に1回、歌声喫茶:03/10/22 23:58 ID:Sj6EFEml
30 :
私の大学時代:03/10/23 00:05 ID:ElqMdMbd
31 :
心豊かに交流:03/10/23 00:13 ID:ElqMdMbd
32 :
炎の歌集:03/10/24 18:36 ID:???
1969年10月30日発行の歌集の曲目です。
炎の歌1青春の炎14春のスーベニール15星に願いを16もう一度17アリンコの歌18
とんでけ19から松の道20もしもなれたら21京都の夜22仲間23君といつまでも24
知りたくないの25すずかけの径26涙くんさよなら27ゴンドラの唄28つめ29この道30
船頭小唄31青い山脈32高校三年生33あざみの歌34赤い風船35波浮の港36
鉾をおさめて37女ひとり38今日の日はさようなら39この広い野原いっぱい40
学生時代41夜明けの唄42想い出の赤いヤッケ43幼なじみ44忘れな草をあなたに45
あいつ46遠くへ行きたい47銀色の道48北上夜曲49喜びも悲しみも幾歳月50
さくら貝の歌51まりもの歌52リンゴの歌53長崎の鐘54水色のワルツ55踊り子56
パリの夜57黒いパイプ58白い花の咲く頃59森の小径60惜別の歌61雪の降る街を62
山の煙63シーハイルの歌64春の歌65若い力66いつかある日67山男の歌68
原爆を許すまじ69死んだ女の子70若者よ71幸せの歌72一高寮歌73琵琶湖周航の歌74
逍遥の歌75青春牧場76手のひらを太陽に77海よさらば78母さんの歌79
ふるさとの歌80人を恋うる歌81白鳥の歌82遥かな友に83夏の思い出84夏は来ぬ85
早春賦86出船87平城山88荒城の月89やしの実90待ちぼうけ91せいくらべ92母93
浜辺の歌94花95小さい秋みつけた96プンプンポルカ97七つの子98花嫁人形99
ふるさと100一年中の歌101灯台守101空にまた陽が昇るとき102箱根の山103
みかんの花さく丘104月の砂漠105おさるのかごや106森の小人107里の秋108
時計台の鐘109鉄道唱歌110ペチカ111赤とんぼ112スキー113お山の杉の子114
小鹿のバンビ115海女の子供116京都市の歌117ちゃっきり節118祇園小唄119
五木の子守唄120黒田節121ソーラン節122どじょっこふなっこ123もずが枯木で124
斉太郎節125島原の子守歌126安里屋ユンタ127花笠音頭128親子丼129
1969年10月30日発行の炎の歌集、つづきです。
静かな湖畔の129灯130カリンカ131カチューシャ132トロイカ133
バルカンの星の下に134バイカル湖のほとり135エルベ河136行商人137
コザックの子守歌138すずらん139一週間140収穫の歌141山のロザリア142
どん底のうた143川岸のベンチで144郵便馬車の馭者だった頃145小さいぐみの木146
スリコ147船のり148道149リンゴの花咲く頃150紅いサラファン151
ステンカラージン152泉のほとり153仕事の歌154黒いひとみの155囚人の歌156
我等の仲間157村の娘158帰れソレントへ159マンマ160アル・ディ・ラ161
オオ・ソレ・ミオ162サンタ・ルチア163女心の歌164想い出のソレンツァーラ165
ラ・スパニョラ166さらば恋人よ167夢みる想い168フニクリフニクラ169
山の大尉170しゃれこうべと大砲171蛙172ラ・ノビア173アンジェリータ174
山の人気者175恋心176ルナ・ロッサ177町の小さな靴屋さん178詩人の魂179
ロマンス180サントワマミー181愛の賛歌182ラストダンスは私に183バラ色の人生184
日曜はいやよ185モンパパ186人の気も知らないで187兵隊が戦争に行くとき188
枯葉189フルーツサラダの歌190ラ・メール191小雨ふる径192カナダ旅行193
アディユー194パパはママにいかれてる195河は呼んでいる196ゴンドリエ197
1969年10月30日発行の炎の歌集、その3です
一日の終り198アロハオエ199南国の夜200レッドリバーバァリー201
オールドブラックジョー202オオスザンナ203夢路より204峠の我が家205
雪山賛歌206聖者が町にやってくる207希望のささやき208旅愁209谷間の灯210
アンニーローリ211ロンドンデリーエアー212アイルランドの子守歌213
線路の仕事214アルプス一万尺215スワニー216なつかしき愛の歌217ピクニック218
気のいいアヒル219ワルツィング・マチルダ220故郷を離るる歌221埴生の宿222
私はドクトル223ローレライ224シューベルトの子守歌225野ばら226ぼだい樹227
よろこびの歌228ビヤ樽ポルカ229乾杯の歌230
調子をそろえてクリッククリッククリック231淡き灯232ママ恋人が欲しいの233
家路234禁じられた遊び235追憶236ラ・クカラーチャ237カミニート(小径)238
キエン・セラ239キサス・キサス・キサス240ある恋の物語241故郷の廃家242
サラスポンダ243クイカイマニマニ244山こそ我が家245オー・ブレネリ246
おお牧場は緑247娘さん248夜道を行く249百姓娘250かわいいあの娘251
ブンガワン・ソロ252アリラン253トラジ254イムジン河255草原情歌256
その他に、新曲プリントとフォークソングプリントがありました。
Re: 歌声喫茶 Prev: 522 / No: 523 [返信][削除]
投稿者:どれみのパパ 03/06/24 Tue 23:38:24
「うたごえ喫茶ともしび」懐かしいですね。
ただ、私の時代の大阪では確か「うたごえ喫茶こだま」?だったように記憶していますが。
カラオケボックスもなかった30年以上も前の私達の学生時代、
生のバンド(今の時代ではバンドといえるほどの編成ではありませんでしたが)をバックに
手軽に歌うことができる場はうたごえ喫茶しかありませんでした。
リクエストをしてみんなの前で歌いたくて何度も出かけたように記憶しています。
機会があったら「うたごえ喫茶ともしび」行ってみたいですね。
Re: 歌声 Prev: 526 / No: 527 [返信][削除]
投稿者:どれみのパパ 03/06/29 Sun 20:06:20
うたごえ喫茶「炎」が大阪にもあった時期があるのですね。
私は京都四条河原町?の「炎」へは行ったことがあるように記憶しています。
http://www2.aaacafe.ne.jp/free/doremi/main.bbs?i1=30
“ともしび”ネー・・・ 投稿者:TAN 投稿日: 2月23日(土)17時49分43秒
東京の“ともしび”、京都の“炎”、他にもいろんな歌声喫茶があったと聞いています。
20年前大学で歌声サークル(同朋大学うたごえフォーク集団“はらっぱ”)に入り
ギター片手にそこココで、ナターシャのナンバーやその他のいろいろな唄を歌っていました。
当時既に歌声喫茶はなくなっており、実際の歌声喫茶には縁がありませんでした。
http://www2.tcn.ne.jp/~kawaguti/kakokei0202.htm
37 :
接点は?:03/10/25 00:03 ID:???
>>1 1ですが、スレッドの趣旨により、
「想い出、記憶のかたすみ、何でも書いて下さい」
京都新京極「歌声ホール炎」「名司会者中山隆」「中山リーダー」
について、何か情報下さい。
炎へ行った年代と、コーヒーの値段とかでも貴重なデータです。
歌集の値段や、現在お持ちかどうか、など。
生前の中山リーダーが、「たまたま炎へ来て自殺を思いとどまった人が
数知れず。」と、実際の手紙を手に語っていた・・・。まさか、昔昔の
本人の書き込みも期待できないが・・・。
あの時代なりに苦しかったし、人は歌の力で生き延びる節目もくぐる。
現在に、もし活かせたら、ともに助け合いたい。
>>1 >>3
Re: 京都の「歌声ホール炎」中山隆さんを偲ぶ会 kenhappy - 2003/10/20(Mon) 23:04 No.351
こんばんわ!
懐かしいですね。「炎」
1973年だったでしょうか。「炎」のステージで
オリジナルソング「傷心からの旅立ち」歌わせていただき
ました。
その時の司会者がきっと「中山リーダー」だったのでしょうね!
もう30年も前のことですが、昨日のことのように覚えて
います。中山さんのやさしい声もいまだに心に残っています!
行くことはできませんが、遠く仙台から偲ばせていただきます!
http://www1.jp-net.ne.jp/0015/1014/kenhappy.html
-お好きな歌-: 遠い世界に
-コメント-: 今日(22日)最後のステージに家内と一緒にお邪魔しました中山と申
します。楽しい時間を過ごさせていただきました。
大学時代FORKSONGが好きでよく歌ったりしましたが今日は
何十年かぶりに「谷間の灯」を歌わせていただきました。なんとか
間違えずに歌うことができホッとしました。
40年代に歌声喫茶がいろいろありましたが残念ながら今はなくなっつ
ています。ぜひとも続けていただきたいと思います。
京都にも四条河原町に歌声喫茶「炎」がありました。今は木屋町で
頑張ってらっしゃいます。
今日は久しぶりに昔の雰囲気をおもいだしました。これからもよろしく
お願いします。
Saturday, April 22nd 2000 - 03:44:34 PM
http://plaza26.mbn.or.jp/~ikebe/raum/guestbook.htm
589. ご無沙汰でした 2002/05/10 (金) 21:36
久しぶりの例会でしたが、やっぱりあの雰囲気大好きです。
みんな、ちゃんと自分の意見が言えて、人の意見も聞けて・・・
益々、会は充実していくでしょうね。がんばってついていきます。
これからもよろしくお願いいたします。
チョットお遊びのご案内です。
1 懐かしの歌声喫茶・京都「炎」の再現
と き 5月23日(木)
pm2:00〜3:30(受付1:30)
ところ ホテルニューオウミ
2階 安土の間
会 費 3,000円(コーヒー又は紅茶&クッキー)
主 催 小さな文化を作る会
当時「炎」で歌手、指導者として活躍され、又、近江八幡市歌を歌
われた(レコードになっています)中山 隆氏に懐かしの歌声喫茶
を再現していただくそうです。青春を思い出し、おおいに歌い(歌
える方は)たのしみませんか?
http://hpmboard1.nifty.com/cgi-bin/bbs_by_date.cgi?user_id=ANA24312
48 :
名も無き音楽論客:03/10/29 01:10 ID:C9tAlzVo
●●●マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるのか?その2●●●
http://natto.2ch.net/mass/kako/988/988402795.html 848 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/05/24(木) 22:24
そういえば、トイレネタがあった人いたけど、私も盗聴(盗撮?)されていました。
マスコミ以外のある事情で、トイレで泣いていて、出る時には泣きやんでいたのですが、
それをそのまま、インターネットでお話に使った方がいました。
マスコミの人かどうかは、わかりません。
「泣いた後、何事もなかったように、トイレから出て・・・」という感じで書かれていました。
でも、証拠としては弱いですね・・・
799 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/05/24(木) 02:10
>798
「すべて盗聴被害者」とは一言も言ってないけど。
逆に「本人に問題があるから引きこもる」のがすべてではないだろう?ちがうか?
中には職場や学校などでの嫌がらせや脅迫、ストーカー、痴漢、
子供を使った嫌がらせなどが含まれるのではないか?理由もなくひきこもるか、ボケ。
803 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/05/24(木) 02:17
このスレッドにある盗聴による嫌がらせを否定する(ためにされた)発言と。
マスコミが報道する「ひこもり」に対するものの見方が酷似している。
49 :
スレ違い:03/10/29 01:22 ID:???
京都の「炎」の書き込みがありましたが、たいへん懐かしく見ま
した。私は昭和39年(1964年)まで、京都で学生の頃、幾度
か行った覚えがあります。
入口で歌集を(ドリンク・チケットも有ったように思いますが)
買い、中央の舞台を取り巻いているベンチに座って、ピアノ・アコ
ーディオン・ベースでしたか。その演奏を聴いていると、格好いい
美人(当時そう見えました、遠目でしたが・・・)が登場すると、
割れんばかりの拍手で、ロシア民謡あたりから大合唱の始まりです。
皆、吾を忘れてアンコールやリクエストを大声で、兎に角熱狂的
な雰囲気でした。
カラオケ全盛の今の時代でも、上手、下手、老いも若きも一緒に
なって、大きな声で合唱する。それも、電気を使わないアコーステ
ィックな楽器を伴奏に。それは通用すると思います。ヒーリング、
癒される、という言葉がぴったりです。
歌声喫茶「炎」名古屋版ができませんかねえ。
>>53 はアラシですので、
踏まないようにしてください。アダルトサイトへのリンクの
ようです。
◆あなたも歌声喫茶に参加しよう!◆
歌集を見ながらみんなで歌う、昭和30年代の懐かしい歌声喫茶の再現です。
歌の上手下手って関係ありません。みんなで楽しく歌いましょう。
懐かしいアコーデオンの演奏に乗ってソングリーダーと共に歌います。
◆「みんなで歌おう! 〜こうせい歌声ホール〜」
日 時: 11月3日(祝・月) 午後 2時30分〜4時
場 所: 甲西文化ホール JR 甲西駅から徒歩約7分
参加費: 無料
◆「みんなで歌おう!
2003年歌いおさめ〜出前喫茶in近江八幡〜」
日 時: 12月11日(木) 午後 3時〜4時30分
場 所: Cafe Dining Prema Prema(プレマプレマ)
*JR 近江八幡駅から徒歩約10分・近江八幡商工会議所1階
参加費: 1.500円 (ドリンク付き、税込み)
定員50人・ 要予約
お申し込み・問い合わせ
小さな文化を作る会 (近江八幡市桜宮町207-3、ブティック・Key内)
電話 (0748) 33−1064
ご意見やご感想などがありましたらメールをお寄せ下さい。
mailto:
[email protected] http://homepage2.nifty.com/oumi8/chiga/7evnt.htm
56 :
名も無き音楽論客:03/11/03 23:04 ID:FW8k63Hw
関西人で知らない人はいない、あの「浜村淳」が
学生時代(同志社)「炎」のリーダーを勤めていた!
との情報がありました。
以下のスレッドには、「大阪のジャズ喫茶」とあります。
昭和30年前後と思われますが、新京極が長かった「炎」も、
歌謡喫茶「ひばり」とか、大阪(神戸?)で営業した時代が
あった、という話(未確認)もあります。
●知っている人・・・・教えて下さい。
伝説をたどろう。炎の歴史を知りたーい・・・。
141 :: :03/05/31 21:07 ID:Z/GjfaWj
浜村淳、昭和10年1月10日 富山県氷見で生誕。
戦争中、産みの母が妹夫婦に真を預ける。その後産みの母は死亡。
昭和27年、京都府立山城高校から同志社大文学部に入学。
大学在学中に、大阪のジャズ喫茶で司会のバイトから芸能界入り。
その後上京、渡辺プロダクション→吉本興業で漫談→フリー
昭和41年 結婚
昭和48年 長男誕生
http://tv.2ch.net/test/read.cgi/am/1051759405
陣の助茶屋の思い出 (歌 中山 隆)
作者のプロフィール
http://junzos.hp.infoseek.co.jp/page002.html 名前 信楽 順三(しがらき じゅんぞう)
作曲家 ボイストレーナー ピアニスト オルガニスト
略歴 京都市生まれ 元ポリドールレコード専属作曲家
主な作曲作品
アメリカ橋 (歌 狩人) (奥山コウシン) (湖東美歌)
白い手紙(歌 菅原洋一)
陣の助茶屋の思い出 (歌 中山 隆)(なだ つかさ)
夢 /ブルーマンディブルース(歌 西田佐智子)
台北の夜 (歌 テレサ テン)
メロメロ東京 / 新宿ルリ子( 殿様キングス)
ビーナスの竪琴 / 夢の散歩道 (園 まり)
最果て港町(徳川一郎)
) 幻の町 (歌 愛川欣也)
星空のワルツ (歌 チャダ)
夕日の沈む頃がいちばん淋しい (歌 奥山 コウシン)
ぞうさん体操、/ ジャンジャラ星のサンバ(歌 堀 洵子)
ラリラリ東京(歌 アロハ ブラザース)
ミミの甘い生活(歌 沢 久美) 鉄道草(D,N,P)
その他の作曲作品 ニッポン放送のジングル TBS TVグーチョキパーの音楽
ハワイ放送の ジングル フジTV 釣り人ロマン
ラジオニッポン 日産ナマナマ、ステーション
社歌 店歌 CMイメージソング
1ですが・・・。
皆さま、有難うございます。
お蔭様で、11月10日現在、120名のお申し込みをいただき、
近く京都新聞でもご紹介いただく運びとなりました。
中山リーダーを偲ぶと同時に、私たちの昭和30年代、40年代を
ふりかえる集いとして、「歌声ホール炎」の歴史を刻む会となりそう
です。
日時:十一月十七日(月) 午後六時三十分より (受付五時三十分)
場所:京都パークホテル (東山七条 三十三間堂東隣) (075)525−3111
会費:一二、〇〇〇円
>>1
61 :
名も無き音楽論客:03/11/10 21:43 ID:rz6pSWap
僭越ながらお聞きしたいことがあります。炎の関連で『炎の歌』の他にそこでしか聞けなかった曲というものがあったら教えていただけないでしょうか?
>>61 61さま
カキコありがとうございます。1です。
>>32の歌集の中の最初の方のページは、「炎」オリジナル作品です。
炎の歌1
青春の炎14
春のスーベニール15
星に願いを16
もう一度17
アリンコの歌18
とんでけ19
から松の道20
もしもなれたら21
これ以外にも、従業員オリジナル曲はあったと思います。
また、
聖者が町にやってくる207の、超長時間ドラムソロタイムは毎日がオリジナル。
喜びも悲しみも幾歳月50では、リーダーのみならず手隙の従業員全員がステージ
に上がって、即席合唱(大学合唱団所属の従業員もいたし)。
何と言っても、あなたの歌声に合わせて、生バンドと数百人の合唱団つき
なのですから、同じ曲でも一期一会のオリジナル歌唱、オリジナル演奏でした。
30年以上経っても、「炎」で唄った曲を覚えている方がいらっしゃる事でも、
その感動の深さがわかります。
>>4,
>>6,
>>16,
>>17,
>>18,
>>31
63 :
KBS:03/11/11 20:27 ID:???
64 :
名も無き音楽論客:03/11/11 20:46 ID:CYVf36AL
>>63はあくまで私信ですのでここでは削除願います。
戴いた方は17日の忍ぶ会には出席なされるので何らかの形で皆様には提供なされると思います。
「京都新聞」に掲載されました
なつかしの歌声再び
喫茶「炎」しのぶ会、17日に
昭和30年代から50年にかけて多くの若者が集った京都市下京区の
歌声喫茶「炎」の店主で、今年9月に亡くなった中山隆さんをしのんで、
かつての常連客やアルバイト学生たちが17日、当時の店の雰囲気を再
現して合唱したり、中山さんの思い出を語り合う会を東山区の京都パー
クホテルで開く。「『炎』の時代をなつかしむ人に、大勢来てほしい」
と呼びかけている。
炎は、1957年に下京区寺町通四条下ルに開店。全国から集まった
会社員や学生たちが集い、中山さんをリーダーにロシア民謡や当時の流
行歌を声を合わせて歌った。4年間の休業を経て、65年に近くに移転
して再オープンしたものの、時代の流れでかつての活気が徐々に薄れ、
75年に歴史を閉じた。
中山さんはその後、中京区で飲食店を営んでいたが、9月に72歳で
亡くなった。中山さんをしのぶ会は、高校時代から炎に通っていたとい
う飲食店「山とみ」経営の柴田京子さん(61)=中京区=を中心に、中山
さんと親しかった人たちが企画した。
当日は、有志がバンド演奏を務め、「青い山脈」や「トロイカ」など
を歌い、かつての雰囲気を再現するほか、当時の写真をスライド上映し
て炎の歴史を振り返る。午後6時半からで、会費は1万2000円。
申し込みは15日までに「山とみ」Tel:075(221)3268。
写真=大勢の若者たちでにぎわった歌声喫茶「炎」(1970年ごろ、
京都市下京区)
2003年11月11日刊
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2003nov/11/W20031111MWE1K100000066.html
67 :
名も無き音楽論客:03/11/13 22:35 ID:eewD0UCU
炎の歌集って手に入るんでしょうか?
譜面付きのやつ
68 :
炎の歌集:03/11/15 13:45 ID:???
炎の歌集、譜面があったのは表紙裏の「炎の歌」1曲だったと思います。
ただ、その後複数の歌集を使っていた時代があったと聞いていますので、
ひょっとして、譜面つき歌集があったのかも知れませんが・・。
70 :
世代:03/11/18 18:51 ID:???
「炎」はたしか一回しか行った記憶がありませんが、懐かしい場所です。
みなさんがお集まりになる機会が追悼会。そういう世代になってきました。
有田芳生
>>1 1ですが、「歌声ホール炎」の中山隆さんを偲ぶ会は、160名様
の参加を得て、京都パークホテル・バッキンガムの間で盛会にて開催
できました。主催していただいた呼びかけ人の皆さま、参加者の皆様、
ありがとうございました。
二次会(京都先斗町17番ロージ(露地)のスナック炎、現在も、
中山隆さんの弟さんが運営。075−255−1832)も盛況で、
皆さん昭和30年代40年代に浸りきっていらっしゃいました。
72 :
M:03/11/20 22:06 ID:Wh60vuZJ
是非スナック炎にいかせて戴きたいと思いますが、お店の様子(規模等)教えて
いただければ幸いです。
73 :
M:03/11/20 22:08 ID:Wh60vuZJ
是非スナック炎にいかせて戴きたいと思いますが、お店の様子(規模等)教えて
いただければ幸いです。
74 :
名も無き音楽論客:03/11/21 18:16 ID:DnZwXy1z
スナック炎の所在地は?
京都の四条河原町(京都の繁華街の中心地)交差点から、
東、加茂川方向へ向かい、高瀬川・木屋町通りを越えると、
先斗町(加茂川のすぐ西の通り)を北へ上がる。
右に「山とみ」さんを過ぎて100メートルほど、17
番ロージの角左側の2階にあります。先斗町の左に看板が
出ています。
店内は、山小屋風の内装で、20人くらいまで。
テープ、ビデオなどがあり、「炎」「中山隆を偲ぶ会」事務局
にするというのは、まだ私案の段階ですが・・・・。
雰囲気は、訪問されたグループのリクエスト次第で如何様にも。
郵便物は、先斗町「炎」でも、先斗町17番露地「炎」でも
充分届きます。
京都先斗町17番ロージ(露地)のスナック炎、現在も、
中山隆さんの弟さんが運営。075−255−1832
2003年11月17日、京都パークホテルでの
京都の「歌声ホール」中山隆さんを偲ぶ会では、
前半1時間半で、ご出席の皆さんから故人の想い
出を語っていただき、録音・スライド・ビデオな
ども上映されました。
故人の好んだバラの花にちなんでOB夫妻が
「百万本のバラ」をギター伴奏とデュエット。
後半の1時間半で演奏を予定したのは以下の
曲目ですが、この内15〜20曲演奏したと思い
ます。
炎の歌、青い山脈、あざみのうた、五木の子守唄、踊子、学生時代、風、希望、
ゴンドラの歌、四季の歌、白い花の咲く頃、月の沙漠、波浮の港、琵琶湖周航の歌、
ふるさと、水色のワルツ、友よ、長崎の鐘、ともしび、草原情歌、山小屋の灯火、
喜びも悲しみも幾歳月、忘れな草をあなたに、雪山賛歌、カチューシャ、
トロイカ、囚人の歌、娘さん
詳細は後日・・・・。
>>79 Iwakichskyさま。1です。
楽譜入手の段取りを進めています。今しばらくお待ちください。
なお、1974年版の「小さな京都57」もオリジナル曲です。
81 :
名も無き音楽論客:03/11/24 12:53 ID:H9YISUy+
CDなんかも、オリジナルの曲風が判る皆様で作って下されば後世に残るのではと思います。
炎の時も譜面だけでは伝わってこないものがあると痛感しました。
1971年の十五周年記念公演のパンフレットより。
日付出来事
昭和32年12月14日炎誕生
昭和36年6月26日炎閉鎖
昭和40年2月14日炎再開
昭和40年2月24日京都新聞社よりインタビューに来店
昭和40年2月28日KBSへの録音
昭和40年3月1日作曲家(エレクトーン奏者)高橋一男さん来店”春のスーベニール”
昭和40年4月7日メリーフレームス再結成
昭和40年4月9日フォノシート発売(炎の歌、喜びも悲しみも幾年月、忘れな草を貴方に)
昭和40年5月13日エレクトーン入荷
昭和40年6月22日高橋一男さん来店(エレクトーン演奏)
昭和40年8月1日指笛の田村大三さん来店
昭和40年8月21日新歌集bQ発売
昭和40年8月22日”母さんの歌”作曲者、窪田聰さん来店
昭和40年10月6日本日より閉店が10時になった
昭和40年10月10日中山、浦辻両氏京都市主催スポーツの日、”オリンピック記念行事”に出演
昭和40年12月11日開店記念行事
昭和40年12月26日クリスマスキャンドルサービス
昭和41年1月21日作曲家大野正雄氏来店
昭和41年1月25日ステージ改装出来上る
昭和41年2月4日ドラムセット設置
昭和41年2月9日ベース初演奏
昭和41年2月20日四回生卒業式影田武道君退店、グリー指揮者福永陽一郎氏来店
昭和41年2月25日ステージ照明出来る
昭和41年3月21日新歌集発表
昭和41年5月12日バスツアー(奈良方面)
昭和41年8月2日藤山一男オリジナル”アリンコの歌”発表
昭和41年8月5日”炎の歌”作曲者林二郎氏来店
昭和41年8月28日サマーツアー(紅葉パラダイス)
昭和41年12月23日クリスマスキャンドルサービス(二五日まで)
昭和41年12月26日店内で初めてのフォークダンス
昭和42年1月20日ヤングミュージックより取材に来店
昭和42年2月10日お客様より”白樺の木”がとどく(北海道より)
昭和42年2月14日再開二周年記念
昭和42年3月18日西川きよし来店
昭和42年3月19日”ボン・ハヤト””やすし・きよし”さん等来店
昭和42年4月9日横山やすし・西川きよしさん来店
昭和42年4月20日絵ハガキ出来上る
昭和42年4月21日絵ハガキ本日より発売
昭和42年5月22日西川きよし氏、ピンカラトリオの皆さん来店
昭和42年6月3日バースデーコーナー本日からもうける
昭和42年6月6日クラウンレコード専属「ドウディーランブラーズ」出演
昭和42年6月25日バスツアー(雨天決行)
昭和42年6月27日ピンカラトリオ出演
昭和42年7月8日東海テレビ取材のため来店
昭和42年7月14日朝日TV、AM11:55〜12くらしの泉放映
昭和42年7月16日愛田健二、浅田憲司両氏来店
昭和42年8月7日ミノルフォンレコード専属”平泉保さん”
昭和42年8月8日日刊スポーツより、バスツアー記事取材のため来店
昭和42年9月8日ロシア文豪”コンスタンチン・シーモフ”夫妻来店
昭和42年10月3日労働基準局婦人少年室長来店
昭和42年10月21日朝日新聞に炎の記事が出る(修学旅行の件)
昭和42年12月23日キャンドルサービス(25日まで)
昭和42年12月24日ハープ奏者雨田光三氏来店”庭の千草”
昭和43年2月8日演奏京都新聞取材(13日夕刊)
昭和43年2月12日愛田健二氏来店
昭和43年2月24日再開三周年記念
昭和43年3月6日オリジナル発表”もしもなれたら”
昭和43年3月9日近畿放送”ブラボーウィークエンド”生中継PM7時〜8時:30
昭和43年3月14日俳優吉田義夫氏来店
昭和43年5月24日フォークソング新メンバーで結成(伊藤、太田、谷口、井戸)
昭和43年6月12日10周年記念公演於勤労会館(会場契約)
昭和43年6月20日愛田健二氏来店
昭和43年8月30日コロムビアレコード専属”スケルトンズ”来店
昭和43年9月1日西川きよし氏来店
昭和43年9月22日フォーククルセダーズ端田宣彦君来店
昭和43年10月2日西川きよしさん来店
昭和43年10月17日炎十周年記念公演チケット本日より発売
昭和43年12月15日炎十周年記念公演(勤労会館にて)
昭和43年12月23日クリスマスキャンドルサービス(25まで)
昭和44年1月18日西川きよしさん来店
昭和44年2月7日KBS近畿放送「京都午後九時」の生中継放送(当ホールより)
昭和44年2月17日道頓堀うたごえ”ふるさと”社長来店
昭和44年3月2日四回生卒業式、愛田健二来店
福井悖泰、藤山一男、原田真道
昭和44年3月2日中山、浦辻「万国博の歌」歌唱指導に出演
昭和44年4月3日愛田健二さん来店、浦辻進郷土の歌、わらべ唄、
エレクトーン伴奏京都会館
昭和44年4月24日クラウンレコード専属”有馬竜之介”(紅浩二)さん来店
昭和44年4月27日西川きよしさん来店
昭和44年4月28日東映”宮内洋さん”来店
昭和44年5月17日クラウンレコード専属”有馬竜之介”(紅浩二)さん来店
昭和44年5月18日クラウンレコード”有馬竜之介”さん来店
昭和44年5月22日西川きよし氏、坂田利夫さん来店
昭和44年5月27日坂田利夫さん来店
昭和44年5月28日西川きよし氏、坂田利夫さん来店
昭和44年5月31日リーダー中山隆”梅田花月”「第一回やすしきよしリサイタル」司会
昭和44年6月8日中田カウス・ボタンさん来演
昭和44年6月11日西川きよしさん来店
昭和44年6月16日クラウンレコード専属”有馬竜之介”(紅浩二)氏来店
昭和44年6月22日中山隆紅葉パラダイスプール開き司会出演
昭和44年7月3日中田カウスさん来店
昭和44年7月11日オーストラリアのライオンズクラブ一行来店
昭和44年7月13日KBS近畿放送「市民音楽祭」パリ祭特集中山隆、浦辻進、伊藤成道、太田哲郎テレビ出演
昭和44年7月16日有馬竜之介(紅浩二)さん、平泉保さん来店
昭和44年7月16日中山隆シルクホール出演、愛田健二、高田恭子ショー司会
昭和44年7月17日愛田健二さん来店
昭和44年7月18日柏ちえ子さん来店
昭和44年7月22日西川きよしさん来店
昭和44年7月30日オリジナルプリント出来る(仲間、もう一度、もしもなれたら、落松の道)
昭和44年8月16日中田カウスさん来店
昭和44年8月31日西川きよしさん来店
昭和44年9月10日笑福亭仁鶴さん来店
昭和44年9月29日有馬竜之介(紅浩二)さん来店
昭和44年10月4日中田カウスさん来店
昭和44年10月17日柏ちえ子さん来店
昭和44年10月21日西川きよしさん来店
昭和44年10月28日クラウンレコード京しげきさん来店
昭和44年10月31日歌声”こだま”の専務、リーダー来店
昭和44年11月26日中田カウスさん来店
昭和44年11月27日コメディーbP坂田利夫さん来店
昭和44年12月14日柏ちえ子さん来店
昭和44年12月18日西川きよしさん来店
昭和44年12月23日クリスマスキャンドルサービス(25日まで)
昭和44年12月24日中田カウスボタンさん、有馬竜之介(紅浩二)さん来演
昭和45年1月2日クラウンレコード”京しげき”さん来演
昭和45年1月13日クラウンレコード有馬竜之介(紅浩二)さん来演
昭和45年1月13日テイチクレコード平泉保さん来演
昭和45年1月22日オリジナル”愛する人へ”発表(谷口君)
昭和45年1月26日音楽評論家”中川牧三”さん来店
昭和45年2月8日西川きよしさん来店
昭和45年3月1日炎四回生、東英達卒業式
昭和45年4月18日本日より新しいスピーカー使用
昭和45年5月10日嵐山にて(亀山公演)フォークダンス大会
昭和45年5月12日中田カウスさん来店
昭和45年5月19日KBS近畿テレビ出演(市民音楽祭)中山隆、浦辻進、伊藤成道、橋本裕司
昭和45年5月19日放映は二十七日PM7:30
昭和45年6月7日西川きよしさん来店
昭和45年6月11日本日より新しきエレクトーンはいる
昭和45年6月30日作曲家”信楽さん”来店
昭和45年7月7日東映スター宮内洋さん来店
昭和45年7月12日東京歌声喫茶”こだま”社長来店
昭和45年7月24日西川きよしさん中田ボタンさん来店
昭和45年8月20日バースデーコーナー、ポラロイドカメラ使用
昭和45年9月13日大映新人熱田洋子さん来店
昭和45年9月14日本日より呈茶券二百円になる
昭和45年10月5日作曲家信楽さん、大映女優熱田洋子さん来店
昭和45年10月21日記念品のアルバム出来る
昭和45年11月2日ノートルダム女子大文化祭出演、中山隆、伊藤成道、浦辻進、橋本裕司
昭和45年11月12日入口のテント完成
昭和45年11月23日西川きよしさん来店
昭和45年11月25日愛田健二さん来店
昭和45年11月28日作曲家信楽さん来店
昭和45年11月29日室内改装
昭和45年12月3日西川きよしさん来店
昭和45年12月14日炎開店十三周年記念
昭和45年12月20日信楽潤さん来店
昭和45年12月23日クリスマスキャンドルサービス(25日まで)
昭和46年1月23日NETヤング720、炎内部写真放映
昭和46年1月28日奈良女子大学長来店
昭和46年1月29日丸玉観光KK四十周年記念式典リハーサル出席
昭和46年2月23日熱田洋子さん来店
昭和46年3月7日炎、伊藤成道、谷口浩朗、武川孝治、四回生卒業式
昭和46年3月24日東芝レコード”古城たかしとブルータジュ”来店
昭和46年4月2日西川きよしさん来店
昭和46年4月4日坂田利夫さん、西川きよしさん来店
昭和46年4月6日西川きよしさん、コメディーbP来店
昭和46年4月27日中田カウス・ボタンさん来店
昭和46年5月22日大映女優熱田洋子さん来店
昭和46年7月7日大阪道頓堀歌声喫茶”ふるさと”社長来店
昭和46年7月8日大映女優熱田洋子さん来店
昭和46年7月19日コメディーbP、吉本ひできさん(声帯模写)林家小染さん来店
昭和46年7月28日大阪歌声”ふるさと”社長来店
昭和46年8月13日ポリドール愛田健二さん来店
昭和46年8月14日作曲家信楽潤さん来店
昭和46年8月18日中田カウスさん来店
昭和46年8月29日大映熱田洋子さん来店
昭和46年11月2日カウスボタンさん・東映スター宮内洋さん来店
昭和46年11月5日近畿放送柏チエ子さん来店
昭和46年11月10日東映スター宮内洋さん来店
昭和46年12月23日クリスマスキャンドルサービス(25日まで)
昭和46年12月26日中山隆、浦辻進、岡田益雄、萩尾博史ハワイ旅行に出発
昭和47年1月2日歌い初め、大映女優熱田洋子さん来店
昭和47年3月26日東芝片山知子さん来店
昭和47年4月1日ポリドールなだつかささん、ビクターRCAレコードいぬいゆみさん来店
昭和47年4月2日なだつかささん来店、片山知子さん来店
昭和47年4月14日東芝片山知子さん来店
昭和47年4月16日なだつかささん来店
昭和47年4月17日片山知子さん来店
昭和47年4月21日西川きよしヘレン御夫妻、片山知子さん来店
昭和47年4月30日東映スター宮内洋さん、片山知子さん来店
昭和47年5月2日東映スター宮内洋さん
昭和47年5月3日片山知子さん来店
昭和47年5月4日コメディーbP来店
昭和47年5月7日なだつかささん来店
昭和47年5月12日近畿放送柏ちえこさん来店
昭和47年5月19日ビクター久保浩さん・ポリドールなだつかささん来演
昭和47年5月21日ポリドール炎メンバーの第一回ボーリング大会
昭和47年6月3日クラウンレコード”メチャ&ペチャ”来演
昭和47年6月10日フォーク・グループ”火の鳥”来演
昭和47年6月11日なだつかささん来店
昭和47年6月12日クラウンレコード”メチャ&ペチャ”来演
昭和47年7月1日フォーク・グループ”火の鳥”来演
昭和47年7月2日なだつかささん来店
昭和47年7月3日コメディーbP前田五郎さん来店
昭和47年7月6日東芝片山知子さん、フォーク・グループ”あのねのね”来演
昭和47年8月6日フォーク・グループ”火の鳥”来演
昭和47年8月15日仙台歌声”若人”マネージャー来店
昭和47年8月19日フォーク・グループ”火の鳥”来演
昭和47年8月20日フォーク・グループ”あのねのね”来演
昭和47年9月10日はしだのりひことエンドレス”青いペチカ”、”火の鳥”来演
昭和47年9月13日本日より十五周年記念公演のチケット発売
昭和47年9月15日”麻恵一とシェルブール”来演
昭和47年9月17日近畿放送柏チエ子さん、麻恵一とシェルブール来演
昭和47年9月23日コロムビア”ジュン池内”さん来演
昭和47年9月28日ビクターいぬいゆみさん来演
昭和47年10月6日フォークグループ”ララバイ”来演
昭和47年10月7日”青いペチカ”来演
昭和47年10月8日漫才中田カウスボタンさん来演
昭和47年10月13日ビクター「さよなら」の柘植章子さん来演
昭和47年10月22日フォークグループ”あのねのね”来演
昭和47年10月29日フォークグループ”火の鳥”、”ララバイ”来演
昭和47年10月30日十五周年記念公演シール完成、OBポリドール作曲家信楽潤さん来店
昭和47年11月5日コロムビア”ジュン池内”さん来演
http://bbsi2.otd.co.jp/243305/bbs_plain?base=2985&range=1#2985 2003/10/15(Wed) 09:37
2985 徹子の部屋に…… お名前:みっちゃん
レトロブームと言うわけではないですが、先日「内藤洋子」さんが出演されていましたね。
連続して出演のようでしたが、私は最終日だけしか見られませんでした。
娘さんが北嶋舞さんということですが、今でもとてもお若くてきれいな方でしたね。
少し前のMKPで、某乙氏会長が『白馬のルンナ』を歌ったのを思い出しました。
>年代的な関係で歌声喫茶は知りませんけど(^-^;
それって、健太の年代ではまだ歌声喫茶は出来てなかったってこと???(^^;;
私も、歌声喫茶って名前は知ってるけど実際には行ったことがないので調べてみましたが……
>「歌声喫茶」は、団塊の世代のみなさんにとり、まさに、青春の思い出と思います。
>「歌声喫茶」は、1950年代に東京の新宿から始まり、多くの若者を取り込んで、歌声の輪は、
>全国に広がっていきました。
>東京を中心に、全国で、100軒を越える「歌声喫茶」が現われました。
>その頃の日本は、高度経済成長期に当たり、働く仲間たちの集う場所として、この「歌声喫茶」
>が生まれたとも言えます。
>アコーディオンを伴奏に、知らない者同士が肩を組み、声を張り上げ、歌いました。
>集団就職で都市に出てきた者にとり、「歌声喫茶」は、心を休める場でもあったのです。
>歌われた曲は、ロシア民謡をはじめとして、世界中の国々の民謡が、そして、反戦歌も労働歌
>もありました。
>この時、コーヒーが1杯100円でした。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/douyou-syouka/11theme/utagoe/utagoe.htm 歌のリストを見てみると
懐かしいインドネシア民謡の「可愛いあの娘」もあり、更に調べてみると梶光夫(1965年)さんと
奈良富士子(1973年)さんという方が歌ってらっしゃるんですね。時期が20年くらい違うけど……。
http://bbsi2.otd.co.jp/243305/bbs_plain?base=2990&range=1#2990 男性 会社員 55歳 O型 2003/10/16(Thu) 23:42
2990 Re:歌声喫茶 お名前:オーキー
>「歌声喫茶」は、団塊の世代のみなさんにとり、まさに、青春の思い出と思います。
1950年代に東京の新宿から始まり、多くの若者を取り込んで、歌声の輪は、全国に広がっていきました。
>その頃の日本は、高度経済成長期に当たり、働く仲間たちの集う場所として、
この「歌声喫茶」が生まれたとも言えます。
> アコーディオンを伴奏に、知らない者同士が肩を組み、声を張り上げ、歌いました。
私が大学に入学した1966年、
生まれて初めて行った歌声喫茶は京都・四条河原町の「炎(ほのお)」という店でした。中央にアコーデオンを弾く人がいて、その人に向かって、みんなでロシア民謡とか、中学・高校で習った歌を歌っていたような記憶があります。
♪立て飢えたる者よ、いまぞ日は近し〜♪と歌う労働歌「インタナショナル」も、その店で聞いたのが初めてです。そのときもらった歌本が、
たしかとってあったと思いますが、捜してもみつかりません。
見つかったら、どんな歌が載っているかまたお話しします。
でも、1966年というのはもう歌声喫茶ブームは終わりかけで、その後私は一度行ったきりです。
そのころから若者がギターを持ってPP&Mや
キングストン・トリオのモダン・フォークを歌うようになり、もうアコーデオンの伴奏は必要なくなったからてしょう。
だから、歌声喫茶は、われわれ団塊の世代というよりも、もう少し上の世代の方の思い出の場所だと思います。
age
あぼーん
今だ!100ゲットォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
101 :
藤山 一男:03/12/14 23:51 ID:lgKoSnI/
京都の歌声ホール「炎」に昭和40年から44年までアルバイトをしておりました藤山一男です。
先日の「中山隆さんを偲ぶ会」、いろんな方のご協力で無事、盛会裏に終える事が出来ました。
発起人の一人としまして心より感謝致します。
11月11日の京都新聞の記事は新聞上では故中山隆さんが写っておられなかったのですが、
京都新聞のホームページの中には写っています。
当時のことをご存知の方のために写真のメンバーを書いておきます。
左端が故中山隆さん、正面のマイクの左で中央を向いているのが20歳頃の私、藤山です。
その右隣が去年まで京都パークホテルの支配人をされていた山田さん、
その隣の女性が北海道出身で美声のシーちゃん、次が寺の息子で現在九州でオベラ歌手を
している蓮井君、右端が通称クロと呼ばれていた福井さんです。
記事には1970年頃と書いてありますが、私より2学年上の山田さんがおられるので多分
1966〜7年(昭和41〜2年)頃の写真だと思います。
ちなみに私は現在も音楽を仕事としておりまして、このところは夭折の童謡詩人「金子みすゞ」
さんの詩に曲を付け、CD「金子みすゞ こころの世界」を出したり、全国いろんなところで
コンサートをしています。
>>99 99 :あぼーん :あぼーん
あぼーん
削除いただき、有難うございました。
107 :
名も無き音楽論客:04/02/16 00:15 ID:EoBG9DNn
もと「炎」でアルバイトをしておりました藤山一男です。
久々にこのページが開いていましたので、書き込ませていただきました。
昨年、歌声ホール炎「中山隆さんを偲ぶ会」の呼びかけ人の代表をして
頂きました柴田京子さんのお店、先斗町の「山とみ」さんの40周年の会が
2月16日(月)午後6時より京都パークホテルで行われます。
「山とみ」さんは開店された当時から中山さんとは親しく、
私も「炎」のアルバイト時代の昭和40年頃に初めて連れて行って頂いてからの
お付き合いですから、ほぼ40年のお付き合いになります。
当日はお祝いの気持ちをで演奏をさせて頂きます。
108 :
山とみ40周年の会:04/02/16 00:19 ID:I6n3PkPW
もと「炎」でアルバイトをしておりました藤山一男です。
久々にこのページが開いていましたので、書き込ませていただきました。
昨年、歌声ホール炎「中山隆さんを偲ぶ会」の呼びかけ人の代表をして
頂きました柴田京子さんのお店、先斗町の「山とみ」さんの40周年の会が
2月16日(月)午後6時より京都パークホテルで行われます。
「山とみ」さんは開店された当時から中山隆さんとは親しく、
私も「炎」のアルバイト時代の昭和40年頃に初めて連れて行って頂いてからの
お付き合いですから、ほぼ40年のお付き合いになります。
当日はお祝いの気持ちをで演奏をさせて頂きます。
109 :
山とみ40周年の会:04/02/16 00:20 ID:TdcT0ZyD
もと「炎」でアルバイトをしておりました藤山一男です。
久々にこのページが開いていましたので、書き込ませていただきました。
昨年、歌声ホール炎「中山隆さんを偲ぶ会」の呼びかけ人の代表をして
頂きました柴田京子さんのお店、先斗町の「山とみ」さんの40周年の会が
2月16日(月)午後6時より京都パークホテルで行われます。
「山とみ」さんは開店された当時から中山隆さんとは親しく、
私も「炎」のアルバイト時代の昭和40年頃に初めて連れて行って頂いてからの
お付き合いですから、ほぼ40年のお付き合いになります。
当日はお祝いの気持ちをで演奏をさせて頂きます。
えっ、お亡くなりになられたのですか! たまたまこのスレを見付けて驚きました。
私は若者なのですが、2,3年前、酒の席で出会った年配の方になかば無理やり連れられて行き、「時代遅れ」を歌わせて頂きました。
中山さんの唄声もお聴かせ頂き、お名刺も頂きました。歴史を感じさせる良いお店だと思いました。
中山さんのお名前で検索し、この掲示板を見つけました。
福岡在住の喜島と申します。48歳です。
昨年の偲ぶ会には仕事で残念ながら出席できませんでした。
私は、昭和50年の2月頃に入店し、それこそ中山さんの指導の下、リーダーとして炎の最後のステージに立たせていただきました。
当時は、閉店後ボイストレーニングをしていただき、それが終わるとよく飲みに連れて行って貰ったりしたものです。
それから、接遇マナーなども厳しく教えられました。
当時の時間給は280円でしたが(ちなみに喫茶店の時給は450円〜500円程度だったと思います)、音楽をやりながらバイトできるのは夢のようでしたね。
閉店後は、一緒に歌っていた河村陽子さん(名前間違ってないですよね?)と共に大阪のこだまに移りました。
私にとっては、その後の人生において、この炎での僅か1年足らずの期間に見聞きしたことが少なからず影響していると思います。
当時のお店には、浦辻さん、萩尾さん、谷村さん、太川さん、高橋さん、内田さん、瀬戸さん、などなど、他にも沢山先輩がおられました。
懐かしいですね…。
皆さんの近況など知りたいものです。
中山さんがいらっしゃれば、あるいは同窓会があったかもしれませんが、どうもそれも叶わぬ夢となってしまいました。
中山さんのご冥福を心からお祈りいたします。
再びやってきました。喜島と申します。
その後の書き込みがありませんので、見ていただいた方も殆どいないということかもしれませんね。
春、卒業の季節、学生街京都では、いたるところで別れ、そして新たな旅立ちがあるのでしょう。
つい、自分のその頃を思い出してしまいました。
炎の手風琴さん、どうも初めまして。
「手風琴」ってどう読むのでしょうか?
この掲示板のトップにお名前がありましたが、いつも何とお読みするのか気になってました。
えーっと、瀬戸さんが昭和44年頃にいらっしゃったのかはよく承知しておりません。
下のお名前を思い出せないのですが、私よりも5〜6歳ほど年上の女性で、とても清楚な方でした。
福井県出身だったと思います。(実は19歳の私の憧れの人でした)
中山さんには、山とみにもよく連れて行ってもらいました。
初めて先斗町に行ったのも、本物の京都弁を聞いたのも山とみでした。
都はるみ似のおかみさんがとても印象的だった記憶があります。
確か、今回の偲ぶ会も発起人であったとか…。
中山さんが先斗町に開かれた「スナック炎」には2〜3度行きました。
その時も「歌が下手なのは変わらへんなぁ(笑)」なんて言われておりました。
>>115 喜島さま
>「手風琴」ってどう読むのでしょうか
>いつも何とお読みするのか気になってました。
気にさせて、相すみません。
読みは(てふうきん)で、歌声喫茶に不可欠の
アコーディオンの事です。戦時中、横文字禁止の時代には
漢字で「手風琴」しか使えなかった、との事です。
117 :
藤山一男:04/05/12 02:22 ID:OXOXp/g7
久し振りにこのページを訪問しました。
喜島さんは私共よりかなりお若いので存じませんが、
私は昭和44年卒業後も時々「炎」へお邪魔していまして、
その後、祇園で店をやっていましたこともありますので瀬戸さん萩尾さんには
何回かお会いした記憶があります。
福岡というと私の1〜2年後輩で蓮井さんという福岡出身の方が当時(昭和43
〜7年?)おられました。
彼は実家がお寺で龍谷大だったか大谷大のグリーだったようですが、
「炎」でもたまにピアノも弾いていたリーダーでした。
現在もオペラ歌手として頑張っているようです。
彼の弟さんが僧侶でたまたま私の店に来られたのがきっかけで、
確か今年の初めだったとおもいますが私の店に直接電話をしてきてくれました。
浦辻さんの件ですが、歌声ホール「炎」閉鎖のあと長い間祇園で
「うらつ地」という素敵なピアノバーをされていました。
私も大きい婚礼の仕事などではよくお願いして一緒に行ってもらっていました。
ところが残念ながらこの1〜2年前にご病気になられ現在は車椅子生活で
只今リハビリ中です。早くお元気になって頂きたいものです。
浦辻さんの妹さんは祇園で「スナック加寿代」というお店をされていますので、
近況などはそこで聞く事ができます。
「山とみ」の女将さんは相変わらずお元気なのですが、最近は娘さんもお店に
でておられ当時の女将さんそっくりになっておられます。
また時々書き込みさせて頂きます。
118 :
炎の手風琴:04/05/30 12:08 ID:V9oQwp02
「歌声ホール炎」のOBの方の情報がありました。
紀ノ川・青春の歌声喫茶
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/kojima.html Shimadaさん(黒の帽子)
京都の炎で活躍してましたが、今は和歌山で
歌声レパートリーは
・フォーク
・唱歌
・シャンソン
約30人のお客さん〜ほとんどが常連さんです、が「ともしび歌集」を見ながら
大きな声で歌ってます。
お客さんの層の関係で、いわゆるうたごえ系の歌は取り上げられてませんが、
平均年齢60〜65歳のお客さんにとって、フォークの方が現役時代の思い出
のメロディーとして、歌って楽しいのでしょう。
OB情報がありましたら、ジャンジャンこのスレへカキコでご提供下さい。
京都では、三条から四条の鴨川べりに納涼床が出来ている頃でしょう。
なつかしい。
120 :
きじま:04/08/24 22:19 ID:sOMqLEAl
上げときます。
121 :
名も無き音楽論客:04/08/24 22:31 ID:6vOUn4QW
貴島君お元気そうで何よりです。
偶然この掲示板にたどり着き、中山先生がお亡くなりになったこと、
浦辻先生がご病気であることを知りました。
学生時代、大変お世話になりましたが、何のお返しもできておりません。
時間に対する無常観でいっぱいになり、30年前に心がスリップしました。
123 :
炎の手風琴:04/09/10 20:00:46 ID:QevZCxLm
124 :
炎の手風琴:04/10/03 10:52:37 ID:eAQAPbS3
125 :
炎の手風琴:04/12/20 00:14:29 ID:LPjXEvVE
126 :
藤山一男:05/02/13 03:07:19 ID:FS3yohi9
以前にも書き込みをしていますが、
小生昭和44年(1969年)の「炎」卒業生です。
2月より毎月、最終土曜日の深夜に京都のFM局で
私共がパーソナリティーで番組をすることになりました。
毎回、昔の懐かしい曲も歌ってゆきます。
多分皆さんおやすみの時間だとおもいますが、
京都の方で機会があれば聞いてみてください。
☆京都三条「ラジオカフェ」 79.7Mhz
☆番組タイトルは
”藤山一男、由美の「金子みすゞの世界」”
☆初回は2月26日(土)26時〜26時30分(深夜2時〜2時半)
☆一応京都市内全域をカバーしています。
☆ラジオカフェ番組紹介サイト↓
http://www.radiocafe.jp/timetable/index.html
127 :
藤山一男:05/02/13 03:08:32 ID:FS3yohi9
以前にも書き込みをしていますが、
小生昭和44年(1969年)の「炎」卒業生です。
2月より毎月、最終土曜日の深夜に京都のFM局で
私共がパーソナリティーで番組をすることになりました。
毎回、昔の懐かしい曲も歌ってゆきます。
多分皆さんおやすみの時間だとおもいますが、
京都の方で機会があれば聞いてみてください。
☆京都三条「ラジオカフェ」 79.7Mhz
☆番組タイトルは
”藤山一男、由美の「金子みすゞの世界」”
☆初回は2月26日(土)26時〜26時30分(深夜2時〜2時半)
☆一応京都市内全域をカバーしています。
☆ラジオカフェ番組紹介サイト↓
http://www.radiocafe.jp/timetable/index.html
128 :
名も無き音楽論客:2005/04/06(水) 15:43:34 ID:Ka+m8aHq
「炎の歌」を作詞した有本庸夫です。
ルル夫・中山隆さんのご逝去も存じ上げないで
おりました。心からご冥福をお祈りいたします。
何気なく検索した「歌声喫茶 炎」が私をここ
へ連れてきてくれました。しかし何を書いたら
よいものか戸惑うばかり、まるで郷愁の荒野に
突然放り出されたような気分です。
この書込みが「炎」を、そしてあの頃をご存知
の方のお眼に触れましたら、どうぞ「隠れうた
ごえ」の仮面を脱いで、何でも結構ですからお
手とお声を上げてくださいませんか。
ちょうどあの日のリクエストのように……。
129 :
名も無き音楽論客:2005/04/06(水) 15:45:19 ID:Ka+m8aHq
「炎の歌」を作詞した有本庸夫です。
ルル夫・中山隆さんのご逝去も存じ上げないで
おりました。心からご冥福をお祈りいたします。
何気なく検索した「歌声喫茶 炎」が私をここ
へ連れてきてくれました。しかし何を書いたら
よいものか戸惑うばかり、まるで郷愁の荒野に
突然放り出されたような気分です。
この書込みが「炎」を、そしてあの頃をご存知
の方のお眼に触れましたら、どうぞ「隠れうた
ごえ」の仮面を脱いで、何でも結構ですからお
手とお声を上げてくださいませんか。
ちょうどあの日のリクエストのように……。
130 :
アコーディオンの出前:2005/05/03(火) 15:43:20 ID:mtfmAipp
131 :
「歌声喫茶」が大阪・梅田に復活:2005/07/02(土) 01:05:51 ID:RXkdegKC
既に終了した催しのようです。残念。次回開催されるなら、ぜひ参加してみたい。
-------------------------------------------------------------------
1日だけ青春復活 歌声喫茶 梅田の百貨店
60年代に流行した「歌声喫茶」が5月1日の1日だけ、大阪・梅田に復活する。
中高年の人たちに青春時代を思い出してもらおうと、阪神百貨店(北区)が今年初
めて企画した。司会を務めるのは、ジャズ歌手の小泉陽子さん。「昔懐かしい曲を
声を合わせて歌い、楽しい思い出を作りたい」と意気込んでいる。
歌声喫茶では、客がピアノやアコーディオンの伴奏に合わせてフォークソングや
歌謡曲を合唱した。60年代当時、若者たちの交流の場として人気を集めた。いっ
たん下火になったが、ここ数年、当時通った世代を中心に、人気がじりじり復活し
ている。カラオケとは違った一体感が魅力という。
小泉さんは当時、有名だった京都市内の歌声喫茶「炎」でリーダーを務めた。
学生らの歌声が会場に響き渡った熱気が忘れられないという。「復活」の話を聞い
て、「ぜひ参加したい」と自ら申し出た。
当日は、小泉さんが選んだ曲を、電子ピアノの伴奏に合わせて全員で合唱する。
「青い山脈」「四季の歌」「学生時代」など数曲を予定している。参加者がリクエ
ストするコーナーもある。歌集を配るので、歌詞を覚えていなくても安心して参加
してほしい、という。
「懐かしの歌声ホール」は、5月1日午後2〜4時、同百貨店11階のグリーン
ルームで。先着100人。参加費は1500円(税込み。歌集・ソフトドリンク付
き)。
申し込みは「懐かしの歌声ホール事務局」(06・6314・2685)へ。
(4/26)
http://mytown.asahi.com/osaka/news.asp?kiji=1304
132 :
うたごえライブハウス・ゴリ:2005/07/02(土) 15:22:46 ID:RXkdegKC
http://www.funayomi.com/isaitanbo.html#gori Q中高年も若者も一緒に歌おう「うたごえライブハウス・ゴリ」
「ゴリさん、次は瀬戸の花嫁、頼むよ」、「はいよ」。流れるピアノに合わせて
客が歌い始めた。1つの歌を一緒に歌う行為は、連帯感をもたらす。歌の年代であ
る昭和の郷愁と重なり、何ともいえず心地よい。
「うたごえライブハウス・ゴリ」は、今は珍しくなった歌声喫茶。昨年11月にオ
ープンした。店長の鈴木孝夫さん(60)は新宿の歌声喫茶「ともしび」や「シャン
ソニエ」の常連だった。「2つの店を合わせたような店を船橋に作りたい」。勤め
ていたテレビ局を定年退職したのを機に夢をかなえた。その風貌からついたあだ名
が「ゴリ」。そのまま店名になった。
店構えは「山小屋のアトリエ」といったふう。「ゴリさん」を司会にピアノとア
コーディオンが伴奏だ。客は歌集を見ながらリクエストカードに希望の歌を記入す
る。
白壁を利用しての間接照明が、もうひとつの演出。なるほど、テレビ局では照明
担当だった。
客層は歌声喫茶の全盛期を知る中高年が中心。しかし、若者にも来て欲しい、と
最近の歌も歌集に加えている。
水曜は「ソロで歌える日」、木曜から日曜は歌声喫茶になる。メニューは低価格。
「金のある人もない人も利害関係無く親しくなれるのが歌声喫茶。民衆が集まると
ころ。その雰囲気がいいんだ」。
営業、木・金・土曜17時半〜23時、日曜16時〜22時。ミュージックチャージ500
円。貸し歌集100円。本町3‐1‐1柏屋ビル2階。問合せпi460)5033
133 :
あきら:2005/07/02(土) 15:35:10 ID:wJzt/8II
昭和46年〜47年にかけてアルバイトしておりました。
小生、楽器も弾けず、唄にも自信が無かったのですが、出身が関東でしたので標準語を話すという理由で、「リーダー要員」として採用されました。
中山リーダーには恩返しも出来ぬまま訃報を伺いました。木屋町でバッタリあって、露地の「炎」で懐かしい思い出話をしたのが4年前でした。
あの時代に憶えたシャンソン、ロシア民謡、フォーク等は私の心の財産になっています。中山リーダー、浦辻さんはじめ当時の諸先輩、同輩に感謝致します。
有難うございました。
134 :
モスクワ郊外の夕べ:2005/07/02(土) 15:35:55 ID:RXkdegKC
Сергиев Посад
今は死語になりつつあるが、かつて「歌声喫茶」なるものがあった。主にロシア
民謡をアコーディオンその他の簡単な伴奏のもとに歌うことのできる喫茶店で、
「ともしび」などが有名だった。リアルタイムで経験したわけではない。映画その
他で、ルパシカを着た若者たちがバラライカを奏で、ロシア民謡を合唱する場面を
見ただけだ。学生時代、京都の四条河原町にはまだ「炎」という名前の歌声喫茶が
営業を続けていたが、円山の野音でロック・コンサートが開かれている時代だ。歌
声喫茶に通う客は少なかっただろう。
哀愁を帯びた旋律が日本人の持つセンチメントに同調したのか、それとも、左翼
のプロパガンダでもあったのだろうか、戦後の一時期、「青い山脈」のような歌を
別にすれば、肩寄せ合って歌える曲の少ない歌謡曲に飽き足らない思いを抱く人々
に、みんなで歌うことのできるロシア民謡が果たした役割は大きかった。革命を成
し遂げたロシアに対する憧れを、歌に託していた蒼白きインテリゲンチャも少なく
なかったろう。
その頃聴いた曲の中に「モスクワ郊外の夕べ」という曲があった。野道の夕暮れ、
思いを寄せる人に気持ちを告げることのできない内気な青年の心を歌ったものだ。
作詞、作曲者がいるのだから厳密に言えば民謡ではないだろうが、一連の曲として
扱われていたように思う。戦後の日本は朝鮮戦争を契機にアメリカ追従の道を採り、
社会主義や共産主義の夢を見ていた左翼青年にとっては、鬱屈した日々が続くこと
になる。ロシア民謡の持つ感傷的な曲想は、彼らの傷ついた心を時に鼓舞し、時に
癒したのではなかろうか。
http://www.amigo.ne.jp/~abraxas/moscow4.html
135 :
あきら:2005/07/02(土) 17:31:04 ID:zYeB9Y1x
偶然の産物でこの掲示板を知りました。この掲示板の情報で「炎の歌」「陣の助茶屋の思い出」も懐かしく
聞きました。陣の助茶屋は勿論当時は文の助茶屋と歌っておりました。当時、中山リーダーを中心に
我々学生アルバイトが30分のステージを任され
、お客さんのリクエストに応じて歌集の254曲?254p?の中から又は
流行の歌のプリント(30曲位)から歌を選曲しました。全ての歌を知っているのは
中山リーダーだけだったと思います。中山リーダーの「ラ・メール」「ラ・スパニョーラ」
物真似シリーズの「君といつまでも」。岡田益男さんの「アディユー」西野信洋さんの
「旅立つ彼に」が人気でしたね。思い出すと色々出てきます。私は「淡き灯」という歌のメロディ
が好きでした。それでは、「ルンルルルンルンルン仕事に疲れた若者よ〜」炎の歌で今日もお終い。
136 :
『炎』が復活へ:2005/09/25(日) 22:41:45 ID:nz5HGdpS
炎の手風琴
こんな情報がありました。
------------------------------------------------------------
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005062700073&genre=K1&area=K10 歌声喫茶を復活へ
伏見、黄桜酒造の施設で
小泉陽子さん
1960−70年代に若者の人気を集めた「歌声喫茶・歌声ホール」を、黄桜
酒造(京都市伏見区)が28日から毎月1回、同区塩屋町の商業施設「キザクラ
カッパカントリー」で復活開催する。京都にあった歌声喫茶「炎」で歌のリーダ
ーを務めた現ジャズ歌手の小泉陽子さんも来場して、合唱を盛り上げる。
歌声喫茶は、ピアノやアコーディオンの伴奏で、さまざまなジャンルの流行歌
を客同士が合唱するスタイルで、高度成長期に学生らの人気を集めた。今回は、
黄桜酒造がカッパのキャラクター誕生50周年の催しとして企画した。
28日は午後6時から午後8時まで。「高校3年生」「遠くへ行きたい」など
当時の流行歌や童謡など100曲以上ををまとめた歌集を配り、リクエストに応
じて来場者全員で声を合わせて歌う。
参加料は食事、ワンドリンク込みで3500円。定員は100人(先着順)。
以降は7月19日、8月23日、9月20日、10月18日、11月15日の開
催が決まっている。予約や問い合わせは同カントリーTel:075(611)9919へ。
-------------------------------------------------------------------
僕らの在店時代は、従業員は全てが男性でした。卒業後数年して、中山マスター
を『炎』に訪ねた時、女性従業員が居ることにびっくり(ワクワク)した覚えが
あります。アルコールについても、これと前後は分かりませんがメニューに入って
いて、変遷を感じました。
>キザクラカッパカントリー」で復活開催・・・・
ぜひ、恒久的に続くことを願っています。みんなで出かけて応援しよう。
小泉陽子さん頑張れ!!
アコーディオンが必要なら当たってみますので、言って下さい。
日経ネット関西版
http://www.nikkei.co.jp/kansai/elderly/28779.html 青春の曲、思い出再び──歌声喫茶でタイムスリップ(9月13日)
リーダーの歌に合わせ合唱を楽しむ(京都市伏見区)
1960年代初めに一世を風靡(ふうび)した「歌声喫茶」が再び脚光を浴びている。
関西でも歌声喫茶をイベントで再現するレストラン、週末は歌声喫茶に早変わりする
バーなどが登場している。時間に余裕のできた中高年らが、青春の思い出探しや新し
い出会いを求めて足を運ぶ。歌声喫茶は青春時代への手軽な“タイムスリップ”にも
なっている。
8月23日。京都市伏見区のレストラン「キザクラカッパカントリー」で、歌声喫茶
のイベント「歌声ホール」が開かれた。約100平方メートルの店内にある120の座席
は、待ち切れない人々で開演30分前にはいっぱいになった。その8割が、かつて歌声
喫茶に通った経験がありそうな60歳以上の中高年の人々だ。
歌声喫茶はピアノやアコーディオンの伴奏で、リーダーと呼ばれる司会者の歌声に
合わせ、集まった客たちが一緒に歌う。イベントで用意された歌集にはロシア民謡や
童謡、歌謡曲など様々なジャンルが載る。もともと東京・新宿から広まり、労働歌や
反戦歌などを歌え、聞ける場所として若者の支持を集めた。1杯100円前後のコーヒー
代だけで何時間も粘れる気軽さも、人気を後押ししたという。
「すばらしいあのころ、学生時代」――。この日のイベントの幕開けは、ペギー葉
山さんの『学生時代』だ。リーダー役はジャズ歌手の小泉陽子さん。張りのある歌声
を案内役に歌集を見ながら歌う参加者の目は、とても生き生きとしていた。
日経ネット関西版
http://www.nikkei.co.jp/kansai/elderly/28779.html 青春の曲、思い出再び──歌声喫茶でタイムスリップ(9月13日)
リーダーの歌に合わせ合唱を楽しむ(京都市伏見区)
続き
『アルプス1万尺』『夏の思い出』『遠くへ行きたい』など、約2時間のイベントは
23曲の懐かしい曲目が続いた。後半に入り、ピアノ伴奏にアコーディオンの哀愁漂う
音色が加わった『青い山脈』の演奏が始まると、お客の興奮は最高潮に達した。
イベントの仕掛け人の1人で、音楽出版社社長の下園弘明さん(54)は、「私たち
は最近またブームになっているフォークソング世代。その上の世代にも楽しんでもら
える音楽は何かを考えた」ときっかけを語る。先立って開いた6月、7月のイベントも
満員御礼の盛況だった。
夫婦そろって参加した京都市内の60代の男性は「昔を思い出して楽しかった」と
笑う。京都市内に住む森田浩一郎さん(71)は「歌っているときは年は関係ない。
今が青春です」と満足げだ。
カラオケが普及した今、なぜ歌声喫茶なのか。「知らない歌を他人が歌い終わる
のをじっと待つカラオケに比べ退屈しない」「みんなで歌うから下手でも恥ずかし
くない」「声をそろえる“一体感”が楽しい」と参加者は魅力を語る。余暇産業研
究所の井手信雄主席研究員も「みんなで声を合わせて歌うスタイルが、お祭り好き
の印象が強い関西人気質に特に合っているのではないか」と分析する。
もう終わった催しですが・・・・。
asahi.com : マイタウン大阪 - 朝日新聞地域情報
http://mytown.asahi.com/osaka/news01.asp?kiji=1304 asahi.comトップ > マイタウン > 大阪
1日だけ青春復活 歌声喫茶 梅田の百貨店
60年代の歌声喫茶「炎」の情景=中山博雄さん提供 =>写真
60年代に流行した「歌声喫茶」が5月1日の1日だけ、大阪・梅田に復活する。
中高年の人たちに青春時代を思い出してもらおうと、阪神百貨店(北区)が今年初
めて企画した。司会を務めるのは、ジャズ歌手の小泉陽子さん。「昔懐かしい曲を
声を合わせて歌い、楽しい思い出を作りたい」と意気込んでいる。
歌声喫茶では、客がピアノやアコーディオンの伴奏に合わせてフォークソングや
歌謡曲を合唱した。60年代当時、若者たちの交流の場として人気を集めた。いっ
たん下火になったが、ここ数年、当時通った世代を中心に、人気がじりじり復活し
ている。カラオケとは違った一体感が魅力という。
小泉さんは当時、有名だった京都市内の歌声喫茶「炎」でリーダーを務めた。
学生らの歌声が会場に響き渡った熱気が忘れられないという。「復活」の話を聞い
て、「ぜひ参加したい」と自ら申し出た。
当日は、小泉さんが選んだ曲を、電子ピアノの伴奏に合わせて全員で合唱する。
「青い山脈」「四季の歌」「学生時代」など数曲を予定している。参加者がリクエ
ストするコーナーもある。歌集を配るので、歌詞を覚えていなくても安心して参加
してほしい、という。
「懐かしの歌声ホール」は、5月1日午後2〜4時、同百貨店11階のグリーン
ルームで。先着100人。参加費は1500円(税込み。歌集・ソフトドリンク付
き)。
申し込みは「懐かしの歌声ホール事務局」(06・6314・2685)へ。
(4/26)
なに?このスレw
カッパカントリー10周年 お楽しみキャンペーン
http://www.kizakura.co.jp/news/0924.html 大好評につき継続開催中!!
カッパカントリー歌声ホール
カッパカントリー10周年を記念して、なつかしの歌声ホールを
実施します、貴方も歌のリーダー(小泉陽子さん)とピアノ演奏で
一緒に歌ってみませんか?
日時 平成17年7月19日(火)
受付 17:30〜
開演 18:00〜
以後の開催予定 平成17年 8月23日(火)、9月20日(火)
10月18日(火)、11月15日(火)
12月13日(火)、来年1月17日(火)
2月14日(火)、3月14日(火)
4月19日(水)、5月16日(火)開催予定)
場所 キザクラカッパカントリー
(京都市伏見区塩屋町228)
定員 先着100名様
会費 お一人様 ¥3,500
(かっぱ弁当+ワンドリンク+歌詞ブックレンタル含む)
チケット販売・予約先
キザクラカッパカントリー
TEL075−611−9919
142 :
昭和32年の炎歌集:2005/11/07(月) 21:51:32 ID:bvz6mdH7
1957年12月20日発行
発行者:歌声ホール炎
1出船2荒城の月3草競馬
4おゝスザンナ5夏は来ぬ6村の娘
7オールドブラックジョー8谷間の灯9ローレライ
10パリ祭11マルセリーノの唄12そうらん節
13マリと殿様14待ちぼうけ15家路
16モーツアルトの子守唄17浜辺のうた18ゴンドラの唄19赤いサラファン
20シベリヤ大地の歌21世界をつなげ花の輪に22鉾をおさめて
23波浮の港24城ケ島の雨25出船の港
26誰か故郷を思わざる27黒田節28フル-フル29踊子
30巴里の夜31小雨降る径32ライ・ライ・ライ
143 :
昭和32年の炎歌集2:2005/11/07(月) 21:59:40 ID:bvz6mdH7
昨日の”京滋アコーディオンクラブ”総会で、『炎の歌』作詞者有本庸夫さまに、
炎歌集bQを頂きました。わずか32曲の可愛い歌集です。
---------------------------------------------------------
わが京都にもたのしい歌ごえホールがほしいと思って居りましたが、
やっと誕生のはこびとなりました。
”老いも、若きも、美声も、音痴も、元気で一緒に歌いましょう”
"炎"歌集bQを編集しました。
どうぞお好きな合唱したい歌を御寄せ下さい。
引続きbRを編集したいと思います。
発行者:歌声ホール炎
炎歌集 bQ
炎ともえて 若人は 声高らかに
喫茶とハイボール
四条寺町 パレス一階
6−6419
歌声喫茶の紹介
http://www1.odn.ne.jp/~cih73350/page054.html “歌声喫茶”の魅力を、いまの若い人にも知ってもらいたい。
それには実際に歌声喫茶に行って、体験してもらうのが一番ではあるが・・・
“歌声喫茶”とは・・「観客の合唱を司会と生伴奏によって、即興で進める観客参加型の
ライブ」と一応定義付けておこう。そこには、不思議な一体感というのも確かにある。
とくに訓練を受けたわけでもない、見知らぬ者同志が、練習なしのぶっつけ本番のライ
ブ。プログラムもなにもないけれど、観客が主役というところが魅力である。
実際、聴いているだけでも、下手なコンサートに行くより、よっぽど楽しめること請け合い
である。
「こだま」以外に,大阪では堺筋本町の角に「炎」という店があり,
ここはビルの上の方だったそうだ.
それに,千日前には「どん底」、道頓堀には「ふるさと」という店があり,
このへんが大阪では有名どころで,その他にもあったかもしれない.
カラオケの隆盛もあってか,
姿を消してしまったかに見える「歌声喫茶」だが,
いまも,全国にわずかながら,合唱好きの人たちの手で,
脈々と引継がれている店が存在するのである
歌声高く 旗高く
中国新聞によると、広島でも中心部に歌声喫茶が2軒ある。盛況で、かなり先ま
で予約で満席であるという。歌声喫茶のピークは1959年から1963年という
説がある。60年安保のころ学生だった連中が、60歳代の半ばを迎えて、青春時
代の思いのこもった、かつての懐かしい愛唱歌を歌っているのだろう。
ぼくは歌声喫茶で歌ったことはない。だが、学生のころ、部活動の一環として教
育学部の音楽専攻の男に歌わせられ、歌った。みんな「青年歌集」を持っていて、
彼が歌うのを聞き、繰り返し繰り返し歌って覚えるのである。
「青年歌集」は、新しい歌を加えて10集以上改訂版が出たはずである。ぼくらの
は、その一番初めの分であった。「カチューシャ」「ともしび」仕事の歌」「郵便
馬車の御者」や「泉に水汲みに来て」などというのがあった。1節の歌詞の大半は
忘れたが「豊かなるザバイカルの果てし無き野山」とか「ここは遠きブルガリア、
ドナウの彼方」などというのもあった。
いまではほとんどの歌を忘れてしまったが、カタカナで書いたイタリア語の歌だ
けは、覚えている。 「Avanti o popolo」(アバンチ・ポポロ)で始まり
「Evviva il comunisumo e la
liberta」(エビバ・コムニスモ・エラ・リベルタ)で終わる。行進曲のよ
うにリズムのある歌である。かってJCJの仲間と酒を飲み酔うと必ず歌っていた。
イタリアの労働者が古くから歌っていた「赤旗の歌」だということを最近になって知った。
友人の一人は、60年安保の年の三井三池の闘争で歌われた「子守唄」が忘れら
れない、という。
歌には、その時その時の思いが込められている。労働者の闘いの場には必ず歌が
あった。歌は士気を鼓舞し、ときには魂をゆさぶる。
歌声たかく旗高く、唇に歌を心に太陽を!!
(JCJ広島支部 Q)
■2005.5.27
http://www.jcj.gr.jp/~hirosima/page013.html#歌声高く
http://homepage2.nifty.com/oumi8/chiga/9evnt.htm みんなで歌おう!2005年
◆出前歌声喫茶i n 近江八幡◆
歌集を見ながらみんなで歌う、昭和30年代の懐かしい歌声喫茶の再現です。
歌の上手下手って関係ありません。「NKC」みんなで楽しく歌いましょう。
懐かしいアコーデオンの演奏に乗ってソングリーダーと共に歌います。
と き: 11月24日(木)
PM 2:30 受付
PM 3:00〜4:30
と こ ろ: プレマプレマ
近江八幡商工会議所1階レストラン
会 費: 1,500円 (コヒーまたは紅茶)
◆ 予約のみ 定員50名 ◆
お申し込み:
0748−33−1064
主催: 小さな文化を作る会
http://www.seiei.or.jp/idx18/sej200403.pdf 生衛ジャーナル3月号 平成16年3月発行
安保闘争で日本中が揺れ動いている60 年代、歌声喫茶は最
盛期にあったが、その後火が消えてしまった。復活は当時の従
業員の情熱にあった。現在の「ともしび」は専門家集団による
ステージの質を大事にしていることは昔と変りないが、復活に
かけ大きく変化しているのは、従業員自らが各地に出向き多大
のエネルギーをつぎ込んでいることである。それを支えている
のは、かつて共有した連帯感を再び味わいたいと望む人たちの
思いである。
再びの高揚を
東京都新宿区新宿3―20―6
FSビル6階
店長 大貫 史朗さん
03 ・3341 ・0915
営業時間 平日17 ‥30〜 23 ‥00
日曜・祭日16 ‥00〜 22 ‥00
金・土曜日のみ 昼間営業
定休日 無休
うたごえの店 ともしび
http://www.seiei.or.jp/idx18/sej200403.pdf 1960 年代前後にブームを呼んだ歌声喫茶が、今も新宿で営業を続けている。歌声喫茶で青春
を過ごした世代がリタイアを迎え、ゆとりの時間を持てるようになった今、かつて自分たちを
高揚させた歌声喫茶に戻って来た。カラオケとは異なった雰囲気や、そこから生まれる連帯感、
そして人間的な交流を楽しむ客の歌声が響き渡る。(文中敬称略)
平日の午後5 : 30。「ともしび」に集まった客はそれぞれ店の歌集を手に、好みの歌をリク
エストカードに書き込む。客のリクエストを見ながら、司会者がその晩のステージ構成を瞬時に決める。
ピアノの伴奏が始まる
と、司会者の歌声に合わせて店内の客が一斉に歌い出した。テーブルには飲み物や食事が運ばれ、40 分の
ステージが20 分の休憩をはさみ繰り返される。店のスタッフがいつの間にか二重唱を歌っていた。「ここ10 年でじわじわと歌声喫茶が復活してき
ました」と司会と広報を担当する小川邦美子は語る。
8年ぶりに来店した55 歳の男性客は、20 歳
の甥と来店した。「誘われて初めて来たのですが、この雰囲気が好きになりました。カラオケ
にはあまり行きません」と男性の甥は言った。この日2度目の来店だと言う70 歳代の女性
2人連れは、「昔は渋谷の歌声喫茶によく出かけていました。この店はすごくいい雰囲気」。
2人はお互いの子供が同じ幼稚園に通っていたことで親しくなり、今ではその子供たちも45
歳に。「今日は、お父さんが新年会でいないので、出かけてきました」と目を輝かせている。
6 生衛ジャーナル 2004/3
http://www.seiei.or.jp/idx18/sej200403.pdf 数曲終わると、相席になった客たちが乾杯を始めた。一緒に歌ったという思いから、初
対面であってもコミュニケーションが生まれやすいのだ。
カラオケは「歌のレベルが高すぎる」「点数が出るなど、競う要素がいや」という感想を
聞く。「うちはアバウト」と小川が言うように、1人で歌う勇気はないが「大勢でなら楽しい」
という客から支持される。歌いたければ歌い、聞いているだけでもいい。積極的にステージ
で歌うのも歓迎。何時間、店にいてもチャージ料は600 円だ。「歌うというのは、心の引き
出しを開ける作業。ここは昔の自分を活性化させる場なのです」と小川。最近では昔の文
化や、日頃接しない年代の人との会話を求めて若い医学生や看護学生が来店するようにな
ったそうだ。
「店の造りを昔の『灯』とそっくりにし、いつまでも音楽を大切にするこ
とで1960 年前後に歌声喫茶を
楽しんだ世代の客に喜んでもらう努力をしている」と言うのは、
ともしび株式会社の代表取締役、大野幸則。
歌声喫茶は世相を反映する。
戦後シベリアから帰国した捕虜が流行らせたロシア民謡は今も定番。シャンソンが流行す
ると歌声喫茶に波及し、安保闘争時代には労働歌が歌われた。昔の歌集にあった「ヴェト
ナム行進歌」はベトナム戦争当時、反戦の意味をこめて活動家たちがベトナム語の歌詞を
翻訳して流行らせたのだそうだ。最近では沖縄の米軍基地問題の影響からか、「さとうきび
畑」やアメリカ同時テロ追悼集会などで世界中で歌われるようになった「アメイジング・
グレース」のリクエストが増えた。
歌声喫茶は全盛期の1960 年前後には全国に30 〜 40 店あった。現在、新宿では2店が存続
している。1965 年にコマ劇場横の「灯」が閉店すると、音楽活動と「歌声喫茶」の文化を
存続させようとする従業員の情熱に対し、客からカンパが寄せられ、客と従業員との共同
経営で店を存続させることになった。こうした自主営業は一日単位で場所を借りることか
ら始まった。その後移転を繰り返した末、「ともしび」は1984 年から現在の場所で営業して
いる。
http://www.seiei.or.jp/idx18/sej200403.pdf 1954 年に歌声喫茶の草分け的存在として始まった「灯」。現在の「ともしび」は、新宿に
あった「灯」2店のうち、新宿コマ劇場隣の店の流れを汲む。
店の営業は続いたが、バブルの崩壊などがあり経営状態は決し
て良くなかった。そこで、従業員が自ら外に出て歌声喫茶を広
めようと、注文があると司会者と伴奏者が各地に出向き、店や公民館などで
歌声喫茶を“開店”させる「出前歌声喫茶」を10 年前から始めた(今では年間約150 ステ
ージの予約が入る盛況ぶり)。この営業形体がマスコミで取り上げられ、来客数も次第に伸
びてきた。
その他、「ともしび」には店の従業員などで構成される「オペレッタ劇団ともしび」や音
楽講座の「ひるまの合唱団」など、店をベースにした様々な企画がある。こうした音楽の
専門家集団とステージの質を大切にしてきたことで店が存続しているのだと小川は感じて
いる。
151 :
名も無き音楽論客:2005/11/24(木) 10:05:55 ID:WGnaid0I
http://www.annie.ne.jp/~machikai/newsletter/kaihou13.pdf 童謡からシャンソンまで、
アコーディオンとピアノ伴奏で、明るく歌いましょう。
自称音痴の方もどうぞ! 皆さんと一緒に力を合わせて、皆さんの楽しい「うたごえサロン」に!
昔も今もあるうたごえ喫茶“ともしび“を思いだし、歌のにがてな方、好きな
方、男、女、多勢で歌いませんか……。
旧・“カチューシャ“におられた杉本憲一先生のアコーディオンとピアノ演奏に
合わせ、「もみじ」、「翼を下さい」、「オールドブラックジョー」等、昔なつかしい
曲を思い思いに声を出して歌う楽しいひとときを過ごしましょう。
場所:文化会館たづくり9階 研修室(京王線調布駅南口より徒歩3分)
参加費:800円(お茶・菓子とも)、定員:当日先着48人
アコーディオンとピアノ演奏:
経験豊富な 杉本 憲一先生
作曲家で、ジャズ演奏も、何でもござれの先生です
この“うたごえサロン”に関する問合せ先:
能勢由緋子 TEL:0424-87-7068
森下 政信 TEL:0424-83-9993
主催:調布まちづくりの会・おしゃべりサロン「相互塾」
担当:森下政信(TEL&FAX 83-9993)
E-mail
[email protected] 日時:8月 9日(月)、8月30日(月) 午後2時〜4時
9月13日(月)、9月20日(月) 午後2時〜4時
10月11日(月)、10月24日(日) 午後2時〜4時
【市報でもご案内します】
カッパカントリー10周年 お楽しみキャンペーン
http://www.kizakura.co.jp/news/0924.html 大好評につき継続開催中!!
カッパカントリー歌声ホール
カッパカントリー10周年を記念して、なつかしの歌声ホールを
実施します、貴方も歌のリーダー(小泉陽子さん)とピアノ演奏で
一緒に歌ってみませんか?
日時 平成17年7月19日(火)
受付 17:30〜
開演 18:00〜
以後の開催予定 平成17年 8月23日(火)、9月20日(火)
10月18日(火)、11月15日(火)
12月13日(火)、来年1月17日(火)
2月14日(火)、3月14日(火)
4月19日(水)、5月16日(火)開催予定)
場所 キザクラカッパカントリー
(京都市伏見区塩屋町228)
定員 先着100名様
会費 お一人様 ¥3,500
(かっぱ弁当+ワンドリンク+歌詞ブックレンタル含む)
チケット販売・予約先
キザクラカッパカントリー
TEL075−611−9919
12月号の毎日夫人で「歌声喫茶」の特集を見て、思わずなつかしさで
いっぱいになりました。京都にいたころ、先輩に連れていってもらった「炎」。
当時、若者たちが多い中、年配の方がいつも「あざみの歌」をステージで歌って
いらっしゃいました。この歌を聞くといつも思い出します。今も「炎」の歌集を
もっていますが、カラオケでは味わえない温かみのある店「歌声喫茶」がよみが
えっている記事を見て、みんなで一緒に歌ったことを、あの熱気がとてもなつか
しく思い出されました。
(山口県萩市 NM 54歳)
注:毎日夫人は毎日新聞購読者に無料配布されている月刊雑誌
http://www.atom-bros.co.jp/utagoe_kikaku.pdf 歌声ホール企画案
タイトル:青春プレイバック!
「懐かしの歌声ホール」で大合唱!
企画主旨:ここ数年昭和30年代から50年代に懸けて流行した「歌声喫茶」「歌声ホー
ル」が復活の兆しを見せております。
大人が楽しめる音楽が少ない昨今、昭和歌謡、唱歌、外国民謡、童謡等々当
時誰もが口ずさんだを様々な曲を、歌のリーダーとピアノ伴奏で参加者全員
が大合唱する本企画は、中高年の方々には大変懐かしく、まさに青春プレイ
バックしていただくことを目的としています。
リーダー:小泉陽子さん(京都市出身)
現在はジャズヴォーカリスト「YOKO」として各地の有名ジャズライブや一流
ホテルのラウンジなどで活動していますが、昭和48年以降京都の有名歌声
ホール「炎」の最後期のリーダーを務められ活躍されていました。
演 奏:土井亮氏(ピアニスト)
大阪音楽大学卒業後、プロの演奏家として活動開始、スタジオミュージシャ
ンとして数多くのレコーディングを行う。また有名アーティストのサポート
ミュージシャンや、作曲・編曲など制作活動も積極的に展開しております。
構 成:基本的に90分(※内15 〜 20 分程度はのど休めのため休憩あり)
食事やドリンクを取り入れるかは主催者で決定して下さい。
会 場:ホテルや居酒屋等々(会場貸しきりでの実施が理想)
実施経費:●歌のリーダー&ピアノ演奏者&電子ピアノレンタル
●音響機材費&簡易照明(50̃100 名程度想定)
●運営及び進行管理料
※詳しい金額はお問い合わせ下さい。
06-6314-2685 下園
●別途
歌集(買い取り) ※参考 ともしび歌集 @¥850 ×人数分
出演者・スタッフの交通費(地方の場合のみ実費必要)
http://www.sankei.co.jp/news/060701/bun057.htm ≪半世紀生き残る≫
東京・新宿の繁華街のど真ん中にある歌声喫茶「ともしび」。昭和29年
開店。歌声喫茶の“元祖”とされる存在だ。場所を新宿内で変えながら、5
2年間生き残ってきた。「低迷していた時期もありましたが、最近になって
客足がぐんと伸びてきました」と目を丸くするのは、同店で歌手を務める小
川邦美子さん。
リクエストに応えて、ピアノやアコーディオンの生演奏が付くのは当時の
まま。ロシア民謡や山岳歌、労働歌など当時の愛唱歌が中心だが、「世界に
一つだけの花」といった最近のヒット曲の注文も多い。「団塊の世代より上
の方が多いですが、最近の曲もよくご存じです」(小川さん)
http://www.sankei.co.jp/news/060701/bun057.htm 「見上げてごらん夜の星を」「コンドルは飛んでいく」など演奏がいざ始
まると、大きな歌声が店内を覆い尽くす。宇都宮市から半世紀通い続けてい
るという上村順一さん(80)は、「カラオケは個人戦だが、みんなで一緒
に歌うのがいい。下手でも目立ちませんし」と、“連帯感”の素晴らしさ強
調する。東京都葛飾区の高野弘子さん(70)は若いころ通い続け、10年
ほど前に“復帰”した。「子供も手を離れ、ふらっと来てみたら、楽しくて
懐かしくて。今では週に3回来ています」といい、もはや生き甲斐になって
いるという。
≪歌づくしの旅行≫
「そんな盛り上がりに圧倒された」−。旅行会社のクラブツーリズム(東
京)は、平成12年から「クラブツーリズムうたごえ倶楽部」を立ち上げた。
合唱会や「歌声ツアー」を実施している。
企画したきっかけは社員がたまたま顔を出した歌声喫茶の熱気だ。「こん
な熱気があるならば、需要があるのではないかと考えました」と解説するの
は、同社広報の森田真理子さん。
ツアーの行き先は、名所旧跡などだが、バスにはアコーディオン奏者が同
乗して、行きも帰りも歌づくし。「現地でも夕日に向かって歌を歌ったりと、
まさに『歌声ツアー』にふさわしい内容です」と森田さん。月に1回のペー
スでツアーが組まれ、会員数は4000人に達した。
http://www.sankei.co.jp/news/060701/bun057.htm 歌声喫茶で愛された100曲をまとめた『懐かしの歌声喫茶名曲集』(英
知出版)も人気を集めている。
「トロイカ」「四季の歌」など名曲の歌詞75曲と、アコーディオンとピ
アノによるカラオケ25曲を収めたCD付き。2月の発売以来、予定してい
た1万5000部を完売し、先月には第2弾となる『よみがえる歌声喫茶名
曲集』を発売した。
≪町おこしに企画≫
かつて新宿を中心に20軒を数え、名古屋や京都といった主要都市にもあ
った歌声喫茶も、「いまや関東近郊でも数軒程度」(ともしびの小川さん)
にまで落ち込んでいるという。
そんな中、地方では町おこしに役立てようと岡山県倉敷市の玉島商工会議
所では平成14年から、町おこしとして、月に数回のペースで市内の喫茶店
やホテルで歌声喫茶を開いている。「音楽があふれる町にしようと企画しま
したが、毎度、定員に迫る勢い。かつて都会で熱気を体験した人が集ってい
るのでは」とは同会議所。倉敷市以外にも埼玉県幸手市や千葉県野田市など
でも定期的に開催される歌声喫茶があるという。
「ともしび」では、そうした単発での歌声喫茶に、司会者や伴奏者の派遣
事業も展開している。「中高年の居場所として歌声喫茶はぴったり。全国に
再度広めていきたい」と小川さんは意気込んでいる。
【2006/07/01 東京朝刊から】産業経済新聞社
http://blog.drecom.jp/escom/archive/1606 昼は趣味カフェ、夜は歌声喫茶…団塊世代のサロンに 青森
◆夜は趣向を変えて◆「うた恋喫茶デルヴォ」のプレオープンイベント。懐かしい歌
を歌い、うたごえ喫茶の雰囲気を楽しんだ=6月30日、青森市内
NPO法人申請中の「NPO生涯楽習ネットあおもり」(青森市、藤井洋一郎理事
長)が青森市の中心商店街で「歌声喫茶」の運営に乗り出す。午後の時間帯は、編み
物など「趣味カフェ」にも姿を変える多目的な空間にし、団塊世代らが交流できるサ
ロンにしたい考えだ。
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2006/0704/nto0704_2.asp 「歌声喫茶」6日オープン/青森
昭和三十年代に一世を風靡(ふうび)した「歌声喫茶」を、青森市のNPOが同市
の新町通りに復活させる。ターゲットは団塊の世代以上。ギターやピアノ伴奏に合
わせ、思いっきり合唱できる往年のスタイルをよみがえらせる。中高年の交流の場
をつくり、街を元気づけることも狙いとしており、六日に正式オープンする。
歌声喫茶は高度経済成長期に流行し、客同士が肩を寄せ合い、ロシア民謡や唱歌
を合唱する場として、若者の人気を集めた。昨夏市民有志が一日だけの復活イベン
トを青森市で開き、反響を呼んだのは記憶に新しい。
今回歌声喫茶をよみがえらせるのは、青森市のNPO「生涯楽習ネットあおもり」
(法人化申請中)。
(つづき)
六月に同市新町二丁目にある喫茶店「デルヴォ」の経営を譲り受け、元NHK文化
センター青森支社長の藤井洋一郎理事長(63)が中心となって準備を進めてきた。
店内にはギターと電子ピアノが置かれ、客は自由に弾くことができる。六月三十
日のプレオープンでは、招待客など多くの人が集まり、ロシア民謡の「カチューシ
ャ」や「トロイカ」などを歌詞カードを手に合唱した。
「デルヴォ」が歌声喫茶となる夜の部は、毎日午後六時から十時まで。五十歳以
上の夫婦・カップルで来店すると、割引のサービスもある。問い合わせは同店
(電話017-722-6622)へ。
※写真=プレオープンでは多くの来店があった「デルヴォ」。夜遅くまで歌声が
響いた
http://www.sankei.co.jp/news/060701/bun057.htm 旅行会社のクラブツーリズム(東京)は、平成12年から「クラブツーリズムうた
ごえ倶楽部」を立ち上げた。合唱会や「歌声ツアー」を実施している。
企画したきっかけは社員がたまたま顔を出した歌声喫茶の熱気だ。「こんな熱気
があるならば、需要があるのではないかと考えました」と解説するのは、同社広報
の森田真理子さん。
ツアーの行き先は、名所旧跡などだが、バスにはアコーディオン奏者が同乗し、
行きも帰りも歌づくし。「現地でも夕日に向かって歌を歌ったりと、まさに『歌声
ツアー』にふさわしい内容です」と森田さん。月に1回のペースでツアーが組まれ、
会員数は4000人に達した。
歌声喫茶で愛された100曲をまとめた『懐かしの歌声喫茶名曲集』(英知出版)
も人気を集めている。
http://www.sendai-senior.org/rev1/utagoe/index.htm <<例会のご案内>>
開催日: 第2,4土曜日 13:30〜15:30
場 所: 一番町中央ビル8F
シニアネット仙台(サロンわいわい一番町)
会 費: ¥250 2003 リクエストベスト5
1 四季の歌(春を愛する人は 心清き人・・・)
2 荒城の月(春高楼の花の宴・・・)
3 早春賦(春は名のみの風の寒さや・・・)
4 知床旅情(知床の岬に はまなすの咲くころ・・・)
5 灯火(夜霧のかなたへ 別れをつげ・・・)
− 問合せ先 −
〒980-0811 仙台市青葉区一番町2-5-12
一番町中央ビル8F
NPO法人 シニアのための市民ネットワーク仙台
「うたごえサロン」
п@022−217−0101
うたごえサロン
166 :
バラライカ健在:2006/09/20(水) 21:49:08 ID:PPvO0blQ
http://s-life.at.webry.info/200608/article_4.html ウェブリブログトップ/ログイン トップ プロフィール フレンドリスト サークルリスト
セカンド・ライフ
歌声喫茶 ”炎”
<< 作成日時 : 2006/08/12 21:45 >>
トラックバック 0 / コメント 0
私の青春時代そのものでした。
NHKで第38回思い出のメロディーが流れています。
懐かしいフォークシンガーの面々が唄っています。
1970年代、京都四条通りに歌声喫茶 ”炎” がありました。
確か、150円で飲み物を買って皆で唄うのです。
演奏しているのは大学生のアルバイトの人達で、
ドラムを叩いていた山口県出身のIさんに憧れていた
懐かしい思い出があります。
歌声喫茶(秋田県地域振興コミュニティ)
http://www3.ocn.ne.jp/~rengaya/humanity/utagoe.html 歌 声 喫 茶
(秋田県地域振興コミュニティ)
10月の予定
No.28
ヒューマニティコミュニケーション企画2006
歌の好きな人集まれ!!
-思いっきり歌声喫茶-
日時 10月5日(木) 午後6時30分会場 7時開演
場所 煉瓦屋3階 (0182-33-2811)
参加費 1000円 ドリンクとケーキ込み
準備の都合上、ご予約をお願いいたします。
予定している曲
野菊 秋桜 まっ赤な秋 旅愁 夕焼け雲
城ヶ島の雨 古城 岬めぐり ホルディリディア
ビューティフルネイム 見上げてごらん夜の星を その他
11月の予定
No.29
ヒューマニティコミュニケーション企画2006
歌の好きな人集まれ!!
-思いっきり歌声喫茶-
日時 11月9日(木) 午後6時30分会場 7時開演
場所 煉瓦屋3階 (0182-33-2811)
参加費 1000円 ドリンクとケーキ込み
http://www.bcap.co.jp/s-hochi/bno/2004/04-11/n041104.html 大津市商店街連盟が参加募集
みなで歌えばなお楽し♪
=12月10日 びわこホール1800人=
膳所駅前の喫茶店で昨年春に開かれた歌声喫茶
(湖西・大津市)
大津市商店街連盟は、十二月十日午後五時半からびわ湖ホール(大津
市打出浜)で千八百人による日本一大規模な歌声喫茶を開く。歌声喫茶
は昭和三十年代に全盛だったもので、客がコーヒーを飲みながら生演奏
に合わせて合唱する観客参加型のライブ。今春、東京上野公園・水上音
楽堂では千三百人の歌声喫茶が催されており、今回はこれを凌ぐ規模。
主催している同連盟は「ホールを埋め尽くす参加者で合唱して不況を吹
っ飛ばそう」と意気込んでいる。
同連盟は毎年、合同の大売り出しを実施して消費者へのアピールを図っ
てきた。ところが近年、イベント効果は薄れ、企画そのものを見直す声
が上がっていた。そこで目をつけたのが、中央銀座商店街と膳所駅前商
店街がノウハウをもつ「歌声喫茶」だ。
両商店街は街の活性化を目指して、三年前から共同企画で三十│四十
人規模の歌声喫茶を交互に開催してきた。五十〜六十歳代が若者時代を
懐かしんで参加し、アコーディオン演奏にのせて童謡から歌謡曲、ロシ
ア民謡などを合唱した。参加者からは「楽しかった。今度はいつやるの
?」と、次の開催を催促されるほど好評だった。
http://himawari-sun.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_c7df.html 2006年9月19日 (火)
歌声喫茶
昔々ちょうど勤め始めた頃 歌声喫茶が全盛期であった今のカラオケとは違い
アコーデオンの奏者が曲を弾いてくれて皆で合唱する。ジュースやコーヒーなど
注文すると小さい歌集を頂きそれを見ながら皆で歌う その歌はどういうわけ
か当時流行っていた歌謡曲もあったがいつも、「ともしび」とか「カチューシャ」
とか「黒い瞳」とかロシヤ民謡と言うのが多くてその頃は目新しい歌で楽しかった
ものでした。それを懐かしく思い出す人達は私の年代に近い人でしょう
今日はそんな仲間でカラオケ喫茶でカラオケではなく歌声喫茶の雰囲気で、
ワイワイがやがや アコーデオン奏者はいないがカラオケテレビがその代わり
をやってくれます。皆でその頃の歌を合唱すると言う企画 懐かしい歌が出る
たび 思いでを語りながら 河内のおばちゃんの集りここにあり 最後は河内
音頭をかけて皆も踊り子に早代わり 狭い場内を河内音頭で踊りの輪ができて
踊りだす クーラーのきいた部屋と言うのに汗びっしょりだったが、昔にタイ
ムスリップしたひと時でした。
http://accordeoncarrefour.cocolog-nifty.com/seseragikomorebi/cat5385623/index.html 2006年8月29日 (火)
歌声喫茶
シャンソンやミュゼットが弾いてみたくて始めたアコーディオン。
始めた当時は歌声喫茶というものの存在さえ知らなかったと思います。
だから、自分が歌声喫茶に関わるようになるとも想像していませんで
した。ここ数年、いくつかの歌声喫茶に参加して、歌声喫茶の伴奏を
やれる人って「すごいなぁ〜!!」と思っていました。今でも思って
います。自分が頼まれても軽々しく引き受けられるようなことではな
いと判っています。でも、つい出来心で引き受けてしまいました。やっ
ぱり大変です! 膨大な曲数、どうやったって一ヶ月かそこらじゃ覚
えるどころか弾けるようにもなりそうにないです。
リクエストに全部応えられなくてもいいのよというお店のオーナー
さんのお言葉が救いですが、それでも少しでも沢山お応えしたいとい
う気持ちにはなります。このところ毎日少しずつですが、新しい曲も
覚えています。やっぱり長く歌い継がれてきている曲には、いいもの
が多いのですね。そのような今までご縁のなかった沢山の曲たちに出
会うチャンスを与えてくれている歌声喫茶。ちょっと大変だけど楽し
いです!
172 :
歌声酒場:2006/10/04(水) 16:47:19 ID:???
セカンド・ライフ
歌声喫茶 ”炎”
<< 作成日時 : 2006/08/12 21:45 >>
トラックバック 0 / コメント 1
私の青春時代そのものでした。
NHKで第38回思い出のメロディーが流れています。
懐かしいフォークシンガーの面々が唄っています。
1970年代、京都四条通りに歌声喫茶 ”炎” がありました。
確か、150円で飲み物を買って皆で唄うのです。
演奏しているのは大学生のアルバイトの人達で、
ドラムを叩いていた山口県出身のIさんに憧れていた
懐かしい思い出があります。
http://s-life.at.webry.info/
タウンレポート
“歌声喫茶”盛り上がる
http://www.townnews.co.jp/020area_page/01_thu/21_hodo/2006_4/10_19/hodo_top1.html 保土ヶ谷スポーツセンター内の会場に集まる団塊世代
天井が高く音響にも優れた会場
昭和30年代、全国的に一大ブームを巻き起こした『歌声喫茶』。若者たちが
店に集い、当時流行していたヒット曲の数々を客同士が共に歌い、笑顔を分か
ち合える場所として人気を博したスポットも時代の流れには逆らえず年々激減。
全国的にもその灯が消えかかっているという厳しい状況の下、今でもなお全盛
期を知る人々が集い、毎月1回のペースで歌声を響かせている貴重な場所が、
保土ヶ谷区・神戸町にあった。
1年前から大人気
当時を懐かしむのには欠かせない「アコーディオン伴奏」に加え、人気歌手
の瀬川瑛子さんの専属伴奏者による「ピアノ」に併せて歌えるという、贅沢な
この場所は保土ヶ谷スポーツセンター内にある『ふれあいショップ・はぁふた
いむ』。公的なスポーツ施設の休憩所としても広く利用されている同所は、
市の就労事業の一環としてボランティアグループが運営する喫茶店。「地域の
ために」と「地域の人に障害者の活動を身近に感じてもらい理解を得るため」
といった役割を果たすため、喫茶店としてだけではなく集会場(サロン)とし
ても楽しめる方法を模索してきた。パソコン教室やミニコンサートの会場利用
などが好評となる中、約1年前から始めた「歌声喫茶」企画が今ではすっかり
大人気に。毎回、開催を待ちわびるかのように、かつての黄金時代を知る50〜
60歳代のシニア世代が数多く参加。昔唄った歌を中心に、いわゆる昭和歌謡や
童謡などが次々と演奏され、参加者は懐かしい想いを抱きながら皆で歌い、
楽しいひと時を過ごしている。
なお開催は毎月第1火曜日に限定され(次回は11月7日)、予約制ながら毎回
ほぼ満員となる人気ぶり。「最近では参加者の年齢にも幅がでてきましたね」
とスタッフが話す通り、ますます歌声の輪に広がりをみせている。また開催
時間は午後6時半から午後8時半までで、参加費は1500円(飲み物と軽食
付き)。参加申込みなど詳しい問合せは 電話045・332・7255まで。
age
Kyoto Shimbun 2007年3月18日(日)
懐かしの名曲、体揺らし熱唱
福知山で「うたごえ喫茶」風演奏会
生演奏に合わせて合唱する参加者たち(福知山市正明寺)
歌う喜びを通じて平和を願うピース21コンサート2007「うたごえ喫茶
in21世紀の杜(もり) 春」が18日、京都府福知山市正明寺のさつき保
育園ホールで開かれ、生演奏に乗せて市民が歌声を響かせた。
コンサートは同市篠尾の元国鉄職員、藤井和夫さん(66)が2001年から主
催。国鉄の合唱団に所属していた藤井さんは音楽仲間に声をかけ、カンツォー
ネやオペラ曲を市民と一緒に楽しんできた。今回は、みんなで歌って盛り上が
ろうと「うたごえ喫茶」風の演奏会を企画。豊岡市のバンド「ちゃんぽんめん」
とともに、藤井さんはアコーディオンを演奏した。
歌好きの市民約50人は「学生時代」や「青い山脈」など懐かしい名曲を体
を揺らせて熱唱、青春に思いをはせた。三線(さんしん)奏者も加わった「涙
そうそう」をはじめ、フォークソングや唱歌など、大人も子どもも明るい歌声
で会場をいっぱいにしていた。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007031800124&genre=K1&area=K50
http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2=&NB=CORENEWS&GI=Kennai&G=&ns=news_117582303128&v=&vm=1 懐かしの「歌声喫茶」、シニア世代楽しむ 徳島市立木工会館
シニア世代に懐かしい「歌声喫茶」が五日、徳島市福島一の市立木工会館
内の飲食コーナー「木具MOGU」で初めて開かれ、五十−七十代を中心に百
人が楽しんだ。
「四季の歌」「春よ来い」「青い山脈」「カチューシャ」といった童謡や
懐メロ、ロシア民謡など二十曲を、ボランティアの男女によるアコーディオ
ンとキーボードの伴奏で声を合わせて歌った。
「学生時代によく通った」という年配の人たちが大勢訪れ、階段や通路に
いすを並べる盛況ぶり。北島町中村から夫と参加した谷睦美さん(76)は
「カラオケと違い、みんなで一緒に歌って盛り上がれるのが楽しい。体に染
み付いた曲ばかりで懐かしい」と楽しそうだった。
木具MOGUが、シニア世代に来館してもらい会館や業界の活性化につな
げようと、月一回の日程で始めた。五月十日開催分の参加者を募集している。
参加費三百円(一ドリンク、歌集付き)。申し込み、問い合わせは市地場産
業振興協会〈電088(626)2453〉。
宣伝は禁止です。
削除依頼しました。
http://waga.nikkei.co.jp/play/walk.aspx?i=20070604d6000d6 歌声喫茶に復活の兆し 出前喫茶やツアー
かつて国民的ブームとなった「歌声喫茶」に復活の兆しが現れた。歌声喫茶
は客が一緒に歌う趣向の喫茶店だ。労働運動や学生運動が盛り上がった1950
〜60年代に流行した。
手元の歌集を見ながら、大勢が声を合わせて歌う。寄り添って同じ歌を歌う
連帯感は一種、独特な温かみを持つ。新たなつながりを生むきっかけにもなる
という。
ピアノやアコーディオンの伴奏が付く。司会役が選曲、歌い出しのリードを
務めることが多い。フォークソングや童謡、歌謡曲、ロシア民謡など、様々な
ジャンルの歌が歌われてきた。労働運動、学生運動の盛んな時期には労働歌、
反戦歌もよく歌われた。曲の合間に熱く政治やイデオロギーを語る若者も多かっ
た。
2007年6月20日(水) 夕刊 5面
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706201700_02.html 青春彩り46年 歌声喫茶に幕/沖縄市・ブーケ
【沖縄】人気コーラスグループ「ホップトーンズ」がデビューを飾り、県内
外の若者が演劇、文学論を戦わせた沖縄市城前町の音楽喫茶「ブーケ」が三十
日、四十六年の歴史に幕を閉じる。建物(旧十字路国映館)の老朽化のため。
当時珍しかった歌声喫茶の先駆けで、通い詰めた往時の青年たちは「青春の舞
台がブーケだった」と閉店を残念がっている。(又吉健次)
ブーケは一九六一年、うるま市平安座島出身の西村房子さん(73)が開店
した。知人の医師から「医者が来るような上品な店を作りなさい」と助言され
たことがきっかけ。
当初は別の建物で「ゆめ」として開店、六六年ごろ旧国映館の楽屋だった現
在地に移り、改名した。その際、本土ではやっていた歌声喫茶を始め、人気に
火が付いた。歌声喫茶では、常連だった越来中の教師がアコーディオンを引き、
歌詞カードを手にした客がロシア民謡の「カチューシャ」や歌謡曲「小さなス
ナック」など幅広い歌を合唱した。
「ヘイ! 二才達」で知られる男性四人組コーラスグループ「ホップトーン
ズ」は六六年、ブーケでデビュー。同店でのライブを、ラジオ局が生中継した
ことが思い出というリーダーの金城邦松さん(67)は「こんなに長い間、店
を守ったママは偉い」と感謝する。放送キャスターの上原直彦さん(68)は
「アングラ的というか、意気盛んな若者が通う場所だった。(閉店に)戦後の
一つの区切りを感じる」と話す。
けいこ後、同店に通っていた演劇集団「創造」の団員で、詩人の中里友豪さ
ん(70)、劇作家謝名元慶福さん(65)にとっては仲間と芸術論を戦わせ
る場でもあった。「沖縄文化を発信するブーケは青春の地だった。閉店は寂し
い」
約八十平方メートルの店に七十―八十人が駆けつけた店も、海洋博ブーム後
の不況で客足も遠のいた。一時十二人もいた従業員も、いまは西村さんを含め
二人。酔っ払いが苦手で店を飛び出したこともあるという西村さんは「店を閉
めると人との触れ合いもなくなる。客だけでなく私も寂しい」と話した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706201700_02.html 沖縄タイムス