>>419 田沼意次なんて人は賄賂の方で有名になってますが、実は大規模公共事業で景気を回復させており、
今でいうケインズ政策をやってのけました。
3大改革はもうずたずたで幕府の延命にしかなってませんでした。
ロシアの船が来たときは長崎に言ってくれという一点張りで英国などもこれで交渉していました。
そこにクジラ漁の中継地として日本を訪れた船がやってきます。
長崎じゃなくて東京湾浦賀に。それがペリーです。
この時、奇跡的だったのは米国は日本を植民地化しようときたのではなく、
単に開港と後に通商条約で締結するように経済開放を求めに大統領の親書を将軍に渡したのです。
これが日米通商友好条約でした。このあと桜田門外の変とかいっぱい血が流れたり
薩摩が勝手に戦争おっぱじめて、しかも負けて幕府が英国に賠償金を払うなどの危機が起きていました。